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幸(さき)くあれ、真幸(まさき)くあれ
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ドス黒いヒルコの海の一点に、光が灯った。日の光に負けそうなほど弱々しい光だった。その光は、反物を広げたように放射状に白い筋が広がっていく。その光は、金色になるほど陽に成り切れていない、透明に近い黄色のヒルコだった。
帯は数を増やし、互いに結びつき、網となっていく。霞(かすみ)のように淡い光が滲みながら広がり、ヒルコの黒を塗り替えていく様は、雨雲の間にのぞいた晴れ間が、空を照らしだしていくようにも見えた。
白い光は色を替え、静楽の都は黄金(こがね)色光に覆われた。突然の変化に、戸惑った下級神達は、あるものは鼻で、あるものは触角で、様子を探る。
獅子の下級神が、犬のようにキャンキャンと悲鳴を上げた。足先が淡いヒルコに呑まれていく。湯に溶ける氷のように、獅子の姿はヒルコと一体化し消えていく。
やがてゆっくりと、ヒルコは土に染み込んでいった。地中に潜った力の塊は、土脈の流れに乗り、もと来た場所へと戻っていった。
玄室に続く道は、完全に崩落(ほうらく)してしまった。天井から剥がれ落ちた岩が、入り口を塞いでいる。玄室の前で、詩虞羅と朱は立ち尽くしていた。
山の中腹から見下ろせば、高さのある建物が少なくなったせいで、悲しいくらい見晴らしがよかった。瓦礫となった都から、いく筋も煙が上がっている。
唯一の救いは、建物がほぼ全壊したなかで、頑丈な造りの内裏や占司殿が残っていたことだ。文字通り、巫女の祈りが通じたのだ。ヒルコの進みが遅かったため、ほとんどの者が避難することができたのも幸いだった。
「お前だけでも救えてよかった、薙覇」
大仕事をした魁の頭をなでながら朱は言った。今回のことで、薙覇はかなり苦しんだし、これからも苦しむだろう。しかし、死ぬよりはましだ。
「私は、死ぬべきでした。柚木様と一緒に」
朱に無理やり薬を塗られた胸の傷を押さえて、詩虞羅は塞がれた墓の入り口をみた。和神になりきれない生(せい)の力に触れた場所は、山肌は荒れ、岩は苔がむし、蔦がからまり、まるで長い年月を経たような姿になっている。荒ぶる神かヒルコが通った跡か、大蛇が地下で這い回ったようにあちこち土が盛り上がり、また穴が空いていた。
あれから、核を浄化された玲帝の荒ぶる神は、巨大な和神(にぎがみ)となった。浄化された金色のヒルコが力を貸した形となり、その力は隅々までおよび、荒ぶる神達を浄化して散っていった。。
「柚木様は自分の命で過ちをつぐなった。しかし私は? 私が柚木様に真実を隠していた罪は? 柚木様の心を支えてあげられなかった罪は?」
朱はふん、と鼻を鳴らした。
「いまさら、それを償うことができると思うのか」
そして小さくため息をつく。
「すんだことだ、薙覇」
朱は都を見下ろした。結界で守られていた内裏も、半分ほど倒壊している。助かった人々が、瓦礫の下に閉じこめられた人を助けだそうと奮闘していた。
「後は、なんとかして鹿子は柚木の遺品でも見つかれば……」
魁が、吠えた。ふさがれた玄室への入り口にむかって。
「うるさいぞ魁! 今大事な話をしようとしているのじゃ」
しかし魁は鳴き止まなかった。それどころかますます興奮して、陵墓の入り口まで走り、前脚で地面を掻き始める。
「本当になにかあるのか」
朱は地面に手をついた。地面の下を血潮のように流れる気脈とヒルコを探る。
「なんと……」
朱はそれきり言葉が出なかった。
「生きているのか? 待っておれ、今助けてやる!」
人手が必要だ。朱は占司殿にむかって走りだした。
「しかし…… 奇跡って本当にあるんですねえ。よくもまあ、生きていたものです。お互いに」
淘汰は改めて自分の体を見下ろした。
確かに、彼はすごい格好だった。土と血で、もとの色もわからないほど変色した衣。角髪(みずら)は解け、肩に髪がかかっている。
「ヒルコが浄化され、死から生の力になって、それが死んでた俺らの命を甦らせた、か。なんの冗談だ、って感じだな」
殺嘉も淘汰と同じような格好だった。着物の胸に開いた穴からは、傷一つない肌がのぞいている。
三人の近くには、土が小さな山を作っていた。その傍に、誰かが忘れた鍬(クワ)が置かれっぱなしになっていた。
あの時、棺の傍にはヒルコが通った跡が穴として残っていた。地下をヒルコが流れたおかげで、玄室の近くには横穴が網のように広がっていた。まるで鉄や金を掘る坑道のように。鹿子達がつぶされずにすんだのは、その横穴の一つに逃げ込んだおかげだった。玄室がつぶれ、地下道に半ば生き埋めになった巫女と従者を堀り出してくれたのは、内裏に避難していた街の人々だった。
鹿子達を掘り出した人達は、無事に助かった三人に暖かい祝いの言葉を残すと、朱の指示で他に怪我人や人手が必要な所がないか探しに散っていった。きっと都では、とにかく動ける者なら誰でも欲しいほど仕事が山積みだろう。
「あはは、私もびっくりしたよ。まさか助かるとは思わなかったわ」
鹿子が苔の生えた地面に腰かける。ヒルコのおかげで傷つけられた足もすっかり治っている。
地中の空洞がつぶれ、土砂崩れがおきるかも知れないため、早くこの山から下りた方がいいのだろうが、今は少しだけ休んでいたい。
「まったく」
土で汚れた朱が鹿子の隣に立った。
帝ですら一目おく巫女達の長(おさ)、占司殿の主人は、鹿子達を助け出すため、自ら泥だらけになって町の人々と一緒に穴堀りをしてくれた。
「本当に、よくもまあ生きて帰れたものだの、鹿子。頼むからもう無茶はしないでくれ」
「そうですよ。本当にいい加減にしてくださいよ!」
珍しく淘汰の口調は怒っているようだった。
「朱様から聞きましたっ。何だって引き返したんですか。僕達なんか放っておいて逃げるべきだった!」
「だって、助けられるあてがあったのだもの」
鹿子はサラリと言った。
「そもそも、鹿子が従者を見捨てて逃げるような巫女だったら、お前が今まで一緒に戦ってかったと思うけどな」
殺嘉の言葉に、淘汰は、あきらめたような溜息になった。
「ヒルコに力を奪われた土地も、もとに戻るでしょう。完全に落ち着くのはまだまだだけど、大丈夫、じきに新しい和神が生まれますよ」
「それにしても……」
殺嘉は鹿子が大事に抱えているものをまじまじと見つめた。
「まさか、こんなになるなんてねえ」
殺嘉が穴の中で見つけ、鹿子に報告しようとしていたもの。それは赤子だった。
柚木の衣に包まれて、大人たちの注目をものともせず、生まれたばかりの赤子は鹿子の腕に抱かれすやすやと眠り続けている。ただし、普通の人間とは違い、信じられないほどの神気を持っていた。
「これは、柚木様。正確には柚木様の魂の欠片を核に生まれた和神。もしかして、大きくなったら、ふふ、柚木様そっくりの女神様になるのかも」
「は、はは、信じられない」
詩虞羅が手を伸ばしてきたので、鹿子は赤子を近づけてやった。しかし汚すのを恐れるように、詩虞羅はのばした手を引っ込める。
その代わり、というように赤子は、紅葉のような手を広げて詩虞羅の頬に触れた。まるでいつの間にか流れていた詩虞羅の涙を拭おうとしているように。
「で、柚木が死んだから、鹿子の呪いもとけた、か。奇跡って、こうほいほい起きるものだったっけか。ここまで運がいいと、いっそ気味が悪いぜ」
「考えすぎだよ、殺嘉」
顔をしかめた殺嘉に淘汰が言う。
「そうだ、これ。これを返してあげなくちゃ」
鹿子は懐から小さな玉の連なりを取り出した。それは希月の腕輪だった。浅葱色の腕輪を、赤子の小さな手首にかけてやる。
「柚木様の、命より大事な物よ」
「なるほど」
殺嘉が呻くように言った。
いつのまにか、日差しが昼の物になっていた。力尽きたように腰を降ろせば、緑の草が青い空に届きそうなほど高く香った。
帯は数を増やし、互いに結びつき、網となっていく。霞(かすみ)のように淡い光が滲みながら広がり、ヒルコの黒を塗り替えていく様は、雨雲の間にのぞいた晴れ間が、空を照らしだしていくようにも見えた。
白い光は色を替え、静楽の都は黄金(こがね)色光に覆われた。突然の変化に、戸惑った下級神達は、あるものは鼻で、あるものは触角で、様子を探る。
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やがてゆっくりと、ヒルコは土に染み込んでいった。地中に潜った力の塊は、土脈の流れに乗り、もと来た場所へと戻っていった。
玄室に続く道は、完全に崩落(ほうらく)してしまった。天井から剥がれ落ちた岩が、入り口を塞いでいる。玄室の前で、詩虞羅と朱は立ち尽くしていた。
山の中腹から見下ろせば、高さのある建物が少なくなったせいで、悲しいくらい見晴らしがよかった。瓦礫となった都から、いく筋も煙が上がっている。
唯一の救いは、建物がほぼ全壊したなかで、頑丈な造りの内裏や占司殿が残っていたことだ。文字通り、巫女の祈りが通じたのだ。ヒルコの進みが遅かったため、ほとんどの者が避難することができたのも幸いだった。
「お前だけでも救えてよかった、薙覇」
大仕事をした魁の頭をなでながら朱は言った。今回のことで、薙覇はかなり苦しんだし、これからも苦しむだろう。しかし、死ぬよりはましだ。
「私は、死ぬべきでした。柚木様と一緒に」
朱に無理やり薬を塗られた胸の傷を押さえて、詩虞羅は塞がれた墓の入り口をみた。和神になりきれない生(せい)の力に触れた場所は、山肌は荒れ、岩は苔がむし、蔦がからまり、まるで長い年月を経たような姿になっている。荒ぶる神かヒルコが通った跡か、大蛇が地下で這い回ったようにあちこち土が盛り上がり、また穴が空いていた。
あれから、核を浄化された玲帝の荒ぶる神は、巨大な和神(にぎがみ)となった。浄化された金色のヒルコが力を貸した形となり、その力は隅々までおよび、荒ぶる神達を浄化して散っていった。。
「柚木様は自分の命で過ちをつぐなった。しかし私は? 私が柚木様に真実を隠していた罪は? 柚木様の心を支えてあげられなかった罪は?」
朱はふん、と鼻を鳴らした。
「いまさら、それを償うことができると思うのか」
そして小さくため息をつく。
「すんだことだ、薙覇」
朱は都を見下ろした。結界で守られていた内裏も、半分ほど倒壊している。助かった人々が、瓦礫の下に閉じこめられた人を助けだそうと奮闘していた。
「後は、なんとかして鹿子は柚木の遺品でも見つかれば……」
魁が、吠えた。ふさがれた玄室への入り口にむかって。
「うるさいぞ魁! 今大事な話をしようとしているのじゃ」
しかし魁は鳴き止まなかった。それどころかますます興奮して、陵墓の入り口まで走り、前脚で地面を掻き始める。
「本当になにかあるのか」
朱は地面に手をついた。地面の下を血潮のように流れる気脈とヒルコを探る。
「なんと……」
朱はそれきり言葉が出なかった。
「生きているのか? 待っておれ、今助けてやる!」
人手が必要だ。朱は占司殿にむかって走りだした。
「しかし…… 奇跡って本当にあるんですねえ。よくもまあ、生きていたものです。お互いに」
淘汰は改めて自分の体を見下ろした。
確かに、彼はすごい格好だった。土と血で、もとの色もわからないほど変色した衣。角髪(みずら)は解け、肩に髪がかかっている。
「ヒルコが浄化され、死から生の力になって、それが死んでた俺らの命を甦らせた、か。なんの冗談だ、って感じだな」
殺嘉も淘汰と同じような格好だった。着物の胸に開いた穴からは、傷一つない肌がのぞいている。
三人の近くには、土が小さな山を作っていた。その傍に、誰かが忘れた鍬(クワ)が置かれっぱなしになっていた。
あの時、棺の傍にはヒルコが通った跡が穴として残っていた。地下をヒルコが流れたおかげで、玄室の近くには横穴が網のように広がっていた。まるで鉄や金を掘る坑道のように。鹿子達がつぶされずにすんだのは、その横穴の一つに逃げ込んだおかげだった。玄室がつぶれ、地下道に半ば生き埋めになった巫女と従者を堀り出してくれたのは、内裏に避難していた街の人々だった。
鹿子達を掘り出した人達は、無事に助かった三人に暖かい祝いの言葉を残すと、朱の指示で他に怪我人や人手が必要な所がないか探しに散っていった。きっと都では、とにかく動ける者なら誰でも欲しいほど仕事が山積みだろう。
「あはは、私もびっくりしたよ。まさか助かるとは思わなかったわ」
鹿子が苔の生えた地面に腰かける。ヒルコのおかげで傷つけられた足もすっかり治っている。
地中の空洞がつぶれ、土砂崩れがおきるかも知れないため、早くこの山から下りた方がいいのだろうが、今は少しだけ休んでいたい。
「まったく」
土で汚れた朱が鹿子の隣に立った。
帝ですら一目おく巫女達の長(おさ)、占司殿の主人は、鹿子達を助け出すため、自ら泥だらけになって町の人々と一緒に穴堀りをしてくれた。
「本当に、よくもまあ生きて帰れたものだの、鹿子。頼むからもう無茶はしないでくれ」
「そうですよ。本当にいい加減にしてくださいよ!」
珍しく淘汰の口調は怒っているようだった。
「朱様から聞きましたっ。何だって引き返したんですか。僕達なんか放っておいて逃げるべきだった!」
「だって、助けられるあてがあったのだもの」
鹿子はサラリと言った。
「そもそも、鹿子が従者を見捨てて逃げるような巫女だったら、お前が今まで一緒に戦ってかったと思うけどな」
殺嘉の言葉に、淘汰は、あきらめたような溜息になった。
「ヒルコに力を奪われた土地も、もとに戻るでしょう。完全に落ち着くのはまだまだだけど、大丈夫、じきに新しい和神が生まれますよ」
「それにしても……」
殺嘉は鹿子が大事に抱えているものをまじまじと見つめた。
「まさか、こんなになるなんてねえ」
殺嘉が穴の中で見つけ、鹿子に報告しようとしていたもの。それは赤子だった。
柚木の衣に包まれて、大人たちの注目をものともせず、生まれたばかりの赤子は鹿子の腕に抱かれすやすやと眠り続けている。ただし、普通の人間とは違い、信じられないほどの神気を持っていた。
「これは、柚木様。正確には柚木様の魂の欠片を核に生まれた和神。もしかして、大きくなったら、ふふ、柚木様そっくりの女神様になるのかも」
「は、はは、信じられない」
詩虞羅が手を伸ばしてきたので、鹿子は赤子を近づけてやった。しかし汚すのを恐れるように、詩虞羅はのばした手を引っ込める。
その代わり、というように赤子は、紅葉のような手を広げて詩虞羅の頬に触れた。まるでいつの間にか流れていた詩虞羅の涙を拭おうとしているように。
「で、柚木が死んだから、鹿子の呪いもとけた、か。奇跡って、こうほいほい起きるものだったっけか。ここまで運がいいと、いっそ気味が悪いぜ」
「考えすぎだよ、殺嘉」
顔をしかめた殺嘉に淘汰が言う。
「そうだ、これ。これを返してあげなくちゃ」
鹿子は懐から小さな玉の連なりを取り出した。それは希月の腕輪だった。浅葱色の腕輪を、赤子の小さな手首にかけてやる。
「柚木様の、命より大事な物よ」
「なるほど」
殺嘉が呻くように言った。
いつのまにか、日差しが昼の物になっていた。力尽きたように腰を降ろせば、緑の草が青い空に届きそうなほど高く香った。
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