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36.大阪生活~運動の秋はゲイの秋?

あけみさん、出勤する~あけみさん、客をぶっ殺す~帰宅、そして

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さあ、花金の夜がやってきました。久々にばっちりメイクを整え、真珠のイヤリングをする。韓国で話題のカラコンまで入れちゃう。珍しくバス通勤して、17時にバーに着いた。ママ、お久しぶり!
「きゃー、あけみちゃん! 来てくれてありがとう! 全然変わらないじゃない」
「ママも元気そうね。でも私、もう31だから、そろそろ引退しないと」
「何言ってるのよ、あけみちゃんはまだまだ、今からでしょ!」
嬉しいことを言って下さいますが、本業がのしかかるから夜のお仕事は最後だと思うわ。ちょっと淋しい。テキパキ準備を整える。
「19時半から予約ですって?」
「そうそう、ケダモトさんが新しい方をお連れになってくるの」
「ふーん、ケダモトさん、私、3年ぶりくらいよ」
そうこうしているうちに次々と同僚たちがやってくる。ミーちゃんも京子さんも昔のまんまだねぇ。
「いい人見つかった?」
ここにくると恋話には事欠かない。バーのママはあの下着盗難事件の後、戸籍上ちゃんと女性になり、パパさんと入籍して軽井沢で挙式した。トモのいる教会からの紹介だったらしい。ママはトモがプレゼントしたクロムハーツにいたく感動して、宜野湾教会へ20万献金したんだって。たぶん教会からトモにも連絡行っているはずだ。まだ熱々の新婚さんでのろけ話にずっと花を咲かせている。

19時過ぎ、予約のお客様、いらっしゃいました。
「ケダモトさんお久しぶりです」
「おや、あけみちゃんじゃね? えー! 久しぶり! 僕、今日はツキまくりだなー」
本当に嬉しいことおっしゃってくださいます! 精一杯の笑顔で新しい方にもご挨拶です。
「私、あけみです。こちらは? ハタケヤマさんとおっしゃるのね。初めまして。お名刺も頂戴できてうれしいです!」
……って、出された名刺見て、冷や汗が出た。げげっ、うちの取引先の重役。うん、最近、重役替わったってウワサには聞いてたよ。こちらの方でしたか。
あー、どうしようかな。挨拶だけして下がろうかな。え、無理?
「あけみちゃん、ほら、早速、一杯やろうよ!」
そうよね、ケダモトさんのお顔は立てなきゃね。ビール一杯のお付き合いをする。あの、ハタケヤマさん、あんた、私に身体を寄せすぎるよ。
「あけみちゃん、かわいいねー。僕の好みだなあ。いくつ?」
「あ、もう31なんで、今日でお店最後なんですぅ」
言いながら心の中で呟く、今日でとっとと終わらんとマジやばいわ。なんとかして、ずらからないと。でも、とりあえず、ちょっとだけ話をあわせよう。よし、あけみ、笑顔よ、笑顔!
「ハタケヤマさん、どちらからいらっしゃったんですか?」
「京都、といいたいけど枚方ですわ」
ああ、枚方ね。よりによってサーコとトモの居住地じゃないか。無難な話題としてはひらパーですかね。
「あけみちゃんは遊園地好きなの?」
「うーん、じつはジェットコースターは苦手です」
「ああ、僕はあけみちゃんと一緒にジェットコースター乗りたいなー」
……そう言いながら人のケツ触んじゃないよこのタコ! 次触ったら……ああ、いけないわ。今日が最後なんだから、あけみ、我慢、我慢。

それが、このままでは収まってくれなかった。
なんとこのオヤジ、今度は私の母国の悪口を次々並び立てた。それも、こっちに鼻息吹きかけながら。

あんたね。
普通のレベルの悪口なら、まだ笑って済ませてあげてもいいんだけどさ。どこをどう考えても「行き過ぎ」のレベルってものがあるでしょう?

そうね。
私も4、5年前でしたか、聞きました。このお店にいらっしゃった別のお客様から。尖閣沖で、生卵投げられたったね。1個じゃないよ。何発も。我が母国ながら私も憤慨しました。国境付近での小競り合いというのはそういうものかもしれない。でも、あんまりだわ。嫌がらせにも程があるわよ。冷静に警告しているだけなのに、生卵はひどすぎる。
しかし。それでも、相手に対して「レベル越え」な悪口を言ってもいいことには、決してならないはず。
その馬鹿にしている国の製品、あんたの会社がKNJ商事を通して輸入取引しているんだよね? 貿易相手国のレベル越えな悪口を、いわば代理で取引してやっている担当者の前であけすけに言うか? しかも、その担当者の母国なんですけど?

決めた。この店どうせ辞めるんだから。このオヤジ、ぶっ殺す! その前に。

私、一度トイレに立ちます。と見せかけて、某所へお電話差し上げます。
そして5分後、ケダモトさんの携帯が光っているのをめざとく見つけて、お知らせしました。
ケダモトさん、ご家族の方からのお電話だったそうで、名残惜しそうにお帰りになりました。
「あけみちゃん、ホントに最後なの? じゃあ、元気で頑張ってね」
「はい、ケダモトさんもどうかお元気で」

よし、馴染みのお客様にはきっちり義理を果たした。あとは。

ハタケヤマの野郎、かなり酔ってきた。トイレに行くというので、ぶりっこのようにイヤイヤを装って、肩にもたれかからせ連れて行ってやった。そしたら、トイレの個室へ私を連れ込もうとした。ふっ、掛かったな、このトンマ。
「ちょっと、ハタケヤマさん、私、そういうSMチックなのはちょっと」
といって身体をひねって身をかわし、相手の後頭部をわしづかみにして便器に突っ込んでやった。そして、さんざん怒鳴ってやりました、もちろん、中国語で。とてもこちらで表現できる内容ではございませんので割愛させてください。
そして私は店を去った。同僚やママに後ろ髪引かれつつ、こう言い残して。
「ごめんなさい。気分悪いのでお先に失礼します。お給金は後日取りに来るわ」
……取りに行けるわけないでしょう。あーあ、3万円くらい損しちゃった。でもいい。すっきりした。

タクシー拾って牧志の事務所へ帰る。郵便受けを覗くと手紙が入ってる。会社の事務書類に混じり懐かしい手書き文字をみつけた。酔いがいっぺんに覚めた。サーコじゃん。
ドアを開けるやいなや、化粧も落とさず封を切る。水色の便せんいっぱいに、トモの近況が書き綴られている。寛解へと向かったかに見えた彼の精神状態に再び影がさしているらしい。
そして彼女は私に問いかけていた。どうしてラインを辞めたのか、どうして電話が繋がらないのか、リャオさんの声が聞きたいです、と。

壁に背をもたれかからせ、ベランダから曇天を眺める。とうに日付は変わり土曜日の午前2時。これから雨になる予報だ。

トモの奴、サーコに何も話していないのか。
いや、サーコも薄々わかっているのかもしれない。それでも割り切れずに、トモに隠れて手紙を書いたのだろう。
10月になると本土の秋は急に冷え込む。油断しているとすぐ風邪を引いてしまう。大丈夫だろうか。

サーコの声が聴きたい。でもトモに禁止されている。

"Please don't call or text to her for a whileお願いだ、彼女にメールや電話はしばらく控えて欲しい. "

トモ、しばらくって、いつまでだよ? このまま一生続けるつもりか?
涙が頬を伝って流れ落ちる。サーコの声が聴きたい。

土曜日は一日中雨だった。私は事務所の床をあらかた拭いて、書類の整理をした。パソコンのOSアップデートを進めながら、来週に備えて作り置きの惣菜を大量生産する。
一人分の惣菜作っても、張り合いがない。思い出すのはサーコの笑顔。

就寝前にもう一度、届いた手紙を読み返し、考える。
日曜日の午前中なら、トモは礼拝へ出かける。明日なら、電話できるかも。
トモとの約束を反芻する。でも、せがんで来たのは、他ならぬ彼女の方なのだから。

私は神様へ祈った。
一度だけ彼女に非通知で電話します。みこころでしたら、彼女の声が聴けますように。
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