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27.間一髪

サーコ、謝罪する~相合傘

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韓国で遠距離恋愛中のトモ(本名:キム・ジング)とベッドインしてしまったサーコ(本名:比嘉麻子)。なんとかリャオ(本名:金城明生)=あきお君=“あけみさん”に会って謝罪したいと思うのですが……。サーコのモノローグ。
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韓国から戻って、あたしは求職活動をした。
高卒で正社員採用してくれる企業はなかなか見つからなかった。一件、配達員の最終面接までこぎ着けたけど、結局不採用だった。あたしは力仕事に向いてないし、なんら事務に直結する資格を持っているわけでもないのだから。
ママが病院の受付の仕事を紹介してきた。あくまで短期のパートだ。秋以降は分からない。でも、乗るしかなかった。

あれから、リャオさんとはずっと会わなかった。
お願いしていた荷物が来たら連絡が来るだろうと踏んでいたが、ある日勤務から戻るとアパートのドアに紙袋がかかっていた。

――韓国からの免税品が届きました。いらっしゃらないようですので置いて帰ります。また参ります。金城――

「あけみさん、いらしてたのね。韓国のお話もお伺いしたいのに」
ママがそういうのをあたしは黙って聞いていた。
リャオさんに韓国行きを懇願したのはあたしだ。そして、周囲の目をだまくらかして別の男と会い、セックスした。しかも避妊しないで。
リャオさん、ずっと怒っているんだな。謝りに行かなくちゃ。

5月の終わり頃、生理が来た。ほっとした。日数を数えて妊娠してないだろうとは踏んでいたが、いつもの周期から2週間近く何もないとヒヤヒヤものだ。ああ、焦った。
下腹部の鈍痛を温めてやり過ごしながら考える。やはりリャオさんには伝えるべきだろう。だって、もしあたしが妊娠したら、周囲はみな、“あきお君”の子供だと決めつけていたはずだもの。どこからどうみても、あたしたちは婚前旅行にしか見えなかったんだから。そうなってしまったら彼の立場がなかったのだから。

土曜日は梅雨空だった。ママを病院へ車で送った後自宅へ戻り、あたしは手作りチョコを作った。バレンタインと同じ物。もう少し器用だったらウイスキーボンボンにするとか違う味付けにするとか、アレンジできるのに。
一人で昼ご飯を済ませる。チョコレートが固まってきた。結局、普通に純ココアを掛けて百均のラッピングを施しただけだ。傘を差して奥武山おうのやま公園駅からモノレールに乗る。牧志駅で降りる。アポなしはまずいだろうと思ってラインを入れる。

――こんにちは。近くまで来ていますが、事務所へお訪ねしてもよろしいでしょうか?
お、既読になった。早い。
――どうぞ! 今日は休業です。
あらま、珍しい。土曜日は西町のケースも多いのだけど。

小降りだった雨はざんざん降りに変わってる。牧志の事務所へ行く。ビルの三階へ登って玄関をノックする。コツコツコツ。
出てきたリャオさんの姿に驚いた。グレー無地のルームスウェットを着た“あきお君”だ。ついこないだの韓国旅行を思い出す。硬直してしまう。
「雨の中ご来訪ありがとうございます、どうぞ」
「……おじゃまします」
えー、どうしよう。あけみさんだったら良かったのに、緊張しちゃう。
「何か飲む? コーヒー? お茶?」
リビングの椅子に座る。テーブルの上には郵便物らしき封筒など。
「お茶ありますか?」
するとリャオさんはなにやら箱を出してきた。フルーツティーのティーバッグがどっさり。
「先月、会社に頂き物がありまして。ノンカフェインのせいか、あまりうちの従業員には受けがよろしくないもので、事務所に引き取りました」
へえ、そうなんだ。おいしそうだけどな。
「このマスカットのやつください」
リャオさんは大きめの急須にマスカットのティーバッグを二つ入れて熱湯を注いだ。三分待って、二つのマグカップに注ぐ。
「フルーツティー、なんなら、半分くらい持って帰って」
ありがとうございます。あとでいただいて帰ります。あ、そうだ。
「これ」
あたしはバッグからチョコを取り出してテーブルに置いた。リャオさんが不思議そうな顔をする。
「どしたの?」
ああ、どうして、あなたは“あきおさん”なのでしょう。ちょっと、言いづらいよ。でも、言わないと。
「韓国では、大変ご心配とご迷惑をおかけしました」
あたしは真っ赤になった。えーい、もうヤケだ。チョコを前方へ突き出す。頭を下げる。
「無事、生理が来ました。すみませんでした!」
「あははは!」
テーブルに突っ伏して爆笑する中国人男性が一人。なにも右手でテーブルをバンバン叩かなくてもいいじゃないですか、お茶がこぼれちゃうよ。あたしは自分のマグカップを取って、ふーふー冷まして飲む。あら、このマスカットティー、思ったより甘いわ。
「このお茶、甘いですね。チョコに合わないかも」
「そう?」
あきおさんはムクリと起き上がり、マグカップに口をつけた。
「確かに甘いね。私、コーヒー作る。サーコは?」
「あたしは、マスカットそのまま飲みます。チョコはリャオさんのなので」
「そう、一人分だったらインスタントでいいや」
彼は立ち上がる。小皿2つと、インスタントコーヒーの入った別のカップを持ってきて再び着席した。小皿をテーブルに並べ、あたしの小皿にはビスケットを入れてくれた。そして自分の小皿に袋をあけてチョコをいくつか分けている。
「うん、おいしい! ありがとう!」
あたしはビスケットを摘まみながら頷いた。どういたしまして。お気に召していただき光栄です。
「ついでなのでサーコに話しますが」
リャオさんはチョコ食べながらテーブルにある手紙をあたしに差し出した。
「このビル、撤去になるそうです」

ええー? 何それ、どういうこと?
青天の霹靂、外はどしゃぶり。展開がひどすぎる。

封の開いた手紙を開く。賃貸者様へのおしらせ、とある。なになに、那覇市都市計画に基づき2025年春に解体?
「2年後じゃないですか!」
急ぐ話ではない。だけど。ああ、何てことなの、魔法が消えちゃう。
「このビル、裏にガジュマルあるでしょ? あれの根っこが地下にきているんだって」
リャオさんがとつとつと話す。
「別の木も絡みついて、外壁がはがれ落ちているんだよね。確かに、やばいよ。補修するよりは解体して、この辺り一帯に別の大きな商業施設を建てるんでしょう、きっと」
リャオさんはコーヒーを一口飲んで、ため息をついた。
「事務所、どうしよう。西町に統合かな。社長に話さないと」
そうか。事務所、消えちゃうのか。本社と離しておく理由がなくなっちゃうのか。
「もし、事務所なくなったら、サーコどうする?」
考えたことなかった。牧志に来ればリャオさんに会えるのが当たり前だったから。
「寂しいですね」
そう言うのがやっとだった。ここであたしは高校生活を送ったようなものだ。リャオさんのお弁当を毎朝受け取って、時には泊めてもらい、週末にはジングと、トモと3人で楽しくわいわいやっていた。楽しかった日々が胸の内でよみがえる。
「ま、あと2年あるから。テレワーク環境を作り直すのはなかなか骨が折れるし、撤去ぎりぎりまでここはあると思うよ?」

あたしたちはほとんど音を立てずにコーヒーとお茶を啜る。
大切な思い出が、大事な場所が、都市開発で飲み込まれていく。
こんな大きな出来事を前にしては魔法は効いてくれないだろう。とても小さな、小さな魔法だから。
「どしゃぶりだし、帰りは送るよ。着替えるからちょっと待ってて」
あたしは急須のマスカットティーを全部飲み干して、トイレを借りた。出てくるとリャオさんがTシャツとチノパン姿になっていた。フルーツティーをスーパーのレジ袋に入れてくれている。

バンに乗せてもらう。カジュアルな服を着たあきおさんと乗るのは初めてだ。いつもと違う気がする。
あきおさんから香水の香りがする。韓国旅行を思い出す。そうか、あたし、あけみさんに言わなくちゃ。
「また、泊まりに来てもいいですか?」
「ホントに?」
あきおさんは前を向いたまま明るい声を出した。
「良かった。あけみ、喜ぶよ。事務所がなくなるって落ち込んでいたし。今のうちにいっぱい、サーコと思い出作ろうね」
そういいながら、あきおさんはハンドルを切る。いつもなら安里川沿いの脇道から出るのだが。
「冠水しそうだから、回り道するよ」
川沿いでなく国際通りから安里三叉路へ抜けた。
「そうか、奥武山も冠水しているかも?」
「じゃ、ちょっとドライブする? 首里にでも」

ドライブといいながら、あたしたちは終始無言だった。雨をよけるワイパーの音だけが車内に響き渡る。
首里の山川交差点を左折し、儀保十字路を直進。奥武山とは逆方向だ。でも二人とも何も言わない。
そのまま浦添方面へ抜ける。車は北進を続ける。でも二人とも何も言わない。

ついにバークレーコート付近まで来てしまった。
「買い物でもしますか」
あたしも頷く。リャオさんは駐車場に車を駐めた。あたしは傘を差して出る。運転席側に回る。降りてくるリャオさんに傘を差し掛ける。
「傘、一本でいいかな」
リャオさんがあたしに言った。車のドアを閉め、あたしの傘を右手でつかむと左手であたしの肩を引き寄せた。
「濡れたらまずいよ?」
そのまま、スーパーの方向へ歩く。

相合傘だよ、これ。

普通にスーパーに入って銘々で買い物をする。レジに並んで支払いを済ませ、また相合傘でバンに帰る。
車に乗り込んでシートベルトをし、二人はまた無言になる。

さすがにこれ以上、このままではいられない。
車は三三〇号線を南へ走る。雨だから渋滞している。リャオさんがラジオをつけた。すると、タイミング良くストーンズの ‘(I Can't Get No) Satisfaction’ が流れてきた。

満足出来ない 何度も試すのに ノーノー それはこっちのセリフ

おや、雨が小降りになった。一通り一緒に口ずさんであと、リャオさんが口を開いた。
「イギリスの話だけど、昏睡状態にいた人がさ、この曲聞いて目を覚ましたんだって」
へえ! すごいじゃない!

ラジオは気ままに曲を流し続ける。雨が止んで陽射しまで差してきた。うわ、蒸し暑いなあ。
奥武山につく頃には、分厚い雨雲はどこへやら。沖縄ってこれだから。
「着いたよ。今日はありがとうね」
「フルーツティー、いただきます。じゃあ」
あたしたちはにっこり笑って手を振って別れた。
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