姫と道化師

三塚 章

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一章

夜の蝶集いし花園3

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「な、なんだ、一体」
 ラティラスの出した声は情けなく裏返っていた。
 焼け落ちたカーテンの隙間から飛び込んできた銀光が、サーシャの肩をかすめていく。小さく声を上げ、サーシャは傷を押さえた。その白い、細い指から血がしみだしてくる。
「サーシャさん!」
 ラティラスはサーシャを引き寄せ壁に身をよせた。窓の真横のここならば、角度的に矢は 届かないはずだ。
 また破裂音がして、残っていたガラスが割れる。先端にビンをつけた矢が撃ち込まれて来た。床に叩きつけられ、飛び散ったビンからは液体が流れ出る。
「油?!」
 ラティラスの言葉は悲鳴に近かった。
 矢は次々に撃ち込まれ、もう狭い部屋の床は乾いている部分が少ないほどだった。燃えやすい加工がしてある油なのだろう。ツンと鼻につく匂いがした。
「なんだってこんなことを……」
 サーシャの問いに対する答えのように、火矢が撃ち込まれ、一気に炎が広がった。
 階下で、悲鳴と焦ったような話し声が聞こえた。
「あんた達、いきなりズカズカ入り込んできて、一体なんなの?」
 そして階段を上がって来る複数の足音。
 ドアノブがガチャガチャと揺れる。
 その言葉と気配から察するに、見知らぬ誰か――多分黒ずくめの男達――が廊下でこの部屋のドアを取り囲んでいるのだろう。幸い、サーシャが鍵をかけたおかげで入ってこられないようだ。だが、ラティラスも廊下から逃げるのを防がれた形になる。
「女将、煙が……火事?」
 階下では娼婦と客の悲鳴に近い声が聞こえる。
 部屋の空気は熱くなる一方なのに、ラティラスの背筋にぞっと冷たい物が走った。
「蒸し焼きにするつもりですかい!」
 火は半ば部屋の半分をなめていた。
「はやく水を!」 
階下に下りて行ったらしく、女将の声はフェードアウトしていく。
(しかし、なんだってワタシが狙われるんで?)
 一国の姫であるリティシアが狙われるのなら分かる。しかし、自分はしがないただの道化師だ。わざわざこんな手間暇かけてまで殺す価値があるとは思えない。でなければ、部屋からあぶり出した所を捕えようとしているのか。
 ダン!
 鍵が開かない事にしびれを切らしたのか、襲撃者は力任せに扉を叩き始めた。
 このまま火は燃え広がれば、焼け死ぬしかない。さもなくば、扉を壊した賊達に殺されるか。
「留まるのもダメ、廊下もダメなら、第三の道を作りましょう! サーシャさん、そこにいて!」
 ラティラスは姿勢を低くして部屋を横切った。すかさず窓から飛んできた矢が体をかすめるようにしてどこかへ行った。
 幸い、靴は分厚い革を使った軍服用のままなので、小さな炎ならば耐えられる。ラティラスはベッドに駆け寄った。
「一体、何を……」
 サーシャの言葉は聞こえたけれど、応える余裕はなかった。
 さっき、サーシャが化粧箱を取り出したとき、引き出しの中は便箋やペンぐらいしかなかった。だとしたら、目的の物はどこか目につかない場所に隠してあるはずだ。
 ベッドの下をのぞくと、木箱が見えた。木箱を抱えたまま、床の火を避けてベッドに飛び乗る。
 ラティラスは乱暴に木箱の蓋を開けた。
 何かピンク色の液体の入った小瓶。大きな鳥の羽。乗馬用の鞭。不必要なほど赤い太いロウソク。
 使い道を考えれば鼻血が出そうな品々の中から、ラティラスがひっぱりだしたのは縄だった。
「あったぁ! こういう場所ならどこかにあるんじゃないかと思いましたよ!」
「ああ、その箱……私は使わないからすっかり忘れてたわ。場所がないからしまわせてってメグに押しつけられたんだった」
 サーシャが苦笑混じりに言った。
 ラティラスは縄の先端に燭台を括り付ける。ベッドを飛び降りると窓の横に貼りついた。 カーテンはすっかり燃え落ち、割れたガラスから外の景色が見える。
 下の道路からは娼婦と客の何人かが、この部屋を不安げに見上げている。
窓際の木の上には、サーシャを射った男が座っているのが見えた。
「サーシャさん!」
 手招きをするまでもなく、意図を察したサーシャが駆け寄ってくる。 
 風が止んだのを見計らって、ラティラスは燭台を枝に投げつけた。燭台の重さで縄が枝に巻き付く。
 同時に扉が開き、剣やナタを持った男がなだれ込んでくる。その黒づくめの恰好で、こやはり姫を襲ったのと同じ奴らだという事を知る。
 ラティラスは早口で囁く。
「いいですか、足に地面がついたらとにかく走るんです」
 サーシャの細い腰に腕を回し、しっかりと抱き締める。彼女も腕をラティラスの肩にまわした。
 ラティラスはロープを握りしめると窓のサンを蹴った。
「い~やっほう!」
 二人は弧を描いて窓から飛び出していった。ロープを通して枝のたわむのが伝わってくる。
 顏の横を矢と夜風が通り過ぎていく。その夜風に乗って、枝の軋む音。二人分の体重に耐えきれなくなって、とうとう枝が折れ、二人は道路に転がった。幸い地面に近い場所で放りだされたので、ちょっとしたかすり傷だけですんだ。
「さあ、走って!」
 ラティラスに言われるまでもなく、サーシャは駆け出した。
 それを見送るヒマもなく、ラティラスはアーチャーのいた木に向かって走る。けん制するように矢が飛んでくる。
 いったん木の根元まで駆け寄ってしまえば、葉や角度が邪魔になって真下にいるラティラスに矢を射かけるのは難しいはずだ。
 同じ事を考えたのだろう。木から矢筒を背負った男が飛び降りてきた。やはり黒い布を顔に巻いている。
 男の手が腰の剣に伸びる。
 抜かせてしまったらこっちが不利になる。必死にラティラスは飛びかかった。二人は道にもつれ合うように転がった。
 なんとかラティラスは男の両肩を石畳に押し付ける。
 男はラティラスをにらみつけ、布の間から荒い息を吐いていた。
「さあ、教えてもらいましょうか。リティシア様はどこです? アンタらの目的は?」
 男はもがいた。
 一般人とは違う、たくさんの硬い靴音に、思わず振り返る。野次馬の向こうに治安部隊の制服が見えた。
「一体、何があったんだ!」
 治安部隊の声がここまで聞こえてきた。今この状態で捕まったら、それこそいつ城から出してもらえるかわからない。
(まずい!)
 思わず焦ったスキをつかれ、男にはねのけられる。
ラティラスが起き上がるより先に男は走り出した。
 ここでこいつに逃げられたら手がかりがなくなる。ラティラスはとっさに手を伸ばした。男の足に指先が触れる。意外なほど柔らかい物にふれ、ラティラスは驚いた。暗闇にも鮮やかな黄色が舞う。戦いの場に似つかわしくないそれは、一枚の花びらだった。
 おそらく忍び歩く時に裾が邪魔にならないようにだろうが、男はズボンの裾に布を巻いていた。その間に挟まっていたらしい。
 その花びらを見たときに、何が心の中で引っかかったような感覚がした。しかし、なにが? 考えているヒマはない。
 目の前に降ってきた黄色を、ラティラスはとっさに握りしめた。
 治安兵はますます近づいてくる。もうその声が聞こえるほどだ。
「放火か? 怪我人は?」
「おい、あそこに立っている男、見覚えがあるぞ。どこかで……」
 花びらを握りしめたまま、ラティラスは走り出した。
 ラティラスは物陰に身を隠し、息を整えながら手の中の物を見つめていた。さっきの男の服についていた花びら。すっかり傷ついてしまったが、間違いなくラミリアの花だ。
「春に咲く花が、なんで秋の今に……」
 季節が違うから、今、この辺りで自然に咲くはずはない。まだ暖かな土地から取り寄せたとしても、物を輸送するには当然時間がかかる。ここにくるまでに生花は枯れてしまうはず。
 そこまで考えたとき、頭の中に古い記憶が蘇ってきた。
 それはたしか、いつかの収穫祭の宴の事。王宮で開かれたパーティーには、多くの人間が参加していた。
『宅では、秋でもラミリアが咲いてますの。中庭に、温室がありますから……私も主人も、この花が大好きですのよ。なんたって家の紋章にも使われている花ですからねえ』
 中年の、かすかにしゃがれた女の声。
参加者の一人、ラドレイ婦人が季節外れの花で作ったコサージュをつけ、得意げに微笑む。
『私みずから花を植えるのですよ。腰が痛くなってかなわないわ』

 そう、この辺りでラミリアの花ビラをくっつけて来られるのは、おそらく豪商人ラドレイ邸の温室ぐらいだろう。つまり、姫を襲った奴らはラドレイの家に出入りしていたことになる。そこを探れば、何かしら賊の事が分かるかも知れない。
「だとしたら……」
 行く先は決まった。
 ほんの少しの前進だが、ラティラスは祝杯をあげたい気分だった。
 無意識に気合いを入れようとしたのだろう。ラティラスは何となく胸に下げたお守りに触れようとした。
「あれ? ない!」
 どうやらさっきのどたばたで落としてしまったらしい。かといって、探しにいける状況ではない。
 まあ、もういい加減父親が恋しい歳ではないから、かまわないといえばかまわないが、それでも秘かに心の中にしまっていた支えを失ってしまったようで、少し不安な気持ちになった。
「やれやれ……縁起が悪いというかなんというか……先が思いやられますね」 
 ラティラスは肩を落とし大げさにため息をついた。
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