執着騎士団長と、筋肉中毒の治癒師

マンスーン

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38話


​ 事の発端は、数日前の訓練場での何気ない一コマだった。

​「おおっ、ユーリ君! 入隊した頃より随分と腹直筋の溝が深くなりましたね! 若さゆえのしなやかな外腹斜筋、素晴らしい成長です!」
​「えへへ、レオ先生の指導のおかげっすよ!」

​ 新米騎士のユーリくんの腹をツンツンと突っついて褒めた、ただそれだけのことだった。治癒師としての、純粋な身体評価である。
 しかし、その背後で、王都の気温が5度ほど下がったことに僕は気づくべきだった。

​ その夜。
 新居の寝室で日課のメンテナンスをしていると、僕はガドリエルの背中に違和感を覚えた。

​「……あれ? 団長、広背筋の下部から大殿筋にかけて、異常なほどのコリがありますよ。今日、何か無茶なトレーニングをしましたか?」

​ 僕が指摘すると、うつ伏せになっていたガドリエルが、ビクッと肩を揺らした。

​「……気のせいだ」
​「嘘です。僕の指は誤魔化せません。この筋繊維の悲鳴……さては、規定重量の倍以上でデッドリフトをやりましたね!?」

​ ガドリエルは無言で顔を背けた。図星だ。

​「どうしてそんな無茶を! 今の団長の『魔力強化筋肉』はただでさえ出力が高すぎるのに、関節や腱に負担をかけすぎたら、この国宝級の肉体に傷がつくかもしれないんですよ!?」
​「……お前が」
​「はい?」
​「お前が、昼間トーマスの腹筋を嬉しそうに触っていたからだ」

​ ガドリエルが拗ねた子供のように呟いた。

​「あいつのような『若くてしなやかな筋肉』が好みなのかと思って……俺も、少し腹斜筋の可動域を広げようと無理をしただけだ。……悪いか」

​ 最強の騎士団長様が、新米騎士の筋肉に嫉妬して、隠れてオーバートレーニングをして体を痛めた?
 呆れを通り越して、僕の中に「筋肉管理者」としての怒りがフツフツと湧き上がってきた。

​「……言語道断です」
​「レオ?」
​「僕の大切な、世界で一番愛している『所有物(筋肉)』を、しょうもない嫉妬で粗末に扱うなんて! 傷がついたらどうするんですか!」

​ 僕は手に持っていたマッサージオイルの瓶をドン! とテーブルに置いた。

​「反省してください! 今日から三日間、僕はあなたの筋肉に一切触れません! 夜の『営み』も、もちろんお預けです! 筋肉ストライキです!」
​「なっ……!? ま、待てレオ! ストライキだと!? そんなのダメだ…!レオ……!」
​ ガドリエルが慌てて起き上がろうとするが、僕は彼に背を向けて毛布に包まり、完全拒否の姿勢を貫いた。
 これが、僕たち夫婦の初めての「喧嘩」だった。

​ ◇

​ ――そして、ストライキ二日目。
 王立騎士団は、壊滅の危機に瀕していた。

​「レ、レオ先生ぇぇ……っ! お願いします、団長と仲直りしてください……!」

​ 医務室に駆け込んできたユーリ君とトーマスくんが、僕の足元にすがりついて号泣していた。

​「どうしたんですか、二人とも。僕は今、ストライキ中なので団長の診察はしませんよ」
​「違うんです! 団長の『禁断症状』がヤバすぎて、訓練場が地獄になってるんですよ!」

​ トーマスくんがが青ざめた顔で窓の外を指差した。
 見れば、訓練場の中央で、ガドリエルが木剣を振るっている。
 しかし、その背中からはドス黒いオーラが立ち上り、周囲の地面が文字通りカチコチに凍りついていた。

​「昨日から一睡もしてないらしくて……『レオが俺の筋肉を愛してくれない』『俺の大胸筋はもう価値がないんだ』ってブツブツ言いながら、素振りで音速の壁を超えてるんすよ! 風圧で新兵が5人吹っ飛びました!」

​「しかも、宥めようと肩を叩いたら、『レオ以外の男に触られると筋肉が拒絶する!』って言って、オーラだけで剣をへし折って……」

​ 重症だ。

 いくらなんでも、二日放置しただけであんな世紀末の覇王みたいになるとは思わなかった。
​(……仕方ない。僕の『所有物』がこれ以上周囲に迷惑をかける前に、躾け直してあげないと)
​ 僕はため息をつき、立ち上がった。

​ ◇

​「……団長」

​ 誰も近づけなくなった訓練場の中央。
 僕が声をかけると、暴風の如き素振りをしていたガドリエルが、ピタリと動きを止めた。

​「レ、オ……?」

​ 振り返った彼の顔は、目の下に濃いクマができ、大型犬が雨の日に捨てられたような、この世の終わりのような表情をしていた。

​「ストライキは解除です。……執務室に来てください。痛めた筋肉の『特別治療』をします」
​「! ほ、本当か……っ!」

​ パァァッ! と、彼を取り巻いていた黒いオーラが一瞬でピンク色に変わり、ガドリエルは光の速さで僕を抱き上げて執務室へと駆け出した。
 背後で、騎士たちが「助かったぁぁ!」と歓喜の涙を流していた。
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