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第一章

1話 釈放

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   二〇一四年六月。東京にある留置所。そこは死刑宣告を受けた犯罪者たちが、収監されており死を待つ犯人たちが、退屈そうに生活をしていた。

 鞍馬総司くらまそうじである。犯行は大量猟奇殺人。この犯罪は世界を揺るがせ、また、日本を恐怖に陥れた殺人だった。そして鞍馬が逮捕されると報じられたその日から猟奇殺人は今まで一つも起きてはいない。しかし、鞍馬はとても若く、肌は綺麗な状態であった。年齢は見るからにまだ二十歳にも満たしてはいないほど、幼い顔つきをしている。そんな鞍馬がここにいる理由。それは「冤罪」。

 鞍馬はまだ高校生を卒業する寸前で捕まってしまったのだ。ふと、学校帰りに寄り道をしながら、路地裏に入ったのが運の尽きだった。そこには、まるで熊にでも襲われたかのような傷跡が無数にあった。その死体を見て、生きていないと確信はしても鞍馬は好奇心でそれに近づいてしまった。そして、その場面を偶々通りすがった警察官に見つかり、悪いことをしてもいないのに逃げようとしてしまい、それで疑われてしまった。逃げようとしたら疑われるとわかっていても、鞍馬は逃げるという選択肢を選んだのだった。

 逃げてもすぐに捕まり、その後警察で、取り調べを受けた。初めの方は冤罪を主張していたのだが、最後の方にはやっていないのに自分が殺ったと言ってしまった。それからが酷かった。家族から見放され、恋人には振られ、友人も離れて行った。残ったのは孤独だった。今ではもう諦めている。そして今日は自分が死刑になるのでは? と毎日不安を募らせながら眠れぬ夜を過ごしている。

 現在時刻は八時。そろそろ、看守が見回りに来る時間だ。遠くから鉄の扉が高い音を立てながら開け放たれカツカツと足音が近づいてくる。おそらく今日も何か罵詈雑言を図れるのだろう。そう覚悟していた。

「鞍馬総司。出ろ!」

 ああ、おそらく死刑が決定したのだろう。看守が出ろと言った死刑囚はみなその日から姿を消していた。おそらく刑が執行されたのだろう。自分もその仲間になると考えると少し寒気がした。しかし、看守について行くとそこは、死刑を執行する前の部屋ではなく、普通の会議室に似た部屋であった。

 どういうつもりか。看守は「ここで待っていろ」とだけ言い残して、部屋を立ち去った。部屋に取り残された鞍馬は、何故他の看守がいないのか疑問を抱きつつ、その場で立ち尽くしていた。しばらくすると、会議室の扉が開かれた。先ほどの看守が入ってきて、その後ろに小さな少女がいた。彼女が一番偉いのだろうか? 小さな女の子ではあるが、おそらく警察関係の人間だろうと思っていた鞍馬だったが、その考えは一言で覆された。

「貴方が鞍馬総司さん?」

「如何にもそうだが……」

 そう言ってから、彼女は黙り、鞍馬の全身を観察し始めた。彼女が「ふーん」と言いながら正面、足、背中までじっくりと観察された。いったい何が始まるというのだろうか。そう鞍馬が疑問に思っていると、

「合格ね……看守さんあとは私に任せて頂戴。もう仕事に戻っていいよ」

「はい、わかりました」

 そう彼女が告げると、看守は会議室から出て行った。

「ふあ~やっぱり疲れるわ」

「何が疲れるんだ?」

「何でもないわ」

 そう言って踵を返し、会議室にある一番立派な椅子に腰かけて、鞍馬を一喝した。

「貴方はこれから、真犯人の捜査に協力してもらうわ! 異論は認めない」

 何を言われたのかさっぱりだった。
いきなり捜査に協力しろと言われても何のことかわかるはずもない。それは鞍馬は死刑が執行されるから、何か質疑応答という名の尋問に答えた後死刑が執行されるのかとずっとそのことばかり考えていたのだ。

 仮に、死刑が執行されなくともまた尋問が始まるのかと思っていた訳だ。それが、いきなり会議室みたいな場所に連れ込まれ、揚句少女に「捜査に協力しろ」と言われたのだ。何が起こっているのか鞍馬の頭の中では理解できなかった。

「唐突すぎたね。まずは自己紹介から行こうか。私は柊夏芽ひいらぎなつめ。冬の木と書いて柊。夏に芽が出ると言って夏芽。簡単でしょ? 鞍馬総司さん」

「何故私の名を知っているんだ?」

「有名だからね……それに」

「それに?」

 その単語を最後に、椅子から飛び起きて鞍馬の目の前まで来た。笑顔で右手を差し出し「で、協力してくれるの?」と言った。一瞬頬が火照るくらい驚いたが、絶対気のせいである。それに、鞍馬はまだ話が呑み込めていない。いきなり見ず知らずの少女に、捜査の協力をお願いする。と言われても鞍馬は現在服役中。万が一にも協力をすると言っても調べることなぞ不可能に近いのだ。協力をするとなったら、まずあり得ることはないが、仮釈放される必要がある。しかし、大量殺人犯を警察は易々と仮でも釈放はするのだろうか? 鞍馬はどんなに弁明しても、結局は犯人扱いされ、周りから罵られ、最終的には死刑宣告まで言い渡されるほど悪党なのに……だ。

「まず、協力することに関してだが、見ての通り私は服役中だ。もちろんニュースで見ているか知らないが、世間では大量猟奇殺人犯として名を馳せてしまっている。そんな状態で警察が仮にも釈放を許すとでも? 非常識にも甚だしい」

「では、私がその仮釈放をさせることができる……って言ったらどうする?」

 何を言っているんだ。まずそんなことができるとは到底思えない。仮にできたとしてもそれなりの権力を持っているか、それこそ警視総監くらいの権力を持ち合わせていないとできないはず。本当にふざけている。会議室の扉の取っ手に鞍馬は手を掛ける。

「まだ話は終わってないのに、逃げるつもり?」

今度はどすの利いた声だった。自分よりも幼く見える少女のたった一言。普通にかわいらしい声なのになぜか重く感じる。
 逃げる? この俺が?

「そうやって半年前みたいに逃げるの?」

 半年前……。半年前は鞍馬が冤罪で逮捕された日。それを柊が知っていても何らおかしいことはない。連日ニュースで報道され、死刑判決が言い渡されるまで続いていたのだ。

鞍馬は、初めこそは冤罪を強く主張したのだが、それを信じる警官は誰ひとりいなかった。その日からもう諦めてしまっていたのだ。

「鞍馬総司。現在の年齢は一九歳。東京国立大学付属高等学校中退。家族構成は父母と君だけの三人。そして高校を卒業する前に東京のある路地裏で、体に熊の爪痕の様な傷跡がある頭のない女性の遺体を偶然見つける。警察を呼ぼうとするも、その前に警察が来てしまい、現行犯逮捕される。君はその場で無罪を主張したが、手には女性の血がべっとりと付いていた。……それはなぜか。それはその路地裏は見えないほどではないけど暗かった。何かが落ちていることに気付いた君は、遺体に触れてしまった。その時に血が付いたのね……。そして無実の君が冤罪として捕まり、三か月ほど前の最高公判で死刑が確定した。というところかしら?」

 一言一句間違いのない事実だった。鞍馬は確かに気分転換にと、路地裏に回り道をしながら帰宅をしていた。後は目の前の少女が言った通り。でも何故柊は鞍馬の家族構成を知っているのか? ニュースではあまり報道はされていないはずである。しかし、妙だ。何故柊というこの少女は鞍馬に捜査に協力を求めてきたのだろうか? まさか、彼女は鞍馬の刑期を伸ばして死の恐怖に怯え苦しむ鞍馬の姿を見たいが為に、協力を求めに来たのかもしれない。そう考えると、無性に腹が立ってきた。

「そんなことをよく調べれたな。どうせニュースでも見たんだろ……。いやお前なんで俺が冤罪を主張したことを知っているんだ?」

「さあ? どうしてかしらね」

 こいつは口を割らないつもりだろう。このまま聞いても恐らく相手にされないどころか話を変えられそうだ。ここはやはり否定的に対応するべきかと、鞍馬が悩んでいると、柊はため息を吐きながら、胸ポケットから何かの手帳を取り出した。

「私はただの高校生よ? まあちょっとオカルトには興味はあるけど……」

 そう言いながら見せてきたのが、東京国立学園女子学校高等部二年と書かれており、氏名欄には『柊 夏芽』としっかり刻印されていた。

「ただの高校生が、警察を……それも看守を一言命令しただけで従わせられるっていうのもおかしいとは思うんだが……信用ならないな。ただの高校生にそんなことは普通できないだろ?」

「そんなことはどうでもいいのよ。それで、協力するの? しないの?」

絶対に正体を明かさないつもりでいるのだろう。柊は腕を組んで少しふくらみのある胸を強調させて言った。

 推測ではあるが鞍馬がイエスと首を縦に振らない限り、柊はずっと効いてくるだろう。ここはこちら側が折れて、話を終わらせるしかないようだ。

「わかったよ柊――」

「夏芽……」

「え?」

「苗字で呼ばれるの嫌なのよ。だから夏芽って呼びなさい。いいわね?」

顔を近づけて指を鞍馬にさしながら言った。その瞬間ほのかな桜の香りがしたが、気のせいである。

「わかった……えっと、夏芽、さん」

「よろしい!」

 半分強制のような感じで、捜査に協力することになってしまった。が、しかし操作をするといってもいったい何から始めればいいのか。それに現在死刑囚である鞍馬をどうやって留置所から出すというのか。全く理解ができない。

 そもそも、鞍馬が逮捕されてから、猟奇殺人はなぜか消えた筈だ。そのタイミングのせいで、ますます疑われるようになったというのに、半年たった今も刑は執行されていない。長く生かせて恐怖を煽っているのだろうか。現在の日本警察はいい趣味をしてらっしゃる。本来なら周りの死刑囚みたいに、半年待たたずに刑を執行するはずだろうと考えるが、実際は他の死刑囚がどれだけ留置所にいるのかは鞍馬はわからない。

 死刑囚は、朝昼夜の食事、ご飯、読書とある程度房内では自由の身であり、映画鑑賞もできたり、煙草や日用品、雑貨類など限定はされてはいるものの買い物ができる。鞍馬は未成年であるため、タバコ類は買うことができなかったが、それでも、本はとても好んで購入していた。中でも、ミステリーや推理小説が好きな鞍馬にとって、本当に限定された本しか購入できないと知ったときはとても落ち込んだが、外国の小説でラブ・クラフト全集という小説を読んでみたことがあり、これがまた面白く、ミステリーでもあり推理でもあったので、鞍馬自身はそれを読むのがとても楽しみであった。

 逮捕される前までは、アニメやゲームと言った、所謂オタクと呼ばれるものが好きだったが、留置所に入ってからは、海外文庫を読み漁るようになり、今ではアニメやゲームよりも好きなものはミステリー小説と推理小説と、すぐに答えてしまうほどだ。

「何を考えてるのか知らないけど、早く行くわよ?」

 鞍馬の前を横切り、会議室の扉を開けた柊は、そのまま出て行った。慌てて追いかけると、先ほどの看守偉大誰もいなかった。

「話は終わったんだな? よしついてこい」

 看守がそう告げると、鞍馬を連れて二階にやってきた。

「さっきの……夏芽はどこ行ったんだ!?」

 鞍馬が看守に答えを求めるが、それに答える素振りは見せない。本当に何が起こっているのかよくわからない。それに、ここは警察署じゃないのか? 周りを見ても、窓という外の景色を見ることができないような造りをしている。まるで、何か不可思議なもの、よくわからないものに、巻き込まれているかのような、そんな恐怖が鞍馬を襲う。

 数分歩いて、看守が止まると「ここだ。入れ」と言ったのは談話室と書かれたはやだった。先ほどの会議室と言い今の談話室と言い、何がどうなっているのかさっぱりわからない。

 逃げようとしても看守に捕まるだけなので、大人しく談話室に入る。ノックを散開すると「どうぞ」と柊の声に似た声が聞こえた。

 中に入ると、中央にソファがあり、その奥には書斎のような机がある。そしてそこに座っていたのは柊だった。

「遅かったのね。ついてきなさいと言ったのに。まあいいわ」

 どういうことだ? トリックでも使ったのか? それとも彼女は何か特別な何かを持っているのだろうか。いや、そもそも漢書は人間なのか怪しくなってきた。

 そう考えながら構えていたのだろう。柊は「そんなに警戒しないで欲しい」と言って、先ほどの説明をしてくれた。

「何も簡単なことよ? そう難しく考えることはないわ」

    そう言ってテーブルに置かれた、ティーカップを手に取り、その中身を啜る。余程熱かったのか、途中小さい声で「あちっ」とか聞こえたが、聞かなかったことにした。そして、それを置くと口を開いた。

「君が私を追いかけて、会議室から出ると既に私の姿はなかった。そして看守に私のいるここに、連れられてきて扉を開けると私がいた……こう聞くと私は瞬間移動したことになる。けれど、私は瞬間移動もできないし、況してや人間をやめた覚えもない。だって君がこの部屋に入る約数分前に、私もこの部屋に入った。ということよ?」

   だめだ。さっぱり柊の言っている意味が理解できない。鞍馬からしたら、彼女はこの部屋に誰も見つからずに入ったこととなる。そんなことが可能なのだろうか? まずあり得る話ではないことは確実だ。それを可能にするには、柊自身存在が薄いということになる。本当にそんなことは可能なのだろうか? もしかしたら、彼女は否定しているが、人間ではないのかもしれない。

「私が人間じゃないかもしれないって思ってるんでしょう? 無理もないわ。君が少しでもそう思うならそうなんじゃないかしら? それでも私は否定させてもらうけどね」

   ティーカップの中身を一気に飲み干して、柊は立ち上がった。目にはまだ熱かったのだろうか、涙を浮かべているが、それを気にする様子もなく、後ろの棚からとあるファイルを取り出した。

   それをテーブルに置き、中を開けた。それは文字がビッシリと隙間なく埋めており、鞍馬の見える限りでは、『大量猟奇殺人。犯人捕まる!? 犯人はなんと高校生だった!』という大見出しがハッキリと見えた。おそらく新聞だろうと推測できる。

   その新聞を横に置き、もう一つ何やら白い紙を取り出した。

「さぁ、そこに座って? 協力してくれるんでしょ? 君しか知らない真実を言ってくれるだけでいいわ」

   どうやらそれは、メモ用紙の類であるようだ。鞍馬は言われるがまま、柊と対面する様に、ソファに座った。

「取り敢えずだけど、私の知っているのはさっき話した通りよ。もし差異があるなら書き直さなくてはいけないから、あの時……半年前のこと、できるだけ正確に話してくれる?」

「あぁ……わかった。あの時はーー」
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