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カルト的思考について
くるみあるく、カルト思考について語る
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まず中学数学の復習から。
二重否定の定義。「Aでない」という状態を否定するとそれは「A」になる。
4話目で、くるみあるくはY教会から「お前は神様の声を聞いていない」と断言された。図に書くとこうなる。
Y教会の言い分。
「お前が一人で考えて誰にも相談せずに行動したのが良くない。聖書にもイエスキリストが福音を伝えるときに、弟子たちを二人ずつ組にして遣わせただろ? (マルコによる福音書 6:7-9)」
くるみあるくが単独行動するのがいけない。神様のみことばを聞けていない。
だから、単独行動はやめなさい。「我々=Y教会」に従いなさい、と。
そして、「彼ら=Y教会」は集団でこう言い添えた。「新婚のころを思い出せ。そうすれば幸せになる」
だが、新婚の頃、子供なんかいらないと家人にさんざん言われ無視され続けたくるみあるくには「子供を殺して幸せになりなさい、祝福します!」というふうに聞こえた(語句の指し示す対象が「くるみあるく」と「彼ら」で差がある)。
「彼ら=Y教会」は集団で、くるみあるく一人に“神様の言葉”として「子供を殺して幸せになれ」に等しい言葉を投げつけた。
この時点でY教会はくるみあるくにマウントを取っている。
であるからY教会が語る言葉は神の言葉であり人の言葉ではない。この点ですでにカルト思考である。
話は横道に逸れる。
皆さんよくご存じの「こっくりさん」。一本の鉛筆を複数の人が握ると鉛筆が勝手に動き出す現象。
コックリさんの原理は物理学で説明でき「そこに参加した誰かの力によって動く」(マイケル・ファラデーの実験)ことがわかっている。
だが、人は集団でやっていることについては「自分の力で、自分の意思でやっている」との自覚はない。認識できない。嘘をついてるわけでなく感覚がすっぽ抜ける。脳科学的にそうらしい。
・ 運動Aが起こるとき、その直前に自分がやりたいと思ったら「自分がやった」と捉える。
・運動Bが起きたとき、その直前・最中に自覚を持てなかったら「勝手に起きた」と捉える。
なぜなら感覚は「後付け」で生じるものだから。脳がそのようにできているから。
これを宗教一般で言うところの「預言」に当てはめてみよう。
勘違いその1
★直前に自分が信じる預言Aに近いことが起きたら「預言が成就した」と捉える。
だから、何かしら事件が起きたとき「預言が成就した」と叫ぶ人たちにいくら違うんだと言っても説得させることはできない。彼らは自分の感覚を信じて酔っているだけなんだけどね。
さて、先程の勘違いその1 をやってきた人々が一旦窮地に陥ったときに、こんなことをおっしゃることがある。
「今が正念場だ。我々の信仰が試されている!」
“神様が与えた試練だから感謝して受け取ろう”(1テモテ4:3-5) と解釈。
(クリスチャンに限らず、ピンチをチャンスへ変換できるならそれは素晴らしいこと、ではある)。
問題は、自分たちが神様の正義を実践していると信じるあまり、何かしら不具合が生じた時、それは「神から離れて悪化している」ことを示すサインなのかもしれないのに、神が与えた試練だという「思い込み」から抜けられない人々がいらっしゃる、ということ。
勘違いその2
★事象Aが起こるとき。正しい我々が“悪をなす連中”から迫害される立場に置かれていると認識した場合「神様が与えている試練だ」と捉える。
★事象Bが起きたとき、相手が神様の言葉に従っていない“悪をなす連中”と認識した場合「悪魔がやってきて操っている、それは彼/彼女に信仰がないからだ」と捉える。
そして、正しい我々はそれを正しく裁くべきだ、と考え、実行する。
そして、こうして何度も勘違いを繰り広げた自称クリスチャンが、後日なんらかの原因で自らの誤りに、つまり神様の言葉に従っていなかった事実に気づくことがある。
その時、彼らがよく口にする言葉。
「人間はみな罪人です。私たちは互いに赦し合わなくてはなりません。|(エペソ人への手紙 4:32)」
ここで注意が必要。
・勘違いその1 ならびに 勘違いその2 を行っているとき
彼らの立ち位置は「我々=神の言葉を聞き実行する者=預言者」
相手が神様の言葉に従っていない“悪をなす連中”と認識し、「悪魔がやってきて操っている、それは彼/彼女に信仰がないからだ」と決めつけ、「我々は正しい」と主張する。
・勘違いその1 ならびに 勘違いその2 が「勘違いであった」と気づいたとき
彼らの立ち位置は「我々=罪人」
窮地に陥ったのちに「私たち(=我々)は互いに赦し合わなくてはなりません」と叫ぶ。
お分かりだろうか。
同じ一人称複数形「我々」を用いておきながら、「彼ら=カルト集団」は立ち位置を巧妙に変えることで罪を覆い隠そうとしている。しかも、罪あるとした人々を「我々」側に最後は取り込んでいるのだ。
一人称と三人称、主観と客観の論理をうまくすり抜ける。これがカルトの思考なのだよ。よくよく注意したまえ。
二重否定の定義。「Aでない」という状態を否定するとそれは「A」になる。
4話目で、くるみあるくはY教会から「お前は神様の声を聞いていない」と断言された。図に書くとこうなる。
Y教会の言い分。
「お前が一人で考えて誰にも相談せずに行動したのが良くない。聖書にもイエスキリストが福音を伝えるときに、弟子たちを二人ずつ組にして遣わせただろ? (マルコによる福音書 6:7-9)」
くるみあるくが単独行動するのがいけない。神様のみことばを聞けていない。
だから、単独行動はやめなさい。「我々=Y教会」に従いなさい、と。
そして、「彼ら=Y教会」は集団でこう言い添えた。「新婚のころを思い出せ。そうすれば幸せになる」
だが、新婚の頃、子供なんかいらないと家人にさんざん言われ無視され続けたくるみあるくには「子供を殺して幸せになりなさい、祝福します!」というふうに聞こえた(語句の指し示す対象が「くるみあるく」と「彼ら」で差がある)。
「彼ら=Y教会」は集団で、くるみあるく一人に“神様の言葉”として「子供を殺して幸せになれ」に等しい言葉を投げつけた。
この時点でY教会はくるみあるくにマウントを取っている。
であるからY教会が語る言葉は神の言葉であり人の言葉ではない。この点ですでにカルト思考である。
話は横道に逸れる。
皆さんよくご存じの「こっくりさん」。一本の鉛筆を複数の人が握ると鉛筆が勝手に動き出す現象。
コックリさんの原理は物理学で説明でき「そこに参加した誰かの力によって動く」(マイケル・ファラデーの実験)ことがわかっている。
だが、人は集団でやっていることについては「自分の力で、自分の意思でやっている」との自覚はない。認識できない。嘘をついてるわけでなく感覚がすっぽ抜ける。脳科学的にそうらしい。
・ 運動Aが起こるとき、その直前に自分がやりたいと思ったら「自分がやった」と捉える。
・運動Bが起きたとき、その直前・最中に自覚を持てなかったら「勝手に起きた」と捉える。
なぜなら感覚は「後付け」で生じるものだから。脳がそのようにできているから。
これを宗教一般で言うところの「預言」に当てはめてみよう。
勘違いその1
★直前に自分が信じる預言Aに近いことが起きたら「預言が成就した」と捉える。
だから、何かしら事件が起きたとき「預言が成就した」と叫ぶ人たちにいくら違うんだと言っても説得させることはできない。彼らは自分の感覚を信じて酔っているだけなんだけどね。
さて、先程の勘違いその1 をやってきた人々が一旦窮地に陥ったときに、こんなことをおっしゃることがある。
「今が正念場だ。我々の信仰が試されている!」
“神様が与えた試練だから感謝して受け取ろう”(1テモテ4:3-5) と解釈。
(クリスチャンに限らず、ピンチをチャンスへ変換できるならそれは素晴らしいこと、ではある)。
問題は、自分たちが神様の正義を実践していると信じるあまり、何かしら不具合が生じた時、それは「神から離れて悪化している」ことを示すサインなのかもしれないのに、神が与えた試練だという「思い込み」から抜けられない人々がいらっしゃる、ということ。
勘違いその2
★事象Aが起こるとき。正しい我々が“悪をなす連中”から迫害される立場に置かれていると認識した場合「神様が与えている試練だ」と捉える。
★事象Bが起きたとき、相手が神様の言葉に従っていない“悪をなす連中”と認識した場合「悪魔がやってきて操っている、それは彼/彼女に信仰がないからだ」と捉える。
そして、正しい我々はそれを正しく裁くべきだ、と考え、実行する。
そして、こうして何度も勘違いを繰り広げた自称クリスチャンが、後日なんらかの原因で自らの誤りに、つまり神様の言葉に従っていなかった事実に気づくことがある。
その時、彼らがよく口にする言葉。
「人間はみな罪人です。私たちは互いに赦し合わなくてはなりません。|(エペソ人への手紙 4:32)」
ここで注意が必要。
・勘違いその1 ならびに 勘違いその2 を行っているとき
彼らの立ち位置は「我々=神の言葉を聞き実行する者=預言者」
相手が神様の言葉に従っていない“悪をなす連中”と認識し、「悪魔がやってきて操っている、それは彼/彼女に信仰がないからだ」と決めつけ、「我々は正しい」と主張する。
・勘違いその1 ならびに 勘違いその2 が「勘違いであった」と気づいたとき
彼らの立ち位置は「我々=罪人」
窮地に陥ったのちに「私たち(=我々)は互いに赦し合わなくてはなりません」と叫ぶ。
お分かりだろうか。
同じ一人称複数形「我々」を用いておきながら、「彼ら=カルト集団」は立ち位置を巧妙に変えることで罪を覆い隠そうとしている。しかも、罪あるとした人々を「我々」側に最後は取り込んでいるのだ。
一人称と三人称、主観と客観の論理をうまくすり抜ける。これがカルトの思考なのだよ。よくよく注意したまえ。
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