悪役令嬢はゲームのシナリオに貢献できない

みつき怜

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5 (イスハーク)王子は揺らぐ

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 どれだけ冷たくあしらっても、離れようとしなかったハティスが自分の前からいなくなろうとしている。

(婚約を考え直すと言い出したのは私だ。そしてハティスは同意した。しかし、私の心は嫌だと叫んでいる……)
 

  
 
「先程のアレをどう思う……?」
 
 イスハークは執務室に残っているダヴィトとスヴァーリに問いかけた。

「アレって、ハティスちゃんの事?」
 
 長椅子の背にもたれていた身体を起こし、コルクト辺境伯の嫡男スヴァーリが返事した。自分の婚約者を馴々しく呼ぶな、と注意する事さえ忘れるくらいイスハークは動揺していた。
 
「そうだ。様子がいつもと違うと思わなかったか?」
 
「いつも通り、かわいかったよ。ああ、後悔してるの?散々ハティスちゃんに冷たくしておいて、捨てられそうになって焦りだした?いや、もう捨てられたか」 
 
「スヴァーリ、発言に気をつけろ。いくらなんでも気やすく話し過ぎだ、不敬だぞ」
 
 咎めたダヴィトを無視して、スヴァーリはイスハークに向かって騎士の礼を取った。
 
「殿下、これまでもご忠告をしたはずです。ご婚約者殿は大切にと」
 
 それからダヴィトへ向き合うと、スヴァーリは心底軽蔑するように言い捨てた。
 
「最低だね、か弱い女の子を力で押さえつけて。涙目で見据えられて怯んでさ、みっともない」

「貴様っ!」

「図星だからってカッとなるなよ」

「黙れ――!」
 
 不穏な二人を視界の隅に捉えながら、イスハークは額に手をやった。
 
(捨てられた。ハティスが、私を……?)

 イスハークの心が揺らぐ。感情的になるなんて愚かしい事だと思っていた。
 
 なのにこんなに動揺してしまうなんて。

  
 いつからハティスとの関係が拗れてしまったのか。

 婚約してすぐの頃は上手くいっていた。3歳年下のハティスがかわいくて、いずれ自分の妻になるのだと誇らしく思っていた。ハティスもイスハークを慕ってくれていた。
 




 
 王宮で茶会が催された日。心地よい澄んだ声に振り返ると、空色のドレスを着た、茶色の髪の少女がいた。エクシオウルではありふれた色だ。だが彼女が纏うチョコレートのような髪はふわふわして特別なものに見えた。
 
 型通りの挨拶が終わるとハティスは庭園に行ってしまった。他の貴族たちとは全く違う彼女の行動がイスハークの心に残った。

 参加者たちとの挨拶を終え、ようやく追いかけた先にはハティスの他にシャルトもいた。

 宰相である父と共に小さな頃から王宮を訪れていたシャルトは大人びていて、気が合い共に勉学に励む仲だ。だがなぜハティスの隣にいるのか。

(私はまだ彼女と話ができていないのに……)

 花にふんわり微笑むハティスを側で見たくて、親しげな様子の二人に近づいた。
 
「なにをしている?」
「殿下」
 
 シャルトが返事をしようとするのを制した。もう一度ハティスの声が聞きたかったから。
 
 ハティスがこちらに視線を向け、大きな瞳にイスハークが映った。ただそれだけでうれしかった。
 
「王立学院のお話をシャルト様に教えてもらったのです」

「ハティス嬢が興味をお持ちの図書館について説明をしていました」
 
 微笑み合う二人にイスハークは嫉妬した。こんな感情は初めてだったから困惑した。
 
「二人は知り合いだったのか?随分打ち解けているな」
 
「いいえ、今日のお茶会で初めてお会いしました」
 
 シャルトが答え、また二人が微笑み合う。

(初めて会う……?ではなぜ名前で親しげに呼び合うのか。私には一度も微笑んでくれないのに)
 
 ハティスに話しかけようとした時だった。

 
「イスハーク様」

 
 甘い声がイスハークを縛った。
 
 学院に通うアレイナ・エシャー伯爵令嬢がイスハークの腕に手をかけ、ハティスと話す機会は奪われた。
 
「あなたは……?」
 
 アレイナがハティスに不躾な視線を向ける。
 
 ハティスの実家であるフスレウ侯爵家は王国の中でも特に歴史が長い名家で、まだ幼いとはいえハティスは格下であるアレイナから声をかけてはいけない存在。貴族のルールの一切を無視するアレイナをイスハークは煩わしく思った。
 
 だがハティスは気を悪くした様子を見せず礼儀正しく対応した。
 
「はじめまして。フスレウ侯爵家、ハティスと申します」
 
 あどけなさが残る心地よい澄んだ声。アレイナをまっすぐに見つめるハティスの美しく凛とした姿にイスハークは見惚れた。
 
 しなだれかかるアレイナが瞳を細めて小さく呟いた。
 
「まぁ、あなたが……ようやくね?」
 
(ようやくとはどういう意味だ……?)

 その意味はわからないまま、ハティスと別れ茶会の場へアレイナと共に戻った。
 


 その日の夜、父である国王陛下にハティスとの婚約を願い出た。伴侶を選ぶなら彼女がいい、彼女しか要らない、と。

 あれだけ聡く美しい。自分以外の男が彼女に触れるなんて許せなかった。これまで全く興味を示さなかった婚約者に関する願いに、陛下はすぐに承諾した。
 
 だがフスレウ侯爵がよい返事をしない。

 侯爵とハティスの兄であるディライルは彼女を溺愛していた。まだハティスは幼い、そう言ってイスハークの求婚を退けようとする。ようやく侯爵が頷き婚約を結んだのは茶会から三ヵ月を過ぎた頃だった。王命を前にさすがの侯爵家も頷くしかなかった。

 かわいい婚約者を手に入れた。それなのにこの四年なにをしていたのか……
 
 いつからかハティスはイスハークを見ると、泣きそうな表情をするようになった。それが嫌で彼女を遠ざけた。



(茶会の場でなにが起きた……?)
 
 止めて、とハティスが叫んだ。悲痛な声に胸が締め付けられ苦しくなった。
 
 駆けつけるとアレイナが押されたのだと涙を零しながら説明した。だが地面に倒れるように跪いていたのはハティスの方だ。イスハークが手を差し出す前に、ダヴィトが彼女を執務室に連れて行った。ハティスはずっとうわの空だった。

 深く考えようとすると薄い靄がかかり、それ以上進めなくなる。このままではハティスを失ってしまう……
 
 なぜあんな酷い言葉を口にしたのか。婚約を考え直すなんて本心からではない。嫌だとハティスに泣いて縋ってほしかったのか。だが彼女は静かに受け入れた。お互い好きでもないのだからと、その言葉がイスハークの心を抉った。
 
(慕ってくれていたではないか。侯爵家の者として王家への、私への義務を果たそうとしてくれていたではないか。他の誰のものにもならないで……)
 
 縋っているのは、イスハークの方だ。




 ふ……と、イスハークの意識は他へ向けられた。ハティスを追いかけたシャルトが執務室に戻ってきたが表情は険しい。
 
「ハティスはどうした?」
 
「中庭近くで見つけましたがシェリノール団長が連れて行ってしまいました。申し訳ありません、殿下」
  
「なぜレヴェントが?」

 白い隊服を纏った秀麗な男が浮かぶ。彼のいる近衛騎士団の建物とは全く反対に位置する場所になぜレヴェントがいたのか。
 
「わかりません。私から謝罪はしましたがかなりご立腹の様子でした。おそらくディライル殿にも今日の事はもう知られているでしょう」
 
 シャルトはダヴィトを見据えた。温和な彼にはめずらしく苛立ちを隠していない。
 
「なぜ手を出した?このまま放置せずフスレウ侯爵家に謝罪をするべきだ。できるだけ早めに。放っておけば大事になるぞ、ダヴィト」
 
「わかっている……」
 
 忠告を受けたダヴィトは苦い顔をした。一時の激高に流されて無抵抗の女子に手を出すなど、騎士として男として許されない。
 
 イスハークはハティスの事を考えていた。このまま彼女を失うわけにはいかない。執務室から去る前に自分を見据えた彼女の瞳の中には、これまでずっとあった悲痛の色がなかった。ハティスと話をしなければ。

 動揺している場合ではない、といつもの無表情で昂った感情を落ち着かせていた。 
 


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