悪役転生〜主人公に全てを奪われて追放される踏み台悪役貴族に転生した〜

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あの女

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 一歩一歩近づくたびに、心の奥で冷たいものが広がっていくのを感じた。
 思い起こされるのは敗北の記憶。
 あのとき、剣を握る手は震え、足は鉛のように重かった。
 手も足も出なかった、昨日の大敗の記憶――そして、敗北を認めずに惨めにも足掻き続けたみっともなく、惨めな自分の姿だ。

「おう、また来たのか……」

 少し掠れた、しかし艶を含んだ声が響いた。
 彼女は背を向けたまま近づく足音の主を察していた。
 因縁深い相手のはずだ。
 しかし、それでも彼女は振り返らない。
 背後からの奇襲すら意に介さない。

「昨日ぶりだな」

 俺は女に言った。

「そうだな」
「昨日の借りを返しに来た。一勝負と行こうではないか」
「お前なぁ……」

 女は頭をガシガシと掻きながら、ようやく振り返った。
 燃えるような赤い髪が朝日にきらめく。

 レベッカ――それが彼女の名だ。

 年の頃は二十代半ば。長身にスラリとした手足、豊満な肢体。
 肉食獣を思わせる獰猛な眼差しと、貴族の気品を併せ持つ整った顔立ち。
 その存在感だけで場の空気を変える女だ。

 彼女は主人公ローランと縁深い人物。

 【ブレイヴ・ヒストリア】の世界では、彼女はローランの強力な協力者になり、やがてレクス・サセックスを領地から追い出すきっかけを作る。

 果ては主人公ローランに、レクス・サセックスを倒す秘術を授ける人物でもある。

 つまり、俺にとっては天敵と言える人物。

「お前、昨日あんな醜態晒しておいて、よくもまぁ、私の前にそのツラを見せられたもんだな」

 呆れ顔のレベッカが言った。

「過去は過去。昨日までの俺とは一味も二味も違うのだ」
「……昨日の今日でそんなに変わるわけないだろ。強さってのは一朝一夕で身につくもんじゃない。だから日々の積み重ねが大事なんだよ。高名な天才サマは努力なしでいきなり強くなるってか? はッ!」

 レベッカは鼻で笑う。

「お前の言っていることも分からなくはないが、今の俺は昨日とは別人と言っていい。それに男子三日会わざれば刮目して見よ、というではないか」
「なんだって?」
「男の子の成長は早いのだ。三日も会わなければ相手を侮るなということわざだ」
「よく分からんが。あんたとは昨日会ったばかりだろうが?」
「もはや俺くらいになると一晩で劇的に変わるのだ。完全に別人と言っていい」
「別人ってな……」
「ああ、そうだ、ある意味では、別人だな……ふふ」
「はぁ……」

(——懲りないガキだ——)

 レベッカは深いため息をついた。
 昨日あれだけ派手に負けた相手が、翌朝この態度。まともな神経の持ち主ならありえない。

(——分かります、すっごい気持ちは分かりますッ! だから今の変なレクス様の相手をしないでくださいッ——!)

 ミリアムは拳を握りしめてレベッカに同意する。

「じゃあ……うん? それで? 天才サマは一体何が変わったっていうんだ? 私には違いが分からないんだ、教えてくれよ……ははッ!」

 レベッカは両手を広げ、煽るように言う。

「……ふむ。そうだな、いろいろ変わったのだが——強いて言えば俺は、昨日の俺より格好良くなった」
「は?」
「確かに、昨日までの俺も良かったが、今日の俺は昨日の俺よりもっと格好良い」

 俺は自信たっぷりにレベッカにそう返した。

「は?」
「昨日までの俺も格好良かったが、今日の俺は昨日の俺よりもっと格好良い。そう思わないか?」
「なんか……お前ってそんな奴だったっけ? 自分でそんなこと言ってて恥ずかしくないのか?」
(そうですッ! そうですッ! 言ってやってくださいレベッカさんッ!)
「何が恥ずかしいというのだレベッカよ。俺は超格好良いだろ?」
「まぁ、お前、確かに顔はそれなりにいいよ。でもまぁ、そこまでじゃないな……」

 身を乗り出す俺を、上から下まで値踏みするように眺めると彼女はこう言った。

「な、なんだと……ッ! お、お前…ッ! お前……ッ!」

 その言葉を瞬間——俺の心臓に雷が落ちたような衝撃が走った。

――そ、それなりだと……ッ! お、俺のこの顔を見てだと……ッ! こ、この女……どこかおかしいのではないか……! この俺にそんな評価を下すなんて……!

 なんという侮辱。
 なんという屈辱。
 だが、落ち着け深呼吸だ。俺は深く息を吸い、冷静さを取り戻す。
 今の俺は大人の余裕を身につけた男なのだ。
 そう簡単に取り乱さないし、癇癪など起こさない。
 そして、思いつく。

――恐らくこいつは少数派マイノリティだ。

 世の中には変わった価値観の人間もいる。
 即ち、女は皆、顔が良い男が好きというのは固定観念に過ぎない。
 不細工な男性を愛する女性もいれば、逆もまた然りではないか?
 人の好みは千差万別。変わった価値観の女もいるのだ。

「じゃあ、レベッカにとって本当に格好良い男とはどんな男なんだ?」
「そうだな……強い男。私よりも強い男――ッ!」

 レベッカはわずかに目を細め、口元に笑みを浮かべて言った。

「なるほどな……ふふ……はははッ! そういうことか」

 その言葉に俺も勝利の高笑いを上げた。
 やはり俺の予想通りだ。

——やっぱり、こいつは少数派マイノリティだ。

 自分より強い男が好きなんて恥ずかしげもなく言ってのける女なんて殆どいない。
 コイツみたいな女傭兵か、女冒険者くらいなものだ。
 そもそもレベッカより強い男なんて、この世界にどれほどいる? 
 いや、ほとんどいないだろう。
 つまりこの女に、本当に男の良さなんて分かるわけがない。

「変わった女だなお前……」

 俺は少し呆れように言った。

「……今の、お前ほどじゃないがな」

 レベッカは少しのジト目で言った。

「なら、また今から俺ともう一度勝負するのだな。この俺がお前に見事勝利し、お前に俺の格好良さを認めさせてやろうではないか……ッ!」

 俺は堂々と宣言した。
 その瞬間、訓練場の空気がピタリと止まる。怒号も剣戟も止まり、全員の視線が俺とレベッカに集まった。

「……あのガキ……」
「レクス様……」
「……おいおい……」

 そして、少しの静寂のあと――
 はぁーという、誰かのため息だけが静かに木霊した。
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