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狂宴

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 もうすでに大体の客はそろったらしく、ケブダー邸の庭に人の姿はなかった。
 庭の端に植えられている木々は闇に沈んでいる。
 館の窓からは明かりがもれ、人のざわめきと弦楽器のかすかな音色が聞こえてくる。
 玄関に続く石畳を挟んで、小さい装飾用のランプが並べられ、火を灯されるのを待っている。食事が終わり、庭で歓談する時にでも使うのだろう。
 詰所に駆けこんできたプーの手紙を読んだアシェルは、すぐにケブダー邸に駆け付けた。
 すでに一階組は農場に向かわせ、十六番地区のストレングス部隊に援護を要請してある。あとは一刻も早くケブダーの家族と客を避難させなければ。
 遅れて来る客を待っていたのか、玄関に白髪の男が一人立っていた。格好から、ここの執事だろう。
「申し訳ありません、招待状は……」
「それどころじゃない!」
 メダリオンの力を借りて、アシェルは家の中に駆けこんだ。
「隊員さん、一体なにが……」
 おろおろしながら執事が後をついてくる。
 ドレスの女性の横をすり抜け奥へと向かう。
「厨房は?」
 後ろの執事に聞く。
 ファーラの言う通り、卵が化物の物とすり替えられているなら、真っ先に犠牲になるのは厨房の料理人だ。
「こ、こっちです!」
 アシェルの剣幕にただならないものを感じたのか、執事はアシェルの前に出て先導をする。
 厨房の大きな鉄扉は、鉄の重りで抑えられ開け放してあった。おそらく材料を運び込みやすくするためだろう。
 それでも中にはいると、炊かれた火でぶわっと暖かい空気が体を包む。いい匂いもするが、食欲を感じる余裕はない。
 床はタイル張りで、野菜や肉が木箱の中に入れられ、部屋の隅に積まれている。壁にはずらりとお玉や泡だて器など調理器具がかけてあった。
 炉の前では、料理人がせっせとフライパンや鍋を操っていた。
「ストレングス部隊アシェルだ! ここにいる者は、全員ただちに館の外へ出るように!」
 アシェルはメダリオンを見せる。
「は? 何があったんです?」
「まだ料理仕上げてないんですけどね! ケブダー様からの命令かい?」
 料理人たちは、不審に思ってはいるようだけれど、手を止めないままだ。
 いらつきながらも、アシェルは説明をしようとする。
「ここに生物兵器が……」
 もそもそと、野菜の山で何かが動いた。
 ひょっこりと現れたのは、鋭い牙と爪を持つ、凶悪な顔をした怪鳥。
(あれがファーラの書いてよこしたオクシュ!)
 オクシュは、敵意むき出しで威嚇(いかく)の声をあげた。
 確かに、友好的な生き物ではないようだ。
「なんだありゃ! 鶏じゃねえな!」
 料理人の一人が悲鳴をあげる。
 感情を感じさせない鳥の金色の瞳が、その料理人を見据えた。
「よけろ!」
 アシェルは、料理人の腕を思い切り引っ張った。
 目標の真横を通り抜けたオクシェは、勢い余って炉の上のフライパンをはじき飛ばし、自ら火の中に突っ込んでいく。そのままパニックになって、火だるまになったまま無茶苦茶に走り出した。
 鳥と人間の悲鳴が上がった。
 ようやく非常事態に気づいた料理人たちが、戸口に殺到する。
「ええい、鳥! 走りまわるな! 引火したら火事になる!」
 アシェルは他の炉にあったスープの大鍋を持ち上げると、オクシュに浴びせかけた。
 香ばしい匂いの湯気をまともに喰らう。
「あちちち!」
 湯気が治まると、完全にオクシュは沈黙していた。
 改めて厨房を見渡す。料理人はもう全員部屋から逃げ出したようだ。
 廊下に出ると、さっきの執事が突っ立っていた。ただの野次馬根性か、アシェルを手伝おうと思ってくれたのか、とにかく逃げずに待っていたらしい。
「その扉を抑えるものを! まだオクシュの卵が残っている可能性がある!」
 ドアを閉めると、重りを置いて固定する。残念ながら鍵はないようだ。執事が部屋から持ってきたイスをドアノブの下にかませる。
 厚くて重い扉だし、こうしておけばオクシュの爪や牙でも破るのは簡単ではないだろう。これでだいぶ時間を稼げるはずだ。
「パーティー会場はどこだ!」
「こっちです!」
 執事先導で、廊下を進む。
「あのドアです!」
 執事が指した扉に飛び込んだ。
 距離があるとは言え、厨房の騒ぎは聞こえていたらしい。
 テーブルにずらりと並んだ客たちは、皆不安そうに顔を見合わせている。
 上座に座っている初老の男と少女は、ケブダーとルジーだろう。
 ちょうど料理が並べられている所だったようだ。
 テーブルに、燭台の他にレモンを添えたサラダが載っている。スープや肉なども運ばれている途中のようだった。
 驚きのあまり、メイドがワゴンに手をかけた格好のまま動きを止めていた。部屋の隅の楽団も手を止める。
「一体、何の騒ぎだ!」
 ケブダーが荒い口調で言った。
「とにかく説明している時間は無い! 皆この館から出てくれ!」
 アシェルはメダリオンを見せながら叫んだ。
「ぴー」
 テーブルクロスとじゅうたんの間から、ひよこが一羽走り出してくる。
「あらやだ、かわいい」
 赤いドレスを着た女性が目を細めた。ヒナは小さく体を震わせた。
 途端に、巨大なくちばしと爪を備えた成鳥になる。
「なんだあ!」
 ケブダーが叫ぶ。
 客たちの間にざわざわと驚きの声が広がっていく。
 オクシュはアシェルをにらみつけた。
「おいおい、お前、そんなに生き急いでどうする。もっと子供時代を楽しめ」
 オクシュはアシェルの忠告を聞く気はないらしい。羽ばたいて宙に浮かぶと、爪を振り上げる。
「くっ!」
 アシェルは、ワゴンから盆を取って盾にする。
 ギッと歯の奥がかゆくなるような、不愉快な音にアシェルは鳥肌を立てた。
「ヒ、ヒイイ!」
 他にも生まれたオクシュがいたらしい。
 肩を爪でえぐられて、赤いドレスの女性がうずくまる。
 彼女のそばにいるオクシュが、止めを刺そうと床で身をかがめ、飛びかかる構えを取っている。
「くそ!」
 アシェルは思いっきり怪鳥の胴を蹴りつけた。その勢いで鳥の爪に当たり、軍靴に長い傷がつく。
 テーブルの上に飛び乗ったオクシュが羽ばたき、その勢いで燭台が倒れた。
 テーブルクロスに燃え広がりかけた火は、危ない所で近くにいた客に消しとめられる。
「ぎゃああ!」
 獣のような悲鳴をあげ、客たちは出口に殺到する。
「一体、なんだこいつら!」
 使用人の男がケガをした女性に駆け寄っていった。彼女の体を両手で支える。
 アシェルは使用人に手を貸して、女性を立ち上がらせた。
 客たちの悲鳴は、収まるどころかますます数と大きさを増やしている。戸口に目を向ければ、逃げようとした客が団子になっていた。
「悪い、その女性を頼んだ」
 使用人にけが人を託し、アシェルは逃げる客たちの誘導に向かう。
「ほら、女が先だ! 紳士は後ろに下がれ!」
 アシェルは逃げる列の横に陣取った。
 老人に襲いかかるオクシュを両手でつかみ、壁に放り投げる。
「だから嫌だったのよ~ あんな予告状!」
 泣き叫びだから、ルジーが部屋を出て行く。
 楽団のメンバー達も出口に向かう。体で楽器をかばっているところさすがプロだ。
 アシェルの目の届かない所で卵がかえっていたようだ。客を狙って、オクシュがぞろぞろと集まりつつあった。
 なにかもっと使える退路はないかとアシェルは見まわした。大きな部屋なので、二つ出入り口があるようだが、その一つが閉じたままだ。
「後ろの戸を開けろ!」
 指示を飛ばしながら、襲いかかってきたオクシュを殴り飛ばす。くちばしにひっかけ、腕が少し切れる。
「ここは三階だ! 窓からの脱出は諦めろ!」
 正義感の強い若者が何人かが重いイスを振りまわし、避難の列が襲われないよう、オクシュを威嚇(いかく)する。
 やがてほとんどの客が部屋から脱出することができた。けが人は出たものの、死者が無かったのは幸いだった。
 だが、まだテーブルの影や飾り柱の隅でオクシュがこちらのスキをうかがっている気配がする。残るは一緒に退路を確保してくれた青年たちだけだ。
「お前たちも早く!」
 アシェルが青年の頭めがけて飛んできたオクシュを蹴り飛ばす。
「でもあなたは」
 青年の一人が聞いた。
「逃げ遅れた者がいないか確認してからだ。鳥を出さないように扉を閉めておけ!」
 心配そうな視線を残して、廊下に出た最後の青年が重い戸を閉めた。アシェルも後ろの扉を閉めて、部屋に一人残った形になる。
「もう誰もいないか!」
 部屋の中はすさまじい状態になっていた。イスは倒れ、じゅうたんの上に料理がぶちまけられている。客の落とした靴やハンカチも散らばっていた。白い羽毛が、溶け残った雪のようにあちこちにつもっている。
 テーブルの上でオクシュがばさばさと羽ばたいているが、今のところは襲いかかってきそうにない。仲間が何匹かやられたことで、人間も侮れないと警戒しているのかもしれない。
 隠れている者、倒れている者はいないかと、アシェルは部屋の中のチェックを始めた。まずはテーブルクロスをめくる。
 客の足の届かない位置に卵の入ったかごが置かれていた。
「なるほどね。こうやって生物兵器をこの部屋のあちこちに仕掛けたのか」
 かごを引き出すと、踏みつける。
 束ねられたカーテンの裏、飾り柱の影。
 逃げ遅れた者はいないようだ。後は自分一人を逃がせばいい。
 残った鳥は、人数をそろえ、ゆっくり態勢を整えたあとで処理すればいいだろう。
 視界の隅で白い羽が舞った。シャンデリアの上にいたらしいオクシュが羽ばたきながら滑空してくる。
 はらうように怪鳥の胴を殴りつける。敵は動かなくなったが、またくちばしが腕をかすめて手首に赤い線を引いた。
「くっそ」
 ナフキンで傷口を縛る。
 決定的なものはないが、じわじわと傷が増えていくのがうっとうしい。
 用が済んだら、こんな所はとっとと出るに限る。アシェルは出口に走った。
 扉を開けると、鼻がぶつかりそうなほどすぐ目の前に何者かが立ちはだかっていた。
 一見、パーティーの参加者のような格好をしていたが、それにしては目に荒(すさ)んだ感じがある。そして何より、刃を握っている。
 男は、ニヤリと笑みを浮かべた。
 刃が風を斬った。後ろへ跳んで、かわさざるを得ない。
(ケラス・オルニスか! もう来やがったのか!)
 攻撃に移ろうと、男を見据えた時だった。
「ケー!」
 後から羽ばたきがした。
「くっ!」
 払いのけながら、扉の閉まった音を聞く。
 そして、外側で何かごそごそやってる気配。
(おいおい、まさか……)
 テーブルの上に転がる三叉の燭台をつかむ。それを槍代りにオクシュを貫き、扉に取りつく。
 開けようとしたが、案の定開かない。後ろの扉も同じだった。
 アシェルは大きく息をした。今までの格闘と焦りで、全身が空気を求めて喘ぐ。
 背中に一撃を食らい、よろめいた。
「く!」
 踏みとどまり、振り向きざまオクシュに蹴りを食らわせる。
 テーブルの上にまた新しいオクシュが飛び乗った。添え物のレモンや皿が床に落ちる。
「俺の代わりに冷肉でも食えばいいだろうに!」
 残念ながら、オクシュは死肉より生きのいい方が好みらしい。
 さっき受けた背中の傷から血が流れ、肌に服が貼りつく感触。
「あと何羽いるんだ!」
 どうやら、アシェルの予想以上にオクシュの卵が持ち込まれているようだ。
 たしかにこの量の卵を不審に思われず持ち込むには、普通の卵と入れ替えることで大量の食材に紛れ込ませるしかないだろう。
 こうなったら、卵を見つけしだい、かえらないうちにつぶしていった方がいいかもしれない。
 テーブルクロスの下はさっき見た。暖炉の中をのぞく。ない。カーテンの影に一つの卵を見つけ、じゅうたんに叩きつけて割った。
 もう一つのカーテンの影に、カゴいっぱいの卵が隠してあった。
 表面にヒビが入る。そのかすかな音も、たくさん重なれば耳に捉えられるようになる。ぺきぺきと。
 カラからはい出したヒナが、次々と大きくなっていく。
(嘘だろう……生きたまま鳥葬なんて冗談じゃないぞ)
 切れた息では独り言を言うのも辛くなってきて、アシェルは心の中だけでつぶやいた。
 額の傷から流れる血が、目に入る前に手の甲で拭う。
 何十羽ものオクシュがアシェルを取り囲んだ。それだけでなく、物陰にも鳥が潜んでいる気配がある。
(いったい、あと何羽いるんだ?)
 さっきも考えた疑問を、もう一度繰り返す。
(ストレングス部隊がケラス・オルニス全員を確保するまで、あとどれだけかかる? 十分? ニ十分?)
 また、オクシュが威嚇の声を上げる。
 アシェルは大きく息を吸い、構えなおした。
(まったく、レリーザの奴、厄介なものを持ち込んできやがって!)
 歌い部屋でむきあったときの、不敵な表情の彼女が頭に浮かんだ。
 疲れ切った頭に、何かが引っかかった。ほんの些細な、でも決して見逃してはいけない引っかかり。
(そうだ……!)
 アシェルは、テーブルに向かって走りだした。
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