伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン

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~セバスチャンの優雅な一日~


​私、セバスチャンには、毎朝の欠かせないルーティンがある。
それは、エルフの秘薬がブレンドされた胃薬を白湯で飲み下すことだ。

​「……よし。今日も胃の粘膜は守られているな」

​執務室の鏡で身だしなみを整え、私は深く息を吐いた。
私は、この王国最強の英雄、ガルド・ベルンシュタイン様にお仕えする筆頭執事である。
そして現在、この屋敷はかつてないほどの平和と狂気に包まれている。
​コンコン、と控えめなノックの音が響き、メイド長が入室してきた。 

​「セバスチャン様。本日の朝の報告でございます」
「ご苦労。……で、本日の寝室の状況は?」
「はい。旦那様の朝の吸入は午前六時に開始され、およそ一時間で完了。壁の損壊ゼロ。ベッドの破壊ゼロ。薫様は腰痛を訴えておられますが、ご機嫌は麗しいとのことです」
​「素晴らしい」

​私はハンカチで目頭を押さえた。
一年前の旦那様を思えば、夢のような報告である。
かつての旦那様は、魔力中毒の激痛により毎朝発狂寸前で目覚め、屋敷の壁という壁を粉砕していたのだ。修理業者が屋敷に常駐していたあの暗黒時代を思えば、今は文字通り天国である。

​そう、すべてはあの方――三上薫様がこの屋敷に降臨されてからのことだ。
​薫様は、旦那様の魔力中毒を中和する聖香を放つ、まさに生きた特効薬。
しかし、問題は……うちの旦那様の薬への依存度が、常人の理解を遥かに超えてしまったことにある。

​   

​「セバスチャンさん、おはようございます! 朝食、肉多めでお願いします!」

​ダイニングルームに、薫様が元気な声を響かせて入ってこられた。
以前の華奢な事務員の姿はない。旦那様の過剰な吸入に耐えるため、自ら進んで肉体改造を施した薫様の体躯は、今や一流の戦士のように引き締まっている。

​「おはようございます、薫様。本日は最上級のオーク肉を3キロ、ガーリックソースでご用意しております」
「おっ、最高! あとプロテインも牛乳割りもお願いします!」
「承知いたしました」

​私は恭しく一礼する。
その薫様の背後には、当然のように大型犬――もとい、我が主であるガルド様が張り付いていた。 

​「……スゥゥゥッ……ハァ……。今日の薫の首筋は、朝から香ばしくて生命力に満ちているな……」
「ガルド様、歩きながら吸うのやめてください。躓くから」
「問題ない。俺が君を抱き抱えて歩けばいいだけの話だ」
「自分の足で歩きます!」

​朝から繰り広げられるイチャイチャ。
メイドたちは皆、頬を赤らめて目を逸らしている。
私も見ないようにしている。特に、薫様の首筋から鎖骨にかけて、毎日更新される赤紫色のマーキングには、決して触れてはならないのが使用人たちの暗黙の了解だ。

​「……セバスチャン」

​不意に、旦那様が鋭い視線を私に向けた。
殺気すら混じる、S級探索者の眼差し。

​「……昨日、薫が庭の掃除を手伝った時に着ていた作業着はどうした」
「はっ。薫様の仰せにより、洗濯カゴへと……」
「馬鹿者ッ!!」

​旦那様がテーブルをドンッと叩いた。
オーク肉を頬張っていた薫様がビクッと肩を揺らす。

​「あれには! 薫が労働で流した尊い汗と、太陽の匂いが染み込んでいるんだぞ! なぜ俺の検品を通さずに洗濯カゴに入れた!」
「も、申し訳ございません! しかし、薫様が早く洗えと……」
「俺の許可なく水に流すな! 直ちに回収し、地下の真空パック機へ持っていけ! 設定は長期保存の極だ!」
​「ガルド様! 使用人を怒鳴らないでください! 汚いから俺が洗うよう言ったんですよ!」
「薫! 君の汚れは汚れではない! 奇跡の結晶だ!」

​私はそっと後ずさり、メイド長に目配せをした。
急いで作業着を回収し、真空パックの準備を。ラベルには薫様の庭仕事の汗と太陽の香りブレンドと記載するように、と。
​メイド長は無言で頷き、風のように去っていった。
こうして、地下室の聖遺物コレクションには、今日も新たな一品が加わるのである。
​   


​昼下がり。
私はお茶の準備を整え、お二人がおられる執務室へと向かった。
ドアを開ける前、私は必ず、ノックをしてから十秒待つことにしている。
お二人が濃厚すぎる補給を行っている最中に踏み込んでしまうのを防ぐための、命の自衛策だ。

​「失礼いたします。お茶をお持ちしました」

​室内に入ると、薫様がデスクで書類仕事をしており、旦那様はその背後から薫様の腰を抱きしめ、うなじに顔を埋めながら、別の書類に物凄いスピードで決裁印を押していた。
器用なことである。 

​「ありがとうございます、セバスチャンさん。……あー、もう! ガルド様、耳に息かけないで! くすぐったい!」
「動くな薫。君の耳裏から分泌されるフェロモンが、俺の魔力回路を最適化しているんだ」

​旦那様は真顔で変態的な発言を繰り出しながら、薫様の耳たぶに軽く噛み付いた。

​「ひっ!? ばか、セバスチャンさんが見てるだろ!」
「構わん。むしろ、俺たちがどれほど愛し合っているか、世界中に見せつけてやりたいくらいだ」

​薫様が顔を真っ赤にして私を見る。
助けてくれ、というサインだ。

​「……旦那様。国王陛下より、明日の会議の出欠確認が来ておりますが」

​私が事務的な声で助け舟を出すと、旦那様はチッと舌打ちをした。

​「欠席だ。明日は薫と、新しいベッドシーツを買いに行く約束がある」
「国王陛下との会議より、シーツ選びを優先されると?」
「当然だ! 俺と薫の愛の営みを受け止めるシーツだぞ!? 国の行方よりも重いに決まっているだろう!」

​堂々たる職務放棄である。
だが、私は知っている。薫様がそっと旦那様の脇腹を小突いたことを。

​「……ガルド様。会議、行ってください」
「嫌だ。君と離れたくない」
「行ってくれたら……今夜、あんたの好きなアレ、着てあげてもいいですよ」

​薫様が耳元でコソッと囁くと、旦那様の目が、カッ! と見開かれた。
先日、旦那様が裏ルートで仕入れてきた、そして薫様が激怒してゴミ箱に捨てたはずの、あの破廉恥極まりないスケスケの寝巻きのことだろう。

​「……セバスチャン」
「はっ」
「陛下に伝えろ。ガルド・ベルンシュタイン、這ってでも会議に参加する、と!!」
「承知いたしました」

​私は深く一礼した。
やはり、この最強の狂犬をコントロールできるのは、薫様しかいらっしゃらない。
​   


​夜。
屋敷のすべての業務を終え、私は自室のソファに深く腰を掛けた。
​「ふぅ……」
​疲労感はある。
毎日のように繰り広げられる真空パック騒動、桁違いの食費の計算、そしてお二人の過激なスキンシップの目撃による精神的ダメージ。
胃薬の消費量は増える一方だ。
​だが……。
​私は、デスクに飾ってある一枚の絵を眺めた。
それは、屋敷の使用人たち全員で撮った集合写真の隣に飾られた、ガルド様と薫様の隠し撮り写真だ。

もちろん薫様には内緒である。
​写真の中の旦那様は、薫様の背中にしがみつき、心底幸せそうな、子供のような笑顔を浮かべている。
薫様はやれやれといった顔をしながらも、その手はしっかりと旦那様の腕を優しく握りしめている。

​「……良いお顔になられましたね、旦那様」

​私は、目頭が熱くなるのを感じた。
英雄という重圧。魔力中毒という呪い。
それらすべてから旦那様を救い出し、ただの愛に飢えた一人の男にしてくれた薫様には、いくら感謝しても足りない。

​「よし。明日の朝食は、薫様の好物のハンバーグにしよう。特大のやつを」

​私は明日への活力を得て、そっと胃薬の瓶を棚の奥にしまった。
この幸せで、騒がしくて、少し変態的な屋敷の日常を守るためなら、私の胃壁くらい、いくらでも捧げてみせよう。
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