姫と道化師

三塚 章

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三章

番する獣

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 ラティラスがレンガを外す。その下には熱で黒く蒸し焼きになった板が張ってある。気を利かせてルイドバードが持ってきてくれた火かき棒で、さっそく板を外し始める。
板は分厚く、真ん中はまだ焼け残っているようだった。釘づけされておらず、ただ周りの木組みに引っ掛けてあるだけで、外すのにそれほど力はいらなかった。
「そこの空気が流れてくる空気が火を煽って、ここだけ燃えが激しいんです」
 ラティラスは額の汗を拭い、火かき棒を置いた。
 板の下には、長い縦穴が現われた。ご丁寧にハシゴがかけられている。縦穴の先は、暗闇に覆われ見通すことはできない。
「どうします? まだランタンの油はありますが」
「行くに決まっているだろう」
 ルイドバードがニヤリと笑った。
「とりあえず中がどうなっているか分からない。あまり広いようなら、戻って来よう」
 リティシアは慎重だ。
「引き返せない状況にならなければいいですがね」
 軽口を叩いて、ラティラスが先陣を切った。足をかけるたび、鉄のハシゴが音を立てる。片手でランタンを持っているので降りづらいが、なんとか下にたどり着いた。
「これって……」
 後から来る者のためランタンをかかげながら、ラティラスは辺りを見回した。
 ハシゴが尽きたあと、穴は正面へ伸びている。石と土が剥出しの壁は湿っぽかった。
「まさか、フィダール一人でこれを作ったんでしょうかね」
「いや」
 下りて来たルイドバードが軽く壁を叩いた。
 そこには石の間を縫って木の根が張っていた。その根の表面に新しい傷があった。
「このトンネル自体は昔に作られた物だろう。それが長い年月で埋まったことで隠れ、島の住民にも見つからなかった。それをフィダールが掘り返したんだ」
「え、ええ。こんなトンネルの事なんて、誰も言っていませんでした」
 ファネットが言う。
「掘り返すだけでも人数が必要だと思いますけどね」
「でも、大人数で作業していたらさすがに島の者がわかると思います。でもこの辺りは誰も近寄りませんから、二、三人夜の間に連れてきて、時間をかけて掘ったのでしょう」
 言いながら、ファネットはリティシアがハシゴを下りるのに手を貸した。
 下にはあちこちに水溜まりができていた。海が近いからか、潮の匂いがする。道は長く、薄暗いせいもあり、どれぐらい進んだか見当がつかない。歩くたびランタンが揺れ、壁の影が揺れた。
「なんだか、怖いな。このまま冥界にでも迷い込みそうだ」
「やめてください、リティシア様。なんだかシャレにならない気がしますよ」
 ファネットが冗談半分、本気半分の口調で言った。
 地面をくりぬいたような岩壁のトンネルは、下りながら緩やかな弧を描いていて、先は見えない。その先からわずかに光が漏れている。それは誰かがいるという証拠で、薄暗い中でも不安を煽る原因にしかならなかった。
 先頭を歩いていたラティラスが、カーブの所で足を止める。そしてそっと行く手をのぞく。
通路を覆っていた岩が途切れ、その先は天井も左右の壁も、鏡のように磨かれた金属になっていた。床だけが、真っ平に磨かれた白い石のような物でできていた。どこかに光源があるのか、辺りはほの明るい。
「どうやら、今の所人はいないようですね」
 ラティラス達はそろそろと歩を進める。
「いったいこれだけ金属を貼るのにどれだけ手間と金がかかったんだ」
 ルイドバードが落ち着かなげに辺りを見回している。
「『そこで女神は神殿を建てた。それは清らかな光で満ちていた』」
 リティシアの独り言には、どこか厳粛な響きがあった。
「ああ、我が国の神話の一節ですね」
「なんだかこの廊下を見ていて思い出してしまってな」
「ワタシには、ここがそんな素晴らしい神殿だとは思えません。なんだか、あの鏡の塔を思い出すからかも知れませんが。あの塔には、なんというか禍々しさを感じました」
 そう言って、ラティラスは一つ溜め息をついて続けた。
「ま、ここが神殿だろうと魔塔だろうと、警戒した方がいいでしょうね。あ、これ、頼みます」
 言いながら、リティシアにランタンを渡す。
 これから何が出てくるか分からない。王族二人とレディ・ファネットを危険から守るため、先頭を行く身としては両手を空けておきたい。
「と言っても、ここは明るいんでもうランタンはいらないかも知れませんね」
「でもまた灯りがなくなるかも知れないからな。消すかどうか悩みどころだ」
 一度火を消してしまえば、再び点けるのに手間がかかる。結局リティシアはもうしばらく点けておくことにしたようだ。
 剣の柄に手をかけて、ラティラスがそろそろと通路を進んで行く。先にある角から気配を感じ、ラティラスは顔を上げた。赤い光が二つ、宙に浮かんでいる。
 何かの眼だ、と見極めるより早く、吹きつける風の速さで獣が襲いかかってきた。
 ラティラスはとっさに剣を横にし盾代わりにする。
修道院の紋章の本で見た、ヒョウという動物によく似た獣だった。床から頭までの高さが、ラティラスの胸辺りまである。
 獣は前足を肩に乗せ、ラティラスを押し倒した。
「ラティラス!」
 リティシアが悲鳴をあげた。
 ラティラスの喉の前で、獣の牙と剣の刃が噛み合う。
(重い!)
 あっという間に絶えきれなくなりそうだ。
(それに、何か変だ!)
 必死に腕に力を込めながら、ラティラスは違和感を覚えていた。
 ルイドバードがヒョウの脇腹を容赦なく蹴りつける。
 獣は崩しかけた体制を立て直し、数メートル先に着地した。
「番犬……いや、番猫ってわけか!」
 ルイドバードがどこか楽しそうに剣を抜く。
「けどあれ、ただの猫じゃありませんぜ!」
 起き上がったとき、ラティラスはようやくさっきの違和感の正体が分かった。
 爪の食い込んだ肩が痛い。床に叩きつけられたせいで、背中に擦り傷ができたようだ。
「だろうな。こんな狂暴な猫初めてみた」
「そうじゃありませんって! さっき組み合った時わかったんですけど……」
 ラティラスの言葉が終わるのを待たず、ヒョウが床を蹴った。
 ルイドバードは舞うように獣の進行方向から身をそらした。ほんの数秒後、ルイドバードが立っていた場所にヒョウが着地する。
 目の前に来た獣の背に、ルイドバードは剣を突き立てようとした。
「そのヒョウ、息をしていませんでした!」
 肉を突き刺した音ではなく、金属同士のぶつかる音がした。
「なんだこの生き物は!」
 ルイドバードは剣を引いた。その傷口からは血が流れていない。ただ、傷口から銀色の金属の銀色が見えた。
 ルイドバードの動揺と対照的に、ヒョウは何事もなかったように獲物を見据えた。
 鋭い爪を備えた右前足を振り上げる。完全に避け切れず、ルイドバードの襟元につけられた飾りが弾け飛んだ。
 仰向けに倒れたルイドバードの両肩を獣が押さえ込む。
 ルイドバードの胸に血がにじんでいく。
「グッ!」
 ルイドバードは苦しげなうめき声をあげた。
 獣はその首筋を噛みちぎろうとした。
 思わず駆け寄ろうとするファネットの手首をリティシアがつかむ。
 ラティラスが駆け、獣の頭に剣を突き立てた。頭に響くような金属音。小さな音がしてヒョウの両目がガラスのように砕けた。ヒョウの頭が歪む感触が剣を通して伝わってくる。
 ルイドバードは足をまげ、思い切りヒョウの腹を蹴り上げる。 
 相手がひるんだ瞬間を見逃さず、ルイドバードはヒョウの下からはいだした。
「ルイドバード、気をつけろ!」
 リティシアの凛とした声が響いた。彼女の投げたランタンが光の弧を描く。
 獣の横腹に、火が吹きあがる。
 獣は地面に転がった。炎が布のように体にまとわりついている。床にすり付けられた所は火が消され、黒い煙が上がった。こげ臭い匂いが鼻を刺激した。
 身を焼き尽くすには火力不足で、火は毛皮の一部を焼いただけで消えた。胴に開いた円い穴から、鉄のカタマリがのぞいている。
「作り物だったのか!」
 ルイドバードはよろけながらも立ち上がった。
 首を振り、ヒョウは立ち上がった。大きく顎(あぎと)を開き、ラティラスに噛みかかった。
「うわっ」
 ラティラスは狙ったというよりは恐怖で本能的に突きを放った。切っ先が開いた口を通り、後頭部から突き出した。
 ドシャリと音を立ててヒョウはその場に崩れ落ちた。
 リティシアがかけよって来る。
「大丈夫か、ラティラス」
「ええ。なんとか」
 剣を引き抜き、ラティラスは乱れた呼吸を整えた。
「なんなんだ、一体これは!」
 ルイドバードが気味悪そうに叫んだ。
「作り物の動物か? この製作者は神にでもなったつもりか」
「神かどうか知りませんが、そいつはこの奥に近づいて欲しくないみたいですね」
 ふらつきながら、ヒョウは立ち上がる。
「こいつまだ!」
 いち早く気づいたルイドバードがまた剣を構えなおす。
 しかし、ヒョウはラティラス達の間を擦り抜け、逃げるように通路の奥へと入っていく。
「待て!」
 ルイドバードがその後を追う。
「ちょっと! あなたケガしたでしょう! 深追いしないでも!」
 ラティラスの言葉を、ルイドバードは鼻で嗤った。
「ふん、あんな死にかけの獣が一匹だ。怖るるに足らん」
 小さな雷のようなうなり声がどこからか響いた。
 廊下の奥、白っぽい光に照らされて、毛がまばらなヒョウが、三匹のヒョウを引き連れ、侵入者をにらみつけていた。
「死にかけ一匹と、新品のヒョウに三匹なら、相手に足りますかね?」
「嫌味を言ってる場合か!」
 ルイドバードの突っ込みが合図になったように、ヒョウたちは襲いかかってきた。まるでもう話し合いを済ませているように、各々手分けをして。
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