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03.あけみさん解放大作戦 はじまり

ジング氏とサーコ、リャオの見舞いに行く~ジング氏とサーコ、作戦を開始する

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03としていますが、これは01より前にあった5月ごろの話。ジング氏というのはトモの本名(キム・ジング)から来ています。
サーコのモノローグです。彼女は高校1年生になったばかり。
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リャオさんが盲腸で入院したと聞き、トモとお見舞いに行った。

まず、病院の受付で入院患者さんを検索してもらうのだけど、リャオさんはリャオさんじゃなかった。トモが
「金城あけみさんいらっしゃいますか?」
と聞くので、あたしはあっけにとられた。
「金城あけみさんとおっしゃる方はいません」
「えっと、あけみさん、ではないかもしれないです。」
そういってトモはメモ用紙に「金城明生」って書いた。
「ああ、金城あきおさんですね」

あたしたちは五階の個室に案内された。トモが軽くノックして知らせると、リャオさんはいつもの笑顔で応じた。
「お久しぶり。サーコも来たの?」
リャオさんがあたしの腕を取る。
「ねえちょっと聞いてよ! 救急搬送されて、最初、男の大部屋に入れられたの! もう、裸の姿とかじろじろ見られてすっごく恥ずかしいし、病棟の男臭いの耐えられないし、たまらなくって個室にしてもらったの!」
そして、むくれた顔で小声で
「どうせ男のトモにはわからないわよね」
隣でトモは笑いをこらえているけど、あたしは少しリャオさんに同情した。もし自分が救急搬送されて男性扱いされたら、もう恥ずかしくって死にたくなるかもしれない。トモが尋ねた。
「そうそう、リャオ、名前はあけみさんじゃないの? 受付で手間取りました」
「ああ、トモに言ってなかったね。学校では、あけみで通したから」

ちんぷんかんぷんなあたしに、リャオさんは説明してくれた。
中国人として生まれたときの名前が廖明生リャオ・ミンシェンで、
亡くなったお母様が沖縄のお父様と結婚して帰化したときに金城明生きんじょう・あきおさんになった、と。
でも、自分の名前で「あきお」の音は馴染めなかったし、スカート履きたかったから同じ漢字で音だけ変えて「あけみ」にした、のだそうです。同じ漢字で音変えるのは、日本の法律ではセーフらしいです。

「日本語学校のみんな、あけみさんって呼んでましたから、てっきり、リャオはあけみさんだと」
トモはしばらく天井を見上げた後、意地悪そうな表情で
「そういえばあけみさん、モテましたよね?」
リャオさんはしまった、という顔になった。
「やだトモ、今頃何言い出すの?」
「あけみさんはー、留学生を三名くらい振ってましたーよね?」
「トモ、その話、やめて! いたた!」
リャオさんは盲腸の傷跡を押さえている。でもトモは一向にやめなかった。
「あのフランス人、なんて名前だっけ。あけみさんによく花束贈ってましたねー。思い出した、セルジュ! 私に頼んできたんですよ、あけみさんと二人っきりにさせてくれって」
「だからもうその話は、……あ、いた、痛、痛いったら」
「リャオから男だってことは口止めされてたしー。セルジュには気の毒なことをしたもんだー」
「トモ、退院したらてめぇぶっ殺すぞ、……ああ、痛い。うーん……」
看護師さんが点滴のチェックに来た。
「じゃ、あたし達これで失礼しますね」
「お見舞いありがとう、またね」
リャオさんは病室のカーテンを引いた。

病院を出て近くのカフェに入った。
トモが当時のことを詳しく話してくれた。リャオさんはその日本語学校では女性事務員で通していたので、トモ以外は誰も男性とは気づかないまま退職したのだそうです。
「じゃ、なんでトモは知ってるの?」
「宣教に失敗しました」
トモは肩をすくめ、話してくれた。
「ちょうど1年前くらいですね。私、あの頃は青二才だったので、日本語のクラスに新約聖書持ち込んで配ってたんですよ。クラスメートの誰でも良いから教会に来て欲しいと思って。そしたら、金曜日でした。あけみさんがクラスに入ってきたんです。いつも白地ブラウスに黒のスカートで、当時は伊達眼鏡掛けてました」
へー、リャオさんが伊達眼鏡か。美人だもんね。案外、似合うかも。
「で、聖書配ってる私の側に来て、君、あとで話があるから事務室に顔出してもらえる? って。クラス終わって事務室行ったら、金曜の夜だからちょっと二人で飲みに行こうって。私、バイクだからって断ったら、とにかく大事な話だからって車で宜野湾のアパートまでついてきました。その時は私、あけみさんは日本人だって信じてたんで、日本女性は男を口説くのにこんなに積極的なのかと勘違いしました」

あたしは吹き出した。強引に飲みに誘うリャオさんもリャオさんだが、勘違いするトモもトモだ。

「で、車をそこに置いて、二人で飲みに行ったんです、安い学生向けのバーに。そしたら、あけみさんは初っぱなからカクテルのブルームーンを二杯煽って、こう目がすわってるんですよ。あ、これは、ちょっとヤバイなーと思ったら、それからずーーっと説教モードです」
そしてトモは、酔っ払ったリャオさんの口調をまねて当時の模様を再現してくれた。

 あん? お前らキリストの愛とか神の正義とか抜かしやがって、あたいらのこと舐めんじゃないわよ!
 だいだいなあ、神様が完璧なお方だったら、なんであたいらみたいなのを造っといて放っぽらかしておくのさ?
 神の愛は平等、ですって? てめえらのスカタン脳みそじゃ、男は男、女は女、みーんな同じ様な人間にしか映んねーんだろ?
 ホント節穴もいいとこだよ、全く。おい、いいか、よく聴け!
 世の中にはなあ、男になりたくてもなれない奴がごまんといるの!
 一方的にキリストの正義ってやつをバンッと立てて、うまく生きていけない奴を裁いといて、罪な存在ってあざ笑ってるのはどこのどいつだ?
 神様は、完璧になれない、罪な存在であるあたいらの為に泣いてくれるんじゃなかったのか?
 学校で聖書配る前に、あたいにはっきりわかるように説明しやがれこの野郎!

「あははは!」
ごめん、トモの迫真の演技に思わず笑い転げてしまった。トモは続けた。
「あれは参りました。それでも、当時日本語初級の私にはまだちょっとよく分からなかったですね。あけみさん、ぐでんぐでんに酔っ払ってるから、私のアパートに連れ帰ったんです。そしたら、着いた途端、あっつーいって叫んで、私の部屋で着てる服、上半身全部脱いで。どこからどうみても男ですよ。そんで部屋のど真ん中で大の字になってそのまま寝ちゃった」

あたしは喫茶店のテーブルに突っ伏し、右手で拳つくって叩きながらヒーヒー言って笑った。ああ、もうダメ、おかしすぎる!
「かわいそうだから私のタオルケット、裸の身体に掛けてあげて、私は、あけみさんのそばで膝を抱えて小さくなって寝ました。翌朝、起きたら、あけみさん泣いてるんですよ。服着ながら、メガネ外して、こう、手で目のところ拭いて。で、私に言うんです。キム君、ごめんなさい。この件は黙ってて、って」

トモはアイスコーヒーをストローで吸って、ちょっと息をついた。
「神父とか牧師とか、宣教師もそうですが、守秘義務があります。罪を告白した人の秘密は守らなくてはなりません。私はまだ全然ひよっこですけど、でも、あけみさんの秘密は守りたい、守らなくちゃと思いました。だからまず、あけみさんに、どうしたいのか、自分自身はどうありたいのか聴きました」
なるほど、そこから始まったんですね。

「……サーコにだから、ある程度は喋っていいのかな」
トモは右の顎のあたりをポリポリ掻いて、喋った。
「あけみさんは、どこかで無理矢理、女性になってるみたいです。うーん、表現がちょっと変ですけど、自分は絶対女性にならなきゃ、みたいな、一種の思い込みみたいなのがあるように私には思えるんです。それで、提案しました。あけみさんじゃない、別の呼び名ある? って」
なるほど。あたしは納得した。それで、リャオという名前で呼ぶことにしたのね。
「そうそう。よくよく聴いてみたら日本人じゃない、中国人だって。もうビックリですよ。お父さんともいろいろやり合っているとか、まあ、いろいろ」
トモはアイスコーヒーを吸って最後のあたりを濁しましたが、きっとあたしが知らない秘密がまだあるんでしょうね。
「あの、サーコ」
トモが突然声のトーンを落とした。
「彼、いや、彼女かな。まあともかく。リャオの事、普段人前では“あけみさん”って呼んであげてください。この三人でいるときは、リャオで。まずリャオが安全でいれる範囲、境界線を、守ってあげなくちゃいけないです。状態が変化してきたら、またこうやって話をしましょう」
うん。それは分かる。いじめられっ子を世間一般のいじめっ子から守るのと同じね?
「ありがとう。サーコは賢いですね」
トモはそう言ってあたしに笑いかけた。
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