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第33話 エピローグ 旅の始まり

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「やっぱり村とは違う。すごい」

 アビルによって壊滅的な被害を受けた港町カオストロスは、ゆっくりではあるが復興に向かって動きはじめていた。

「ロザミアちゃんじゃないか。大天使ヨハネスさまの所に行くのかい? ならこれも持って行きな」
「……りんご」

 村娘であったロザミアが活気あふれる町並みに見とれながらメインストリートを歩行していると、野太い声に呼び止められる。

 声の主は青果店の主人だ。

 主人は袋いっぱいに入った林檎をロザミアに差し出した。

「………」

 ロザミアは袋の中身をじっと見つめ、次いで訝しむように町の中央広場に視線を走らせた。そこには新たな町のシンボル、巨大な林檎の木が不気味にそびえ立っている。

「――って違う違う! さすがにあそこからは誰も取らねぇよ!」
「怪しい」
「さすがにあれが元人間だって聞かされりゃあ、誰も気持ち悪くて取ろうとは思わんさ」
「……それもそう。わかった。信じる」

 主人に礼を告げたロザミアは、北のメインストリートから東の高台にあるお屋敷を目指した。顔見知りの侍女に出迎えれられて屋敷の門をくぐると、庭先には三匹のグリフォンが厳めしい顔で来訪者を威嚇する。

 目が合ったロザミアは、いつものようにそこで折り目正しく頭を下げた。
 すると、グリフォンは何事もなかったかのように振る舞う。気位が高く傲慢な態度は、まるで帝国のようだ。

 ロール家は現在、帝都パライゾよりやって来た客人を三名ほどもてなしている。
 いずれも皇帝陛下直属の聖騎士。
 そんな彼らがわざわざ崩壊寸前の港町まで訪問してきたのにも理由がある。

 第5皇子を殺害したヨハネス・ランペルージュから事の顛末を聞くためだ。
 事と次第によってはヨハネスは罪に問われ、最悪死罪も免れない。

 兄弟殺しは皇帝陛下が重罪と定めているのだ。

「3日間お疲れさまでした、ヨハネス殿下」

 応客室には清廉潔白を絵に描いたような男と、ヨハネスの他に二名、白い制服に袖を通した騎士がいる。
 一人は気の強そうな女で、もう一人は眼鏡の男だ。

「殿下の証言も町の人たちとほぼ同じですね」
「そうね。それに何よりこれ、かなりヤバい代物よ」

 眼鏡の男に同意した女は、矢継ぎ早にテーブルの上に置かれた剣に鋭い視線を走らせた。その表情はとても険しい。

「贖罪の剣か。モルガンなる女も気になるが、やはり一番厄介なのは、亡きアビル殿下が殺害してしまった聖光教会の大司祭――ベン・アフレだろうな」

 仮にこの件で教会と帝国が全面戦争にでもなれば、世界対帝国の構図が出来上がってしまう。
 そうなれば帝国の趨勢は絶望的だ。
 第5皇子の置き土産にやれやれと頭を振る男に、痺れを切らしたヨハネスが口を開く。

「あの……それはそうと、僕の正統性は認められたんですか?」
「それならご安心を。アビル殿下が悪魔に取り憑かれていたのなら、ヨハネス殿下の正当性は認められます」

(正直、大司祭を殺害したアビル殿下をヨハネス殿下が殺していたことに関しては、不敬ながらラッキーだった。お陰で帝国我々の体面は保たれるのだからな)

 不安気な顔を覗かせていたヨハネスに、清廉潔白な男が微笑む。
 その顔を見て、ヨハネスはようやく安心したように胸をなで下ろした。

「では僕はこれで――」
「お待ちくださいヨハネス殿下」

 席を立ったヨハネスを、男が生真面目な顔で呼び止めた。

「この魔具を造ったと思われる断罪の元メンバー、マルコス・クレイジーなる黒き断罪の職人ブラックハッカーの行方については本当に――」
「はい! 何も知らないですよ」

 ヨハネスはとても真面目な顔で嘘をついた。

「そうですか。ちなみに殿下はこれからどちらへ?」
「そう……ですね。とりあえず皇帝陛下に力を示す方法を考えながら、独自にモルガンの行方を追ってみるつもりです。それに、やるべきこともありますから」
「やるべきこと?」
「はい! では、失礼するです」

 帯剣に視線を落としたヨハネスが小さく頷く。応客室をあとにしたヨハネスの前方には、紙袋いっぱいの林檎を抱えたロザミアが立っていた。

「天使さま、疲れてる?」
「色々あり過ぎましたからね」

 隣を歩くロザミアがヨハネスの顔を覗き込んでくる。彼女の顔には珍しく不安の色が灯っていた。そのことに気がついたヨハネスは、「大丈夫ですよ」と力強く頷く。

「弱音ばかり言ってられませんから」

 呟いたヨハネスの顔には、固唾を吞んでいるような真剣な色が表れていた。
 きっとこれからのことを思案しているのだろう。


 それはモルガンが去ってすぐのことだ。

 マルコスはヨハネスに林檎の島アヴァロンに住まう九姉妹の魔女について話をした。

 魔女のことになど興味のなかったヨハネスだったが、先ほどのヴァイオレットがヴァイオレット本人ではなかったことを知るや否や、絶望に染まっていた顔に赤みがさす。

「ってことは……ヴァイオレットは僕を裏切ったわけではないってことですね!」
「もちろんじゃとも! あれはヴァイオレットという娘の体を乗っ取った、九姉妹の魔女、その長女――モルガン・ル・フェなのじゃから」

 安心した途端にヨハネスの全身からは力が抜ける。同時に体の奥底からモルガンに対する憤怒が湧き上がった。

 その一方で、意外と冷静に物事を分析する自分がいることにも驚いている。

「元に……戻るんでしょうか?」
「すまんが、そこまではわしにも分からん。じゃが、生きておるのならば手はあるはずじゃ。今は微かな希望でも、ないよりかはマシと思うべきなのじゃろうな」

 マルコスの話を思い出しながら歩くヨハネスが、突然足を止める。
 周囲を見渡す彼の表情は優れない。

「にしても……これ、何とかならないんですかね」
「信仰心から、みんな天使さまに祈りを捧げたい」

 町の者たちはヨハネスを歩く教会か何かと勘違いしているのか、道行く人々が次々に跪いては祈りを捧げている。
 その度に、ヨハネスの口からは盛大なため息がこぼれ落ちた。

『ゼハハハ――ようやく愚かな人族ミムルも、貴様が俺さまの部下であることに敬意を払うことを覚えたのだろうッ! 実に気分が良いではないかァッ!』
『いや、これ絶対違うでしょ! あんたどんだけポジティブシンキングなのよ!』
「それより、アビルが作ってくれたポスターのせいでマルコスさんの顔は知れ渡ってしまいましたし、下手に動けなくなったですよ」
「教会がお師匠を、黒き断罪の職人ブラックハッカーを目の敵にしている以上、世界のどこに逃げても追われる立場」
「その通りですね。厄介なことになったです」

 山積みの問題に頭を抱えるヨハネスは、頭の中でゆっくり状況を整理する。

 そもそもの目的はヴァイオレットを救出することだったが、モルガンの出現によって事態はさらにややこしくなった。

 第二の目的である精霊――フラムとユイシスを魔石から解放するためには、元断罪のメンバー、マルコス・クレイジーの力が必要不可欠。
 なのだが、そのマルコスの情報はすでに聖光教会に知れ渡っている。

 ゆえにマルコスのことを聖騎士たちに黙っている訳にもいかず、話すしかなかった。

 結果、何を勘違いしたのか贖罪の剣を造った魔具職人エンジニアがマルコスということになってしまった。

「はぁ……」

 モルガンを追うにしても、魔石の封印を解くために旅をするにしても、お尋ね者となってしまったマルコスを連れたままでは色々と厳しい。

 何より、第5皇子であったアビルを悪魔に変えた魔具――失われた技術ロストプレシャスを造った職人という汚名を着せられてしまったマルコスを、帝国は全力で追ってくることだろう。

「頭が痛いですね」
「なでなで。痛いの飛んでいく」
「それを言うなら痛いの飛んでいけ、ですよ」

 幸せそうにヨハネスの頭をなでるロザミアが、「細かい」と珍しく唇を尖らせた。

「とりあえずマルコスさんと今後について相談をする必要がありますね」
「お師匠の隠れ家、こっち」

 ロザミアの案内で町の北側に位置する商業区へとやって来たヨハネスは、かろうじて半壊程度で済んだ酒場の前で立ち止まる。
 そして足下に転がる看板に目を向けた。

「クレイバー――利口な酒飲みとは変わった店名ですね」
「大天使ヨハネスさまにそう言ってもらえて光栄だぜぇ~、酒は人を賢者にするんだぜぇ~」

 語尾が特徴的な店主がタッタッタッとバーカウンターでリズミカルにタップを踏めば、床下ハッチが開く。

「能ある酒飲みは神の血を隠すもんだぜぇ~」
「先に言っときますけど、僕の血はワインで出来てないですよ。まだ12歳なんですから」
「アーメンハレルヤワインセラーだぜぇッ!」

 少し肌寒さを感じる階段を下りて行けば、椅子に腰かけたマルコスがいる。
 何やら難しい顔で読書中だ。

 そのすぐ近くには、念のため護衛につけていた狼娘が酔っぱらって爆睡中。店主に無断でワインを飲んだらしい。

 ヨハネスは近くの壁を数回ノックした。

「おや、殿下。もうよろしいのてすかな?」
「はい。町の皆さんの証言がありましたから。それに僕のことより、帝国側の意識はすでに教会側に向いているみたいです。現に僕への尾行もなくなったようですし」

 ――ふぉっふぉっふぉ。

 笑ったマルコスが書物を閉じて鼻眼鏡を外すと、フラムが待ちきれない子供のように喚き散らす。

『そんなことよりマルコスよッ! この俺さまをここから出す方法は思い付いたのだろうなッ! 貴様とていつまでもこのような場所に引きこもっていたくはないだろうッ。ならば一刻も早く俺をここから出すのだァッ! さすれば逃げ隠れる必要もなくなるのだからなッ!』
「そのことを少し調べておったんじゃがな、やはり死海文書が必要になりおるわ」
『死海文書って、前に言ってたやつよね? たしかクバラ洞窟とかいう場所で発見された972の写本群とか何とかって』
「その通りじゃよ」
『ならばそれを取りに行けばよいのだなッ!』
「それはちと無理じゃ」
「無理ってどうしてですか? 遠いんですか?」

 立派な白髭を右手でさすったマルコスが口を真一文字に結ぶと、ふさふさの眉毛が困ったように垂れ下がる。

「う~ん……」

 老人の煮え切らない態度に、焦燥に駆られるフラムがはっきりしろと声をあげる。

「死海文書の殆どは聖教会が所有・保管している。見れるのは教会の中でも極一部の者だけ」

 黙り込んだままの師匠に代わり、ヨハネスに褒められたいロザミアが説明する。

 正直者の弟子の発言にあちゃーと顔を伏せてしまったマルコスに、ヨハネスは厳粛に顔を曇らせてしまう。

「それじゃ僕たちは見れないってことですか?」
『ふざけるなァッ! 何のためにわざわざ貴様を助けてやったと思っておるのだッ!!』
『うっさいわね。あんたは少しは落ち着きなさい』
『落ち着けだとッ! 此奴は助けてやったにも関わらず、この俺さまとの約束を違える気でいるのだぞッ!』
『端から約束を破るつもりならあたしたちを待っていたりしないわよ。何か策があるんでしょ?』
「さすがは勇者さまじゃな。どこぞの短期な魔王さまと違って助かるわ」
『なんだと貴様ッ!!』

 冷静なユイシスの対応に肩を下ろしたマルコスは、かつて聖光教会に勤めていたという友人について話をした。

「つまり、その人を見つけ出すってことですか?」
「そうなるの。殿下たちが友人を連れてきてくれるまでの間、わしはここでさらなる研究を重ねることにするわい」
「マルコスさんはここに?」
「顔が割れてるしまっている以上、わしが付いていけば足手まといにしかならんからの」

 そうですかと残念そうなヨハネスに、透かさずロザミアが大丈夫だと口にする。

「ローザが天使さまに付いてく」
「それはダメじゃ!」

 有無も言わさぬマルコスが、弟子の発言を即却下。

「お前さんはまだ修行中の身じゃからの。殿下の役に立ちたいのなら、一日でも早く立派な魔具職人エンジニアになることじゃな」

 師匠のお許しが出なかった少女は、珍しくムッとした表情を見せた。

 こうして話し合いの結果、ヨハネスはフェンリルと共にマルコスの友人を探す旅に出ることになった。

 マルコスの話によると、その友人はかなり記憶力がいいらしく、死海文書の内容も覚えている可能性があるらしい。
 最後にヨハネスがモルガンについて尋ねると、マルコスは嫌でも向こうから接触してくるだろうと言った。

 彼女は去り際、いずれ魔女の茶会でと口にしたのだ。


 そして現在、町の外には行き先を決めかねたヨハネス一行の姿がある。

『東西南北どちらに向かうつもりだッ!』
『何か手掛かりとかないのかしら?』
「手掛かりなしにはいくらなんでも無茶でござろう」

 早くも不穏な空気が漂う中、ヨハネスは自信満々に心配ないと言った。

「困った時にはこれですよ!」

 ヨハネスは腰から聖魔剣を抜き取ると、剣先を地面に突き刺し手を離す。
 見覚えのある光景に、ユイシスは思わず額に手をあて項垂れた。

 柄頭は西を指していた。


「さぁ、冒険へ出発です!」
『ゼハハハ――ってふざけるなァッ!!』


 あの時とは違った大声が大気を揺らした。   




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ご愛読ありがとうございます。
この作品は一般公募用に書き下ろした作品ですが、楽しんでもらえたのなら良かったです。
本当にありがとうございました。
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みんなの感想(3件)

starsmile1158
2022.07.17 starsmile1158

魔王と勇者のボケ突っ込みに笑いしか出ないです(笑)
ヨハネスもカワイイし、ニマニマしゃいます(気持ちは勇者寄り)
なんかヨハネス強ぇぇの為にフラム&ユイシスはこのまんま後1000年はドタバタ漫才してたりして(笑)

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小説すき
2022.07.08 小説すき

この皇子甘いから結局繰返しそう。

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のり巻き
2022.07.02 のり巻き

面白い!続き待ってます

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