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トナーク農場

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 トナークの農場に向かう間、すっかり日は暮れていた。この時間になるとさすがに肌寒い。幸い、月の明るい夜で、馬をなんとか走らせることができた。森の中は、土の中の虫や、葉ずれの音で賑やかだ。
 通るのがやっとの細い道を、サイラスとファーラ、リエソンは馬で駆けていた。プーもしっかりその後ろを走っている。
 どこかで、ふくろうが鳴いている。
 木々の間に、トナーク農場の灯がちらちらと見えてきた。
「ここでいったん馬を止めましょう」
 ファーラが自分の手綱を引いた。他の二人もそれに続く。
 馬の後ろを走ってきたプーは、ハッハと息を切らしていた。
「どうしてですか? まだ少し距離がありますけど」
 サイラスが体を伸ばして牧場をよく見ようとしている。
「農場に馬で乗り込んでいって、捜査の間敵に預けるわけにはいかないでしょう」
 ファーラは説明した。
「ああ、なるほど」
「リエソン、悪いけれど馬の世話と、退路の確保を」
「はい!」
 サイラスとファーラは馬を降り、それぞれ手綱を木に縛り付ける。
「でも、本当に大丈夫なんでしょうか。たったニ人だけで」
 リエソンが不安そうな目をサイラスに向けた。
「うう、なんだよ~その目は」
「い、いえ。他に応援を頼んだ方が良かったんじゃないかなって」
「そもそも、あの馬車が本当にこの農場に逃げ込んだのかどうか、分かりませんから。ひょっとしたら、農場を越えてもっと遠くに行ったかもしれないし」
 確かに応援が欲しいのはやまやまだけれど、そんな薄い根拠では要請できない。
「だから私たちが、本当にあそこがケラス・オルニスのアジトになっているかをまず確かめないと。それさえ分かれば一斉捜査できますわ」
 自分の指揮だけで敵のアジトかもしれない場所を探り、他の二人を無事に詰所に帰す義務があると思うと、身が引き締まる思いだ。
 そこで、ファーラは改めて真剣な顔になった。
「わかっているわね、ニ人とも。それにプーも」
 そして順番に部下達の顔を見つめる。
「目的はあくまで調査。深追い禁止。わかったわね」
 二人は黙ってうなずき、一匹は元気に「プ!」と返事をした。

 トナーク農場は規模にしては小さいものだった。けれど色々と動物がいるようで、母屋の前には小屋があり、寝付きの悪い鶏が何羽か小さく鳴いている。その他にもいくつか離れがあるようだ。
 地面にいくつか轍(わだち)はあるが、ぱっと見馬車本体は見つからない。森のどこかに隠してあるなら、この人数で探し出すのは簡単ではないだろう。何か、他の証拠を探し出すしかない。
 板と丸太で作られた母屋は一階建てで、ぐるりと柵に囲まれている。
 軒の下にランプがつるされているが、火は入っていない。ランプの横には玉ねぎが干してあった。
 玄関に近づいてノックをするが、返事はない。
 サイラスがそっとドアノブに手をかけると、塗料のはげた木のドアを細く開けた。中にあるろうそくに火はついていない。外の方が明るいぐらいだ。
「もしも~し」
 小さな暖炉と、カゴに持ったイモや、洗っていない皿が乗った大き目のテーブル。床には隅に脱いだ服が積んで置いてある。
 奥にある開け放たれたドアから、一人用のベッドがある寝室が見えた。
「別に怪しい所はないですねえ」
 サイラスはほんの少し残念そうだ。
(まさか、ここまできてカラ振りはやめてほしいものですけど……)
 パーティーにはもう時間がないだろう。下手したらもう始まっているかもしれない。焦る気持ちをグッと抑える。
「ここにはいないみたいですねえ」
「敷地内を回ってみましょう」
 二人は母屋から少し離れた牛小屋へむかった。
 そばに誰かがいるらしく、足音が聞こえる。
 小屋の横からひょっこりと男が顔を出した。所々ツギのある野良着をきている。汗をかいて放っておいていたのか、ツンと酸っぱい匂いがした。
 こいつは犯罪集団の一員なのだろうか。ファーラは正体を見極めようとしたが、いまいち確信が持てなかった。
「この農場の、トナークさんですね」
「へえ、そうですが」
 トナークは、疑い深い目をファーラ達にむけた。
「ストレングス部隊の人が何の御用ですかね」
「ああ、実はこの辺に強盗が逃げたという情報がありまして」
 ファーラはにっこりとほほ笑んでみせた。
「おや、それは大変だ。でもここには怪しい人物は来ていませんよ。おそらく、森にでも逃げ込んだんでしょう」
「でも、一応農場を確認させてください。もし不審者が物陰にでも隠れていたら、危険ですから」
「まあ、それは構いませんが」
 牛小屋のなかは柵で三つに分けられ、それぞれ牛がのんびりと寝そべっている。
「うっし~!」
 サイラスがはしゃいだ声を上げて、柵の前にかけて行った。牛が珍しいらしい。そういえば、サイラスは都会育ちだと言っていた。
 プーは、嬉しそうに柵の前をうろちょろしている。
 牛小屋は入り口近くでもひどい臭いがして入る気にはならず、ファーラは外から様子を見ることにした。
 サイラスが牛の鼻先に手を差し出す。知らない手が珍しいのか、牛は鼻先を押し付けてくる。
「あはは、くすぐったい!」
 サイラスは笑い声をあげた。
「なんていうかその……無邪気な人ですな」
 トナークが呆れているのを隠そうともしないで言った。上官としてちょっぴり恥ずかしい。
「まあ、それだけ素直だということですわ」
 なんのかんの言っても、サイラスはれっきとしたストレングス部隊だ。牛小屋に何らかの証拠があるなら、見逃したりしないだろう。たぶん。
「じゃあ、今度はあちらの小屋を見せてください」
 牛小屋の入り口から、そばにある小屋を目で指さす。
 母屋と牛小屋の間にあるそれは、ファーラがずっと気になっていた物だ。
「あー、あれですか。別に見せてもいいですけど、ただの物置ですよ」
 近寄ってみると、それは確かに物置のようだった。
 簡単な屋根のついた小屋は、物の出し入れがしやすいようにか、壁が奥と左右の三しかない。ずいぶんと壁が厚いのは、強度を確保するためだろう。その分、外見に比べて内側が狭く見え、変な感じだ。
 中は、農具や何かの餌らしい袋、カゴ、木箱に入ったジャガイモの山などが収められている。
(確かに普通の物置のようだけど……)
 ファーラは、物置前の土についた足跡に目を落とした。
(これは!)
「ねぇ、この農場には何人が働いているの?」
 動揺をおさえ、何気ない調子で聞いてみる。
「えーと、私を含めて三人てところでしょうか」
 三人が何度も小屋に出入りしていることを差し引いても、靴の種類が多すぎる。
 それに、三角形のつま先に、小さな穴しかないかかと。ハイヒールの足跡もある。
(農場には随分とふさわしくない靴ですこと)
 レリーザもここに来ているのだろうか。
 トナークを問い詰めたくなったけれど、黙っておくことにする。
 今の任務は、あくまでこの農場とケラス・オルニスとの繋がりを調べることだ。ここで変な警戒心を相手に与えても得はない。
 ファーラは、改めて物置の中に入り見回っていく。
 右横の壁がふと目についた。その壁の半分に、かすかに擦れたような跡がある。そしてその下の、壁と床の間にあるわずかな隙間にたまっている土から伸びた細長い雑草は、途中で何かにすりつぶされたように、不自然に折れ曲がり、傷ついていた。
(何か変だわ)
 何か、例えば荷車にでもつぶされたのだろうか? なんとなく異様な気がして近づいていく。壁に手を触れようとした瞬間、遠くで鳴る雷のような音がする。
「え?」
 壁の一部が、引き戸のように動いた。壁が二重になっていて、その間にスペースが隠されていたのだ。
「うるさいと思ったら、ストレングス部隊の奴が来やがったのか」
 そこに浅黒い肌の男が一人立っていた。
(な……!)
 ファーラは銃を抜き、構えようとした。
 だが、状況判断に時間をかけすぎた。
 完全に構え切る前に、男に腕をつかまれる。
 銃声が響き、天井に穴が開いた。
 ファーラは男の手を振りほどこうと上体をねじる。
 ふいに後頭部に衝撃を感じ、瞬間目の前が暗くなった。
 後からトナークに殴られたのだと気づく前に、浅黒の男に、銃を奪い取られた。
 トナークに後ろからはがいじめにされる。
 ファーラはもがいたが、トナークの腕は肩に食い込み外れない。
 隠し扉の向こうに引きずり込まれた。
 壁が閉められ、辺りは一気に暗くなった。
 そこは地下に続く階段があるだけの、狭い場所だった。階下からオレンジ色の光が染み出している。
(まずい!)
 この中に引きずり込まれたら、逃げ出すのはかなり難しくなるだろう。
 体を思いきりねじり、背後にある足を蹴りつけようとする。だが上体をまともに動かせないため勢いをつけられず、十分に足を振ることができない。
「痛えな、くそ!」
 一応攻撃は足に当たったものの、大したダメージを与えられなかったようだ。
「しぶとい奴だ!」
 浅黒の男に思いっきり頭を殴られ、ファーラの意識はそこで途切れた。
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