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Part3 The year of 2000

Chapter_12.蜜月の日々(8)まるでホームドラマのような

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At Los Angeles; December 3, 8:25AM PST, 2000. 
Now, the narrator returns to Tsutomu Uema.
(And, the narrator changes  Tsutomu Uema into Taeko Kochinda, finally.)

十二月三日、僕はlongを終え、朝八時にメディカルセンターを抜け出した。声を掛けてきそうなスタッフがいたが、すべて無視した。アパートへ向け一目散に車を走らせた。

階段を上っていくと、いい匂いがする。なつかしい野菜炒めの香りだ。僕は自分の部屋の前まで来てびっくりした。そう、それは他ならぬ、ぼくの部屋からのものだった。鍵を出し、ドアを開ける。
「お帰りー!」
という声とともに多恵子が駆け寄って来る。
ドラマのような光景に僕はしばし立ち尽くした。人がいる。僕の住処に、人がいる。それも、にこやかな顔で出迎えている。

……何年ぶりだ?
僕は最後に母親が出迎えてくれた瞬間を思い起こそうとしたが、全く思い出せなかった。多分、遥か彼方の昔だ。小学生の頃、もう二十年近く前じゃなかったっけ?
僕がずっと立ち止まったままなので、多恵子は不思議そうに首を傾げ、僕へ近づき
「勉?」
と話しかけた。
この時初めて、僕は返事をしなくてはならないことに気がついた。
ええと、こんな時は何て言うんだっけ? いつも東風平こちんだ家の玄関口から入るときは「お邪魔します」だよな? いや、決してボケているわけではない。その言葉は、本当に記憶から抜け落ちていた。
「ただいま、は?」
と多恵子に問い返され、反射的に
「ただいま」
とおうむ返しをした。僕は安堵した。良かった、返事ができて。

靴を脱ぐ必要はない。ここはアメリカだから。僕はそのまま、どかどかと部屋へ上がりこみ、台所を覗き込んだ。電熱器の上にはフライパンがあって、中にはおいしそうなパパヤーイリチャー(パパイヤの炒め物)があった。残念だが、豆腐が入ってないのでチャンプルーの定義からは外れてしまう。沖縄の豆腐はさすがに持ってこられなかったようだ。
「おいしそうだね」
僕の言葉に多恵子はにっこりして、パパヤーイリチャーを皿によそいながらしゃべりまくった。
「乾燥パパイヤ戻したわけさー。冷蔵庫の中に玉ねぎとニンジンがあったから、使ったよ。あと、スパム新しく開けた。ダシがなかったからちょっと洋風になってるけど、いいよね? ご飯炊けてるよ。お汁はインスタントの味噌汁ね。海苔と梅干どうする? 出そうか?」
てきぱきとテーブルウェア(といっても箸とかを置いているだけだが)が調えられ、それなりに朝食らしきものが並べられていく。まさしくホームドラマだ。僕は口が利けなかった。ただ、頷いて椅子に腰掛けた。
召し上がれうさがみそーれー
箸を取り、両手を合わせた。
ご馳走くわっちーさびら」
僕は自分を落ち着けるため、まず汁椀を取り、箸で軽くかき回して口元へ持っていった。二口啜ると、汁椀を置いて、パパヤーイリチャーに手を伸ばす。口の中にパパイヤの味が広がる。ダシの代わりに買い置きのスープストックを使ったのだろう、たしかに洋風っぽい。でも、間違いなくパパヤーイリチャーだった。
「おいしいよ」
「よかった!」
多恵子は得意満面である。僕は何度も皿に手を伸ばし、パパヤーイリチャーを食べた。おいしい。本当においしい。僕のためだけにつくられたご飯だもんな。
僕のためだけに……多恵子が、作ってくれた。そうだ。僕のために。

気がつくと僕の視界はぼやけ、手は止まっていた。
胸がいっぱいだった。年甲斐もなく、子供みたいに、「わーん」と泣いていた。
「どうしたの、勉、勉?」
多恵子はびっくりして立ち上がると、近くにあったタオルを取って僕に渡し、僕を抱き寄せて背中をぽんぽんと叩いた。

うれしい、と言いたかった。僕のためにご飯を作ってくれて、とても、とてもうれしい、と。でも激しい嗚咽で全く言葉にならなかった。僕はひたすら、わんわん泣き続け、眼鏡を外し、渡されたタオルに目をこすりつけた。カッコ悪いことに鼻水まで出てきたが、涙は滝のように流れ、全然止まらなかった。
彼女はずっと僕を抱きかかえ、リズミカルに背中を叩き続けた。やがて、僕はゆりかごに揺られているような満たされた気分を味わっていた。

実は、この後どうなったのか、さっぱり記憶がない。あろうことか夜勤明けで疲れていた僕は、そのままの体勢で眠ってしまったらしいのだ。以下、多恵子にバトンタッチするが、勝手ながらこの内容については一切ノーコメントとさせていただく。とにかく、次章へTo be continued.
……というか、コメントなんか、できるわけがないだろ! あー、やってらんないよ、全く。

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声が小さくなったから、泣き止んだかなーっと思って、勉見たらさ、これは寝てるわけよ。まさか、食卓で寝かせる訳にはいかないからさ、揺すって起こそうとしたんだけど。全然起きない。
だからあたし、タオルどけて勉の顔拭いてあげて、ほっぺたつっ突いて
きりよー、きり!」
って言ったのよ。そしたら、半分だけ目をあけて、
「眠たーい」
って。
「ここで眠ったらダメでしょ、ちゃんとベッド行こうね? はい、立って!」
って急かしたらさ、
「はーい」
と立派に返事だけはするんだけど、椅子からなかなか立ち上がらない。大変だったよー、175㎝もある人だから、引っ張ってなんとか肩に寄りかからせて、ベッドまで連れて行ったさ。やっとベッドにたどり着いて、座らせて、靴と靴下脱がせて。でさ、あたしは勉のパジャマを取ってきたのね。着替えさせようと思って。まさか洋服着たまま寝かせられないでしょ?
でも勉は、そのままベッドに倒れこもうとしてるわけ。あたしが
「ダメでしょ、そのまま寝たら、服がまーじゅーくーじゅー (しわくちゃ)なるよ、着替えなさい」
って言ったら、首振ってるのよ。
「イヤ、もう、寝る!」
って。だからもう一回
「ダメでしょ? 言うこと聞いて!」
って説得したら、勉は子供みたいに両手を前に伸ばして、甘ったれた声で
「脱がせてー」
って。あたし、思わず笑っちゃった。そしたらさ、
「なんで笑うの? 脱がせてくれなかったら、寝る。おやすみ」
って、また蒲団被ろーするから、仕方ないさ、脱がせてあげたよ。袖のボタンとか全部外して。本当に、大きな子供みたいだったさー。サザンにも、あんな患者さんはいないよ?
で、なんとかパジャマ着けてくれて、やれやれと思って、蒲団被せて離れようとしたんだけど、勉はあたしの服の裾ずっと捕まえて離さんわけよ。
「どこ行くの? 一緒に眠ろう?」
って。あたし、しっかり八時間眠ったし、頭のふらふらも治っていたから、ゆっくり勉の指を一本一本外して、
「ダメよ、ちゃんと眠りなさい」
って言ったのよ。したらさ、勉は目を半分開けて、膨れっ面して、
「じゃあ、おやすみなさいのキスして」
って、唇尖がらしてさー。あははは! 今思い出しても、あの顔は笑えるよ! 写真撮っとけば良かったね?

……いや、ですから、ノーコメントですってば。(汗)
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