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5.入院風景 三日目昼〜退院、その後
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At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; February 16, 2003.
At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; 2006.
The narrator of this story is Akane Sato.
午後、見舞い客が現れた。
小柄で、栗色の髪をポニーテールにしている。いかにも沖縄人らしい太い眉毛に、大きな黒い瞳、そして鼻ぺちゃ。美人ではないけど愛くるしい顔だ。
「えっと、どなたでしたっけ?」
あたしはその女性に見覚えがなかった。でも、女性はにっこり笑ってこう告げた。
「上間勉の家族でーす」
上間勉? 誰だっけ?
「ほら、そこに名前があるでしょ?」
女性はベッドのネームプレートを指差した。
「あんな主治医でも役に立ちますかしら?」
ええ? 主治医のご家族が患者を見舞ってるの? 普通、そういうのって、ありえる?
すると、女性は首をすくめた。
「いやー、バレンタイン・デーに帰ってこなかったものだから、問い詰めたわけよ。そしたら、女性の入院患者さんに一晩付きっきりだったって白状したもんから、確かめにきました」
おいおい、上間先生。バレンタイン・デーに奥さん放っておくのはまずいでしょう?
あたしは、思わず吹き出してしまった。首を振って笑いながら叫んだ。
「浮気なんかしてませんよー」
「いや、全然、疑ってはないよ」
そんな、否定しなくってもいいよ。奥さん、顔が赤いです。
「はい、ポテトチップス。お嫌いでなかったら」
思わぬ差し入れにびっくりした。すごい! 奥さん、気が利く!
あたしたち二人は、まるで長いつきあいの友人のように、ポテトチップスを食べながらおしゃべりに花を咲かせた。
「あたし、昔ここでナースしてたから。若い患者さん、みんなポテトチップス食べてた」
奥さん、いや、多恵子さんはそうつぶやきながら、チップスを一度に三枚も摘んで口に運んだ。
「一昨年のバレンタイン・デーに仕事してたら、流産しちゃってねー」
え? 流産しちゃったの?
「ちょうど、あの辺で倒れた」
多恵子さんは何でもないことのように、近くの廊下を指差した。
「一昨日、あの子の命日だったのに、あれは帰ってこなかったものだから」
やっと、事態を把握できた。そりゃあ多恵子さんが怒って当然だわ。
「自分の子供の命日に自殺未遂の患者さん見て、居ても立ってもいられなかったみたいでさ。あの子の代わりに佐藤さん助けようって思ったみたいよ」
ごめんなさい。あたしが手首なんか切っちゃったから、先生は帰れなくなってしまったんだね。
帰る間際にあたしが運ばれてきたから、白衣を着る暇がなかったんだ。
「もう、死なんでよ?」
多恵子さんはそう言って、にっこりした。
あたしも、こくんと頷いた。
夕方、上間先生が回診に来た。左手首の包帯を取り替える。
自分で言うのもなんだけど、うわ、こんなに切ってたんだ。我ながらよくやったよ。あ、褒めてませんから。全然。あきれているだけで。
「状態はいいね。明日からシャワーOKですけど、患部は濡らさないようにしてくださいね」
よかったー。冬場だから我慢できるけど、拭くだけじゃもうイヤだ。って、自分がまいた種でしたね。そうそう。報告しとかなくっちゃ。
「奥さん、お昼にいらしてましたよ」
「い?」
先生、目が点になってるよ? こんな正直者だったらあまり医者に向いてないんじゃないかなー。
「……何の話をしたの?」
「内緒でーす」
あたしは舌を出して答えた。
もうあたしは邪魔しませんから。おうちで直接、多恵子さんから聞いてね。
二月十八日、あたしはサザン・ホスピタルを退院した。
とりあえず簡単な一般事務の仕事を見つけて、その年の夏には借金を全部返した。
ついでに、別のいい男も見つけといた。前の男よりずっと、ずっといい男だ。
今だからわかる。あたしは焦っていた。両親の元からさっさとオサラバしたくって、結婚という体のいい口実を探していたのだ。そして、ダメ男に引っかかった。
だから、今度は騙されないように、しっかり相手を見て付き合おうと心がけている。時間をかけてゆっくりと。いわゆる自然体ってやつです。焦らないで結果を待てる。そういう意味では人間として成長できたかな。
でも、ちょっとだけ思う。あたし手首切る必要はあったのかなーって。コレ、冬場になるとうずくんだよねー。カイロ必携です。
ま、仕方ないか。成長した証しだ。もう自分の体を傷つけるバカなことはしない。自分を大事にすることが相手を思いやることに繋がるって、しっかりとわかったから。
今でもあたしは、暇を見つけてサザン・ホスピタルへ行く。リハビリルームの介助ボランティアという名目で、上間先生に会いに。
たまーにだけど、多恵子さんや、お子さんたちに会うこともある。これがまた笑っちゃうくらい多恵子さんにそっくりなんだわ。スタッフや患者さんたちの人気者なんだけど、リハビリルームいっぱい暴れまわるので、いつも上間先生が苦笑いしながら松葉杖片手に追いかけている。
いつまでも、家族仲良くね。お幸せに。
あたしもそのうち、負けないくらい、幸せになるもんね。
(リストカット FIN)
At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; 2006.
The narrator of this story is Akane Sato.
午後、見舞い客が現れた。
小柄で、栗色の髪をポニーテールにしている。いかにも沖縄人らしい太い眉毛に、大きな黒い瞳、そして鼻ぺちゃ。美人ではないけど愛くるしい顔だ。
「えっと、どなたでしたっけ?」
あたしはその女性に見覚えがなかった。でも、女性はにっこり笑ってこう告げた。
「上間勉の家族でーす」
上間勉? 誰だっけ?
「ほら、そこに名前があるでしょ?」
女性はベッドのネームプレートを指差した。
「あんな主治医でも役に立ちますかしら?」
ええ? 主治医のご家族が患者を見舞ってるの? 普通、そういうのって、ありえる?
すると、女性は首をすくめた。
「いやー、バレンタイン・デーに帰ってこなかったものだから、問い詰めたわけよ。そしたら、女性の入院患者さんに一晩付きっきりだったって白状したもんから、確かめにきました」
おいおい、上間先生。バレンタイン・デーに奥さん放っておくのはまずいでしょう?
あたしは、思わず吹き出してしまった。首を振って笑いながら叫んだ。
「浮気なんかしてませんよー」
「いや、全然、疑ってはないよ」
そんな、否定しなくってもいいよ。奥さん、顔が赤いです。
「はい、ポテトチップス。お嫌いでなかったら」
思わぬ差し入れにびっくりした。すごい! 奥さん、気が利く!
あたしたち二人は、まるで長いつきあいの友人のように、ポテトチップスを食べながらおしゃべりに花を咲かせた。
「あたし、昔ここでナースしてたから。若い患者さん、みんなポテトチップス食べてた」
奥さん、いや、多恵子さんはそうつぶやきながら、チップスを一度に三枚も摘んで口に運んだ。
「一昨年のバレンタイン・デーに仕事してたら、流産しちゃってねー」
え? 流産しちゃったの?
「ちょうど、あの辺で倒れた」
多恵子さんは何でもないことのように、近くの廊下を指差した。
「一昨日、あの子の命日だったのに、あれは帰ってこなかったものだから」
やっと、事態を把握できた。そりゃあ多恵子さんが怒って当然だわ。
「自分の子供の命日に自殺未遂の患者さん見て、居ても立ってもいられなかったみたいでさ。あの子の代わりに佐藤さん助けようって思ったみたいよ」
ごめんなさい。あたしが手首なんか切っちゃったから、先生は帰れなくなってしまったんだね。
帰る間際にあたしが運ばれてきたから、白衣を着る暇がなかったんだ。
「もう、死なんでよ?」
多恵子さんはそう言って、にっこりした。
あたしも、こくんと頷いた。
夕方、上間先生が回診に来た。左手首の包帯を取り替える。
自分で言うのもなんだけど、うわ、こんなに切ってたんだ。我ながらよくやったよ。あ、褒めてませんから。全然。あきれているだけで。
「状態はいいね。明日からシャワーOKですけど、患部は濡らさないようにしてくださいね」
よかったー。冬場だから我慢できるけど、拭くだけじゃもうイヤだ。って、自分がまいた種でしたね。そうそう。報告しとかなくっちゃ。
「奥さん、お昼にいらしてましたよ」
「い?」
先生、目が点になってるよ? こんな正直者だったらあまり医者に向いてないんじゃないかなー。
「……何の話をしたの?」
「内緒でーす」
あたしは舌を出して答えた。
もうあたしは邪魔しませんから。おうちで直接、多恵子さんから聞いてね。
二月十八日、あたしはサザン・ホスピタルを退院した。
とりあえず簡単な一般事務の仕事を見つけて、その年の夏には借金を全部返した。
ついでに、別のいい男も見つけといた。前の男よりずっと、ずっといい男だ。
今だからわかる。あたしは焦っていた。両親の元からさっさとオサラバしたくって、結婚という体のいい口実を探していたのだ。そして、ダメ男に引っかかった。
だから、今度は騙されないように、しっかり相手を見て付き合おうと心がけている。時間をかけてゆっくりと。いわゆる自然体ってやつです。焦らないで結果を待てる。そういう意味では人間として成長できたかな。
でも、ちょっとだけ思う。あたし手首切る必要はあったのかなーって。コレ、冬場になるとうずくんだよねー。カイロ必携です。
ま、仕方ないか。成長した証しだ。もう自分の体を傷つけるバカなことはしない。自分を大事にすることが相手を思いやることに繋がるって、しっかりとわかったから。
今でもあたしは、暇を見つけてサザン・ホスピタルへ行く。リハビリルームの介助ボランティアという名目で、上間先生に会いに。
たまーにだけど、多恵子さんや、お子さんたちに会うこともある。これがまた笑っちゃうくらい多恵子さんにそっくりなんだわ。スタッフや患者さんたちの人気者なんだけど、リハビリルームいっぱい暴れまわるので、いつも上間先生が苦笑いしながら松葉杖片手に追いかけている。
いつまでも、家族仲良くね。お幸せに。
あたしもそのうち、負けないくらい、幸せになるもんね。
(リストカット FIN)
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