前世は冷酷皇帝、今世は幼女

まさキチ

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2巻

2-3

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     †


 ――『きん家鴨あひる亭』には悩める者に叡智えいちを授ける御子みこ様がいる。
 御子がこの活動を始めてからしばらく経ち、その評判はかなり広く知れ渡るところとなった。金の家鴨亭は高級料理店なので、一般人がおいそれと入れる店ではない。
 だが、秘されているものこそ、人々の興味を引くのだ。
 御子に関しては様々な噂が流れていた。
 曰く、孤児院こじいんに多額の寄付をしている。
 曰く、新しく領主になったアルスを裏で操っている。
 曰く、Aランク冒険者であるアデリーナやクロードを使い走りにしている。
 曰く、曰く――
 中でも今、一番の噂と言えば。
 ――もう御子様は現れないのではないか。
 以前は週に二、三度は訪れていたのだが、疫病騒ぎ以来、御子は一度もこの店を訪れていない。
 日を追うごとに、この噂は信憑性しんぴょうせいを増していった。
 そんなある日の晩、ギュウギュウな店内の時計が午後九時を告げた。
 騒々しかった店内が、水を打ったように静まり返る。毎日この調子だ。
 御子が現れるのは、決まって午後九時。これは演出だった。
 バラバラの時間に現れるよりも、毎回決まった時間に現れる。
 この方が神秘性が増すという狙いだ。
 ゆえに、この時間になると、期待混じりの沈黙が店内を覆い尽くす。
 客の顔にあきらめが浮かび、口から嘆息たんそくが漏れようとした、まさにそのとき。カランとドアベルの乾いた音が静寂に響いた。
 待ちわびていた御子の登場に歓声が上がるが、すぐに、いつもと違う様子に人々の驚きがさざ波のように広がった。
 御子本人――ユーリはいつもと変わらぬ雰囲気を纏っている。普段と違うのは、その腕に幼子が抱かれていることだ。
 人々の戸惑いを気にすることもなく、彼女は店の中央へと進む。
 それに合わせて、自然と道ができた。
 彼女がテーブルに近づくと、誰かが椅子を引いた。
 御子――ユーリは腰を下ろすと、腕の中の幼子に話しかける。

「ルシフェも座るか?」
「うん。いしゅに、しゅわりゅー」

 その言葉を聞いて近くにいた者が、椅子をユーリの隣に置く。

「良い子でいるんだぞ」
「わちゃったー」

 すぐに給仕の少女が、頼まれないうちにミルクたっぷりのグラスを持ってきた。
 いわゆる「いつもの」というやつだ。

「ルシフェもミルクで良いか?」
「るぅも、みゅくー。あちゃかいの」
「ホットミルクだ」
「承知いたしました」

 それきりユーリは黙り込んだ。

「ホットミルクです」

 給仕の少女はルシフェの前にもカップを差し出すと、ペコリとお辞儀をして背景に消えていった。

「熱いから気をつけるんだぞ」
「わかっちゃー」

 ルシフェはちっちゃな両手でカップを掴み、ふぅふぅと息をかける。
 その姿に、人々の口元が緩んだ。
 それから、ルシフェはカップに口をつけた。

「あちち」
「だから、言ったではないか」
「ごめなちゃい」
「ほら、火傷やけどしてないか?」
「あい」

 ルシフェを気遣うユーリを見て、「一体、この幼女は何者だ?」と皆の頭に疑問が浮かぶが、それを尋ねられる雰囲気ではなかった。
 ユーリよりも年下でしたらずなしゃべり方。つややかなむらさき色の髪を伸ばし、垂れた目に丸っこくあどけない顔つき。
 この幼女の身体に魔王が宿っているとは、誰も想像していないであろう。
 今日は昼寝しすぎで寝つけなそうだったから、ユーリはルシフェを連れてきたのだ。
 この時間はユリアナも眠っている。ユーリが夜の街を楽しむ時間だった。
 いつもは見られない、御子様の人間らしさに皆は戸惑う。
 しかし、ユーリはまったく気にした様子がない。
 悠然とミルクをひと口飲んでから、口を開いた。

「今日は誰からだ?」

 ユーリにとっても、久しぶりの御子が始まった。
 先日、冒険者の少女を救ったとき、ユーリは疑問を持った。
 前世において、人間関係は「臣下か、敵か」、それだけしか知らなかったし、それで十分だった。
 だが、今世を自由に生きるためには、それ以外の人間関係を学ぶ必要がある。
 そのために御子を演じるのが適していると判断したのが、御子再開の理由であった。
 ユーリの問いかけに、二人の男がテーブルにつく。大柄なヒゲの男と、小柄なメガネの男だ。風体ふうていは似ても似つかぬが、顔の作りにどこか似たところがある。
「ほう、二人とは珍しいな」とユーリが思っていると、メガネの男が口を開いた。

「御子様、お知恵をお貸しください」

 彼は丁寧な口調で頭を下げる。

「おい、ホントにこんなガキにくのか?」

 それに対し、ヒゲ男は横柄おうへいな態度だ。

「兄さん、失礼だぞ」

 ヒゲはメガネにたしなめられても、ただ「ふん」と鼻を鳴らすだけだった。
 ユーリは二人の態度を気にすることもなく、鷹揚おうように告げる。

「話してみよ」
「実は、相続のことなんです」

 問いかけにメガネが答えた。ユーリは頷いて続きをうながす。

「先日、親父が死んで、土地を相続することになったのですが……」

 メガネは二〇代なかばで、裕福な身なりをしているが、その顔はやつれていた。ヒゲはその数歳上で、傲慢さが顔ににじみ出ている。

「自分と兄さんで分割したいんですが、揉めてるんです」
「お前が欲張るからだ」

 ヒゲは腕を組んで、ムスッと苛立ちを隠しもしない。

「ほう。単に二等分すれば良い、というわけにはいかないのだな」

 ユーリはメガネから視線をそらさずに言う。

「御子様のおっしゃる通りです。その土地は――」

 メガネの話によると、相続者は彼と兄の二人だけで、父が所有していた土地をどう分割するかで揉めているとのこと。もし土地が均一な長方形であれば、特に揉めることもなかっただろう。
 しかし、その土地はいびつな形をしており、日当たりなどの条件も異なるので、単純に面積で二等分ではお互い納得がいかない。
 困り果てて、御子の叡智を頼りに来たのだった。
 聴衆がユーリの言葉を待っていたが、出てきたのは予想外の言葉だった。

「ルシフェ、そなたならどうする?」

 当然ながら、ルシフェは話の内容は理解していない。
 だから、ユーリは彼女が持つカップを指差した。

「みゅくー?」
「そうだ、ミルクだ」
「おいちー」

 周りはこのやり取りに笑みをこぼすが、当事者にとってはたまらない。
 メガネは困ったように肩をすくめるだけだったが、ヒゲは怒りを露わにする。

「ふざけてるんじゃねえよ」

 ドンとテーブルをなぐりつけた。

「おい」

 見かねた数人がヒゲに掴みかかり、連れ出そうとした。
 そこに、ユーリはひと言、発する。

「静まれ」

 それだけで十分だった。物音が消える。
 ユーリはヒゲの目を見る。睨みつけているわけではないが、ヒゲの背筋を冷たい汗が流れた。

「すまねえ」

 ヒゲはかしこまり、粗暴さを引っ込めた。
 ユーリはグラスのミルクを一気に飲み干す。
 それからルシフェとの会話を再開した。

「ちょうどミルクも冷めたところだ。ルシフェ、そのミルクを余と半分こしてくれるか?」
「ねえちゃ、のどかわいちゃ?」
「ああ、だから、ルシフェのミルクを分けてほしい」
「わかっちゃー」

 素直なルシフェの頭を、ユーリが優しく撫でる。

「だが、困った。余のグラスとルシフェのカップは形が違う」

 分かっているのかどうか、ルシフェは「うんうん」と頷いた。

「それでも、半分こできるか?」
「やりゅー」

 彼女は自分のカップを持ち上げるが、手がプルプルと震えている。

「どれ、手伝ってやろう」

 ユーリが彼女の手を支え、カップを傾ける。

「ちょうど良いところで『ストップ』しろ」
「わかちゃー」

 カップからグラスに少しずつミルクが注がれていく。

「すとっぴゅ」

 ルシフェの合図にユーリが、カップを戻す。

「どうだ、これで半分こできたか?」
「むー」

 彼女はカップとグラスを見比べて、首をかしげる。

「こっち、おい」

 彼女はしばらく考えてから、グラスを指差した。

「グラスの方が多いのか」
「うん」
「じゃあ、今度は余が注いでやろう」

 ユーリはさっきよりもゆっくりと、ミルクを注いでいく。

「すとっぴゅ」

 そう言うと、ルシフェは満足そうな笑みを見せる。

「これで良いのだな?」
「はんびゅこ、できちゃー」
「じゃあ、余はグラスをもらおう。ルシフェはカップで良いか?」
「いいよー」
「というわけだ」

 ユーリはグラスのミルクを飲み干してから、聴衆を見回して告げた。
 店内はしーんと静まり返った。

「どうした?」

 呆気あっけにとられる者、考え込む者、小声で相談する者。
 そんな中、一人の女性が声を上げた。

「ああ、そういうことね!」

 聴衆の輪の外側から聞こえた声のぬしに、ユーリが視線を向ける。
 自然と人が分かれ、女性の顔が見えるようになった。
 緑色の髪は肩のあたりで軽くカールしており、頭頂部には細い編み込みが施されている。
 鮮やかなエメラルドグリーンの瞳には人懐ひとなつっこさが浮かび、白いブラウスに落ち着いた色のワンピースは商人らしい、この店に相応ふさわしい格調を備えていた。
 ユーリと女の目が合う。彼女はユーリに視線を向けられても怯むことなく、自信をたたえた笑みを浮かべた。

「申してみよ」

 興味を引かれたユーリは、口角を上げる。

「一人が半分に分けて、もう一人がどっちかを選ぶ――そういうことでしょ?」
「その通りだ。『切って、選ばせろ』。昔からそう言われている」

 ユーリが顎で続きをうながす。

「まず、アンタが土地をふたつに分けるんだよ。自分にとってちょうど半分こ、どっちをもらっても満足できるようにね」

 女はメガネに向かって言う。

「それで、そのふたつのうちどっちが欲しいか、ヒゲに選ばせるんだよ」

 群衆の一部は理解したようで、ささやごえがちらほら聞こえる。

「分けた方はどっちにしろ、半分の土地をもらえる。選んだ方も半分以上はもらえる。どちらからも文句は出ない」

 女のかみ砕いた説明に、賞賛の声が上がる。

「御子様、素晴らしい叡智を授けていただき、ありがとうございます」

 メガネはユーリに向かって頭を下げた。

「兄さんも、納得いっただろ?」
「なんか、だまされたような気がするぜ」
「なら、こうしよう。分けるのは兄さんだ。それで、俺がどっちか選ぶよ」

 それでも承服しかねるのか、ヒゲは腕組みをして考え込んでいる。

「ほう」

 それに対して、ユーリの口角が少し緩んだ。
 チラと見ると、先ほど答えた女もユーリと同じ結論にたどり着いたようで、微笑んでいる。

「どんな分け方でも、兄さんの好きに分けて良いから。絶対に文句は言わないから。そこは兄さんに譲るから、納得してくれないか?」

 メガネが殊勝しゅしょう下手したてに出たのを見て、ヒゲがニヤけ顔を見せる。

「そうかそうか。お前も少しは物の道理が分かるんだな。よし、それで良いだろう」

 メガネが差し出した右手を、ヒゲが強く握る。

「お嬢ちゃん、ありがとよ」

 ヒゲが礼を言おうとユーリの方を見たとき、メガネはこっそりと口元を歪めた。
 それに気がついたのは、ユーリと先ほどの女だけだった。
 さて、どうするか――ユーリはなにか言いたげでウズウズしている女に顎で合図を送った。

「ねえ、ヒゲの兄さん、アンタ騙されてるよ」
「なっ⁉」

 どういうことだ、とヒゲがメガネを睨みつけた。

「なっ、言いがかりだよ」

 メガネは言い訳するが、その目は泳いでいた。
 ユーリは面白くなってきたと、心底嬉しそうだ。
 聴衆も、今日はいつもと趣向が違うことに興味津々だ。

「おちゃわりー」

 そこにルシフェの場違いな声が上がった。その声に苛立った様子で、ヒゲが女に言う。

「おい、そこの女、説明しろよ」
「どっちが分けても、二人とも半分以上はもらえる。その意味では、公平だよ」
「なら、なにが問題だ」
「分けた方は絶対に半分。それより多くはもらえない」

 女の気づきに、ユーリはそっと笑みを浮かべた。

「だけど、選ぶ方は半分より多くもらえる。元の分け方がたまたま自分の価値観と一緒じゃない限りはね」

 今回の土地分割のように、その価値が主観によって決まる問題において、公平性の基準はいくつかある。代表的なのは「お互いが半分以上を手にしている」ことと、「お互いが相手の取り分を羨ましいと思わない」という、ふたつの基準だ。この意味では、ユーリが提案したのは両方の基準を満たす公平な分割方法だが、それでも実際は選ぶ方が有利なのだ。
 この場にいる者は、皆それなりの教育を受けているし、商売に携わっている者も多い。ある程度はピンと来たようだ。

「おい、テメェ!」

 ヒゲ男もようやく思い至ったようで、弟に掴みかかった。

「静まれ」

 ピタリと場が静まる。

「どちらも納得しておらぬようだな。ならば、余が最良の方法を教えてやろう」

 ユーリは表情を消し、短剣をテーブルに載せた。
 以前、この場で鍛冶かじ手伝いの少年から買い取った短剣だ。
 ザワついていた空気が、ユーリが放つ冷酷さにこおりついたように静まった。

「この程度でみにくく争うならば、どうやっても遺恨いこんは残る。どうせ、後になってから揉めるくらいなら、この場でケリをつけた方が安心できるのではないか?」

 兄弟は動きを止めた。揉めていたとはいえ、そこまでは思っていなかったのだろう。

「心配する必要はない。後処理なら余が引き受けよう」

 ユーリは冷酷に告げ、無慈悲に笑った。

「ここで起きたことは誰も見なかった。それで良いな?」

 ユーリは聴衆を見回す。口を挟める者は誰もいなかった。
 ここで相手をあやめれば、すべてを手に入れられる。
 そう言われて実行に移せる者はこの場にいないだろう。
 いや、この場に限らず、普通の者ならできない。
 なぜなら、行動の選択肢に「殺す」を含んでいないからだ。
 だから、ユーリがそれを俎上そじょうに載せただけで、固まってしまう。
 静寂の中、ユーリは前世を回想していた。
 王座を巡って、二人の兄と殺し合ったことを。
 大きな利が絡めば、たとえ血の繋がった兄弟であっても、血で血を洗う。

「人間は、自分の力ではなく手に入れたものほど執着する」

 ユーリは誰に言うともなく呟いた。

「ねえちゃ、ころちゅの?」

 無垢むくな顔でルシフェがユーリを見る。

「どうやら、その度胸も、覚悟もないようだ」

 ユーリはルシフェの頭を優しく撫でながら答えた。

「ころちゅの、よきゅない。なかよくしゅりゅー」
「だそうだ。もう良いであろう」

 ユーリに冷たい視線を向けられ、兄弟はすごすごとこの場を後にするしかなかった。
 彼女によって「殺す」という選択肢が二人に植えつけられた。この後、二人の人生はどうなるであろうか。

「女、名前は?」

 先ほどの女にユーリが尋ねる。その視線はずいぶんと柔らかくなっていた。

「御子様に名乗るほどの者ではないけど」
「構わぬ」
「マルゴット。しがない商人だよ」

 お互いを見定めるように、二人の視線が交差する。

「そなたも悩みがあるか?」
「ううん。噂の御子様をひと目、見たくてね」
「そうか」
「それに、自分の悩みは、自分で解決したいんでね」
「ならば、そなたが悩みを持ってくる日を楽しみにしておこう」
「ははっ。その際は、よろしくお願いするよ」

 そう言い残すと、マルゴットは手を振って、去っていった。

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