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第三章
港町
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暁月が見える頃。小珠は、気狐たちとの約束通り屋敷の門まで向かった。一日探していては腹が減るだろうと思い、おむすびも持ってきている。
門前には既に二口女たちが集まっていた。
「……小珠、折角外へ行くのに質素な格好ね」
二口女が不思議そうに見つめてくる。小珠は山に登りやすいよう、動きやすい格好をしてきた。農作業にも耐え得る木綿でできた衣服だ。
「山を越えるんですよね? 私、朝から準備体操をしてきましたよ!」
威勢よく言うと、気狐にくすくすと笑われた。
「小珠ちゃん、まさかわたくし達が一族の長の花嫁にこのような長距離を歩かせるとお思いですかぁ?」
「え? 違うのですか?」
「失礼しますねえ。小珠ちゃん」
一体の気狐が小珠の背中と膝裏に腕を回す。小珠は抱き抱えられている状態となった。気狐が地を蹴ると、小珠の体は気狐たちごとふわりと軽やかに宙に浮いた。
「えええ!?」
後ろからもう一体の気狐は二口女を抱え、空中を付いてくる。二体の野狐たちも当然のように地を蹴って浮遊した。
小珠はその様子を見て口をぱくぱくさせることしかできない。
「我々は妖力を用いて空を飛ぶことができます。少し時間はかかりますが、小珠様はしばし空中浮遊をお楽しみください」
気狐は妖艶に微笑み、更に上空へと向かう。
「これが……狐の一族の力……」
どうやら二口女も呆気にとられているようだった。
太陽が昇る頃、山を越えた。空から見下ろせば、見たこともない大きな船が桟橋に停泊している。付近の倉庫には外国からの舶来品が積まれているようだ。
異文化を取り入れた外国風の建物が立ち並んでいる間に、小珠を抱えた気狐が静かに舞い降りた。その後ろに二口女を抱えている気狐が、最後に野狐が続く。まだ人通りは少なく、空から降ってきたことは誰にも見られていない。
煙を上げる工場の中からは大きな機械音が漏れている。細い道を通り抜け、大きな道に出た。そこは港町の問屋街らしい。きつね町でもよく見る屋台や民家もありつつ、中心には洋風な建物が立ち並んでおり、〝喫茶店〟という見慣れない漢字の看板まである。異界に来たような気分だ。何もかもが珍しく、小珠も二口女もきょろきょろと辺りを見回す。
「外の町はこんなに変わったのですね……」
「外国の文化を取り入れ始めたのは最近ですよぉ。でも、急速に変化しだしてますよねぇ。というか、小珠ちゃんは元々人の住む場所にいたのではないのですかぁ?」
「私がいたのはここよりもっと自然豊かな村なので……」
こんな場所は初めて見たと言うと、気狐は微笑ましそうにうふふと肩を揺らした。
「では早速、二手に別れて聞き取り調査しましょう。二口女ちゃんは船の方を、小珠ちゃんは町の方を。今日一日では見つからないやもしれませんが、夕方になる前には集合しましょうねぇ」
慣れない土地で二手に別れたらどちらかが迷子になってしまうのではないかと不安になる小珠に、気狐たちが得意げに付け加えた。
「わたくし達気狐同士、野狐同士は離れていても意思疎通できますので、心配ありませんよぉ」
狐の一族とは、どうもかなり便利な性質を持っているらしい。しばらく一緒に住んでいても知らないことだらけだと感心した。
汽笛が遠くで鳴り響き、町は徐々に活気づいていく。
小珠は、人々に二口女が描いた似顔絵を見せ、この顔の者を見ていないか聞いて回った。
ほとんどの人は忙しいのか小珠が声をかけても無視するか厄介そうに適当な返事をしてくるのみだった。立ち止まって話を聞いてくれる優しい婦人たちもいた。
気狐も色んな人に声をかけてくれたが、昼過ぎまで手がかりは全くなく、お腹が空いてきたのでひとまず座って休憩し、持ってきたおむすびを食べた。護衛の野狐にも分け与えると喜んでくれた。
「あら。ウメさんではないですか?」
そうしていると、洋服姿の一人の婦人が小珠たちの前で立ち止まった。ウメという名前に聞き覚えがなく首を傾げる。次の瞬間、隣の気狐が勢いよく立ち上がって婦人の手を取り、いつもより更に高い声を出す。
「あらあらあらぁ! お久しぶりですぅ。元気にしておりましたかぁ? そちらのお着物にはいつも大変お世話になっておりますぅ」
「いえいえ。ウメさん、最近いらしてくれないから寂しかったのよ」
ウメというのは気狐の偽名のようだ。人間の前ではそう名乗っているのだろう。そして、この様子を見る限り、この女性は気狐が取り引きをしている相手の一人なのかもしれない。
「今日はどうしてこちらに?」
「それが人探しといいますか。駄目元で聞くのですけれど、あなたこのお顔に見覚えありますぅ?」
気狐が婦人に絵を見せると、婦人が感心したように頷く。
「あら、お上手な絵ね。この人知ってるわ。あっちの貸家に住んでるわよ」
小珠は驚いて立ち上がる。今日初めて得られた情報だ。
「……それは確かで?」
「ええ。造船業をしている方でしょう。凄く力持ちで有名なの。ただ……あまりお近付きにはならない方がいいわ。悪い噂もあるの。夜に海に浸かりに行っているとか、そんな不気味な噂……」
婦人が声を潜めて言う。
二口女の元恋人は海で過ごすのが一般的な妖怪、海坊主だと聞いている。人里で生活していても、たまに元の生活様式に戻りたくなる時があるのだろう。
「ありがとうございます。少しこの方に用がありますので、わたくし達はこれにて失礼します」
「待って、ウメさん。教えておいて何ですけれど、あの付近に行くのはやめた方がいいですわ。海に浸かっているという噂以前に、あの貸家の近くにはよく分からない宗教団体の集会に使われている広場がありますの」
「ああ、最近は海外の宗教が伝来しておりますもんねえ」
「海外の宗教ではありませんわ。古くからの変な信仰といいますか……。妖怪信仰? だとか聞いたことがあります。ほら、陰陽師って聞いたことあります? 今時妖怪って、と思いますけれど、あの連中は陰陽師を名乗っていて、本気でそういうものの気配を感じるだの何だのと言って町の住民にも変なことを聞いて回っているのですよ。ウメさんたちも巻き込まれるかもしれません」
婦人の言葉を聞いた気狐の顔が強張った。しかしそれはほんの一瞬のことで、すぐにいつもの柔らかい笑顔に戻る。
「心配してくださってありがとうございますねぇ。気を付けながら向かいますわ。また、そちらのお着物仕入れさせて頂きますので、何卒」
婦人と別れた後、気狐が難しい顔でぶつぶつと呟いた。
「おかしいですねぇ。わたくし何度もこの町には来ていますけれど、妖怪信仰の存在を聞いたことはありませんでした」
「……その人達がやってきたのはかなり最近ってことでしょうか」
「そうかもしれません。二口女ちゃんの恋人の家の近くで集会を行っているのも気になります。まさか、海坊主の気配を嗅ぎつけて……?」
貸家へ向かいながら気狐と並んで喋っていると、突然、一歩後ろを歩いていた野狐が小珠の腕を無言で掴んで引っ張ってきた。
立ち止まって振り返る。野狐は懐から紙を取り出して筆で字を書いて見せてきた。
〝もどろう 小珠〟
〝いやなよかんが する〟
野狐がこのようなことを言うのは初めてだ。
すぐそこに二口女の元恋人の家があるかもしれないとはいえ、警戒はしておいて損はない。一度二口女たちと合流してから情報をすり合わせよう――そう思って口を開いたその時。
音もなく、和服姿の男が小珠の隣に立っていた。
「匂いがする……九尾の狐の匂いだ……」
低く、やや掠れた声。嗅いだことのないはずの独特の梅が香がした。次に、何故かその匂いに覚えがあるような不思議な感覚に陥る。
「まだ生きていたのか……」
動けない。隣に立つ男の威圧感に圧倒されて身動きが取れない。
辛うじて目だけで彼を見上げる。
漆黒の髪をした人間。見たこともないはずの彼のことを、憎い相手によく似ていると思った。
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