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3.体育館うらで見守りたい

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 梨本くんとミニトマト。

 それはちょっとすっぱくて、トゲがチクッとささったままのような思い出。

 同じクラスだったとき、梨本くんはこんなふうにちょっと変わった性格だったから、いじられキャラだった。
 いや、はっきりといってしまえば、いじめられていたのだ。
 それを見て見ぬふりをしていた。

 給食の時間、梨本くんの皿にのせられたミニトマトがクラスの男子に奪われた。
「返して」
 と追いかける梨本くんをふりきり、その男子はベランダにとびだし、授業で朝顔の種を植えた梨本くんの鉢植えをほじくり返して、ミニトマトをうめてしまったのだった。

 梨本くんの朝顔は芽が出なかったが、家に持ち帰っても毎日水をあげていたらしい。
 そうしたら次の年になんと、芽が出てミニトマトの実をつけたのだった。
 そのときにはわたしは違うクラスだったので知らなかったが、給食のミニトマトを奪われたところから始まり、芽が出て実をつけるまでつぶさに観察していたことを、自由研究で発表したというのだ。

 で、わたしが目撃したのは、大きく育ったミニトマトの苗が植わった鉢を抱えている梨本くんが、学校帰りにまたいじめられているところだった。

 誰だったか忘れたが、苗についたミニトマトをむしり取り、放り投げようとしていた。
 振り上げたこぶしが、たまたま通りかかったわたしの顔面にあたり、ついかぁっとなったわたしはその男子の腕をひねり上げて、つぶれかかったミニトマトを奪って自分の口の中に放り込んだ。

「そのとき、新垣さん、なんていったか覚えてる?」

 ……ああ、聞かないでくれ。
 せっかく今まで忘れていたのに。
 恥ずかしくて思い出したくもないできごとなんだから。

 突拍子もないできごとに、その男子もあぜんとなり、わたしも自分の行動にあぜんとなったが、「もったいないでしょうが!」とかなんとかいって、わたしは苗についたミニトマトをむしりとって次々と食べていった。
 男子たちは「怖すぎるだろ」と恐れをなして退散したのだった。
 自分でもわけがわからなかった。梨本くんを助けようとか、そんなことは考えていなかったはずだった。

「忘れたな……」
 ってゆうか、忘れていてほしいという願望をこめてつぶやいた。
 けれども梨本くんはわたしをからかおうというつもりで、そんな昔の話しを持ち出したのではないようだった。

「オレは覚えてるよ。新垣さんはこういったんだ。こんなにおいしいミニトマトを食べたのはじめてだって」

 そんなこと、いったかな……。
 恥ずかしさをごまかすためにそんなことをいったかもしれない。
 ひょっとして梨本くんはそれを聞いて、本当においしくてむさぼり食ったと思っていたのかな。

 それよりもわたしが落ち込んだのは、通りの向こうに聖也くんを見かけたからだった。
 こんなはしたない姿を見られたなんて、絶望に打ちひしがれて、両手両膝を地面につけてうなだれそうになったのをなんとかこらえていたのだ。

「どんだけ食べるんだよ!って思ったでしょ」
「いや、うれしかったよ。でも、本当はあのミニトマト、味はいまいちだったんだけどね」
「ええっ! そうなの?」

 もしかして、すっぱいという印象は、それまでいじめを見て見ぬふりをしていたとか、聖也くんが見ていたかもしれない恥ずかしさとか、そういうことじゃなくて、本当にミニトマトがすっぱかったのだろうか。

「でもさ、おいしいって、そういってくれたのがうれしかった」

 おいしいっていわれてうれしい……。
 あれ? これって、どこかで似たようなことが……。
 安曇くんを見るとニヤニヤしている。
 なんだかみょうな展開になってきた。
 梨本くんがわたしを見つめてくるまなざしにちょっぴり緊張する。

「甘くておいしいからって、そのミニトマトから種を取り出してもう一度育てても、同じようにおいしいミニトマトがならないことがほとんどなんだ。そんなことができたら、種を開発しているメーカーはあがったりだからね。同じミニトマトをつくりたかったら、メーカーから種を買わなくちゃならない。だから、新垣さんには今度こそ本当においしいミニトマトを食べてほしいのだよ。いや。ミニトマトじゃなくたっていい。最高の食材で納得のいく料理をつくってくれたら、オレ的には満足かな。やっぱ、料理は素材でしょ?」

 だんだんと純朴になっていく梨本くんの目を見ていると、ひょっとしてわたしのことが……なんていううぬぼれを隠したくなってきた。

「そっか……話しはわかった。けど、部活をつくるっていわれても……。安曇くんはどうおもう?」
「それは新垣さんが決めることだよ。ぼくはぼくで、おもしろい話しを聞けて楽しんだけど」

 突き放すようにいう安曇くんだが、そのとおりだ。
 自分で決めないとね。

「話しを聞いてくれてありがとう」
 梨本くんはぺこりと頭を下げた。
「引き続き勧誘は続けていくつもり。だけど、せっかく部活をつくるのだから、すぐにやめてまた廃部とかになったらいやだし、そこはじっくり考えてもらいたいんだ。校長先生にもしっかりと熱意を伝えなきゃならないし」

「やっぱり、校長先生に頼むんだね?」

「うん。年度の途中からはじまる部活は校長先生のポケットマネーから部費がでるってうわさがあるくらいだから、校長先生を攻略しないと進まないらしい」

「へぇ。部活って、活動費が出るんだ?」

 わたしがいうと、梨本くんはここが落としどころだといわんばかりに身を乗り出す。
「部員数とかもろもろによって、額が違うみたいだけどね。でも、調理クラブって自費だよね?」

「そうだよ」
 わたしがうなずくと、
「そっか、調理部となれば部費が出るってことか」
 現金にも安曇くんは目を輝かせた。

 そして梨本くんはたたみかけるように言った。
「運動部に差し入れするとなれば、なおのこと部費がとれるよ」

 運動部に差し入れ……と、いうことは……。

「だってよ、新垣さん!」
「うぇへ!?」
 びっくりしすぎて変な声が出てしまった。安曇くんは心が読めるのだろうか。

 バスケ部の聖也くんが遠征に行くとき、差し入れを持って同行するなんてことができるのかなんていう妄想を察知されたようで、思わず赤面してしまう。

「勝手に差し入れとか、ちょっと厚かましい気もするけど……」
 思ってもないことをいって、ごまかす。

「まったく、新垣さんは消極的すぎるよ」
 安曇くんがぐいぐいせまってくるので、「いやぁ……」とたじろいだ。

「こういうときはほかの部も巻き込んで、校長先生が感心することを並べ立てないと。部としての存在意義とかさ、プレゼンも大事なんだから」
 ……あ、聖也くんに近づく話しじゃなくて、創部のほうか。
 わたしは早くも差し入れするという名案に心奪われてしまっていた。

 でもまずは創部からだ。
 ああ、いや、まだやると決めたわけじゃない。
 なのに、安曇くんには翻弄させられてばかりだ。
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