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第五章 引き裂くのは運命か、それとも定めか。

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 指定の場所、指定の日時。私はタイムリープ出来ずに、今日という日を迎えてしまった。

 郊外にある撮影スタジオに来た私と五十嵐社長は、共にスッピンでヘアセットもしていない状況だ。それは怠慢ではなく、そういう指示があったからである。たくさんの人をかき分けてスタジオ内に入れば、私たちに気付いた二木専務がにこやかに手を振って迎えてくれた。

「二人とも。遠くまでありがとう」

「いえ。ご迷惑にならないように努めます」

「右に同じくです」

「あら・・・緊張しているの?」

「もちろんです。二木専務。今からでも考え直しませんか?」

 口角を精一杯下げて困り顔をして見せても、二木専務は楽しそうに笑い返してくる。

「一体何を? 伊藤さんのために衣装も用意したのよ?」

 しっかりと埋められた外堀を前に、私は逃げられないことを悟り立ち尽くすしかない。いい加減に腹を決めろということなのだろう。

「頑張ります」

「ふふっ。困らせたいわけじゃないのよ。それじゃあ、準備してもらうわね。恵子けいこちゃん! 話していた伊藤さんと五十嵐社長が来られたわ」

 二木専務の手招きに応じた恵子さんがこちらに向かって来る。恵子さんは四十代くらいの快活そうな女性で、後ろには数名のスタッフも付いてきている。

「わぁ・・・とんでもないイケメンを見つけてきたわね。さすが二木さん」

 五十嵐社長を見て恵子さんは甘い溜息を吐き、後ろにいたスタッフの女性も目をキラキラさせている。私はきっとマネージャーのおばさんだと思われているのかもしれない。

「メインはこちらの伊藤さんよ」

 そう言って二木専務に背中を押されて一歩前に出ると、恵子さんは値踏みするように私を上から下まで舐めるように見た。

「あら・・・、そう。貴女、良い身体しているわね」

「え?」

「肉付きがいいけれどメリハリもあって、なんというか・・・エロい身体している。似合う衣装があるわ。付いてきて」

 恵子さんに腕を引かれて五十嵐社長を振り返れば、五十嵐社長も他のスタッフに連行されていくところだった。ああ、不安で堪らない。


 控室に入ればハンガーラックに掛けられたドレスが並び、大きな鏡の前には化粧品や美容器具が並んでいる。そのまま恵子さんに引かれて進めば、ハンガーラックの前で解放された。

「これ、着てみて」

 渡されたのは黒いドレスで、シルクの滑らかな肌触りに光沢の生地が上品だった。鎖骨から手首までが細かなレース生地で出来ていて、胸元から下がシルクのロングドレスになっている。ウエストは絞られているけれど、下の方はふわりと広がっていてそんなに身体のラインは目立たなそうだ。

「ど、ドレスを着てCMですか?」

「そう。さ、メイクもヘアもあるから急いでちょうだい」

 背中を押されてフィッティングルームに押し込まれれば、もう着替える以外選択肢はない。着ていた服を脱いで鏡を見れば、多少くびれているもののおしりは大きいし足だって太い自分の身体にため息が出た。一応悪あがきとして、マッサージを死ぬほどしたし食事制限もした。それでもやっぱり見せられる程のものにはならなかった。それでも、もう逃げるわけにはいかない。破いてしまわないように丁寧にドレスを着ていく。腕はギリギリ入った。それでも背中のチャックが自分では上げられない。

「伊藤さん? 開けるわよ」

 言い終わる前に開かれたカーテンに、みっともない体勢のまま数人のスタッフにお披露目されてしまった。途端羞恥心で顔が熱くなっていくけれど、スタッフさんたちはお構いなしだった。というか慣れた雰囲気で近寄ってきてチャックを上げてくれた。きゅっと閉められたチャックのお陰で背筋が伸びる。

「うん。いいわね。じゃあ、後はよろしくね」

 ドレスをチェックした恵子さんは、指先だけひらりと揺らして控室から出て行ってしまった。取り残された私はスタッフさんたちにされるがまま椅子に座ると、三人のスタッフが私を取り囲むように立った。

「メイクしていくので、まずはマッサージからしていきますね」

 背後に立った女性が手早くタオルで髪をターバン巻きして、両サイドの女性が私の手にクリームを塗り始めた。まるでお金持ちになった気分。至れり尽くせりに思わずうとうとし始めた頃にマッサージが終わってしまった。閉じかけた瞼を必死に持ち上げれば、顔のマッサージをしてくれていたスタッフさんが私の顔を覗き込む。

「伊藤さん。エステ通っていますか?」

「いいえ。自宅のケアのみです」

「えぇ・・・お肌、めっちゃ綺麗ですね」

「ああ、めちゃくちゃ良い美容液を使っています」

「え!? 教えてください!」

 さすがに目が肥えていると思った。顔のマッサージをしてくれたこの女性は、多分メイクさんだと思う。遠い昔の美容専門学校の頃には、私もメイクの授業で友達の顔をマッサージしたものだ。懐かしい。友人の何人かはこのようにメイクの仕事をしているのだろう。芸能人相手なら尚更、美容器具や化粧品には敏感なはず。私はこれまで何度もプレゼンしてきた内容を、メイクさんたちに聞かせながら準備を整えていくのだった。


 ヘアセットまで終わるころにはスタッフさんたちと仲良くなっていた。しかしさすがメイクでお金を頂いているだけあって、仕上がりは私も驚く程綺麗だった。綺麗というのは私の顔がというか、メイクのりがというかそういう綺麗のことだ。目元のアップが多いから、ラインはしっかりと引くけれど太くは引かなかったらしい。睫毛を強調させることが大切だから頷ける。ちゃんと新商品のマスカラベースとNIKIのマスカラを使って睫毛を仕上げた。嘘偽りはない。もちろん商品が良いから、素敵で魅力的な睫毛に仕上がったと思う。自分で言うのは照れくさいけれど。

 髪は意外にもブローだけで終わりだった。耳上で邪魔な髪をピンで留めただけのシンプルなものだが、ピンは薔薇の形にスワロフスキーが付いていてとても可愛い。私にも買える値段だったら後で買いたいと思うくらいだ。素敵に仕上げて貰って、鏡を見て思わず笑顔が零れる。最後に渡された黒色の上品な手袋を両手にはめた。

「伊藤さん。可愛いですよ」

「もう。たくさんの芸能人を見て、目が肥えているくせに。お世辞ありがとうございます」

「ふふふ。人柄も可愛いです」

「あーっ。馬鹿にしていますね! 私は三十路ですよ」

「はははっ。それじゃあ、行きましょう。お連れのイケメンがお待ちですよ」

 そう言われて五十嵐社長の存在を思い出した。私が待たせているとなれば、何か文句を言われるかもしれない。メイクさんに言われて弾かれたように立ち上がり、「行きましょう」と逆にスタッフさんたちを急かした。



「伊藤さん入られます」

 メイクさんと別れて他のスタッフさんに付いていけば、先ほど二木専務と挨拶を交わしたスタジオに戻ってきた。さっきは緊張していて見られなかったけれど、セットは真っ白の背景の中央にアンティーク調の椅子が一脚置いてあるだけだった。その前にはテレビでも見たことがある大きなカメラが二台置いてある。その後ろにはたくさんの人が忙しそうに動いている。

「伊藤さん・・・、綺麗よ」

 振り返った二木専務が私を見てそう言ってくれた。まるで成人式の娘を見るような表情にこちらが照れくさくなる。その隣に立った男性の背中に視線をやれば、ゆっくりとこちらを振り返った。ネイビーの光沢のある上下スーツに白い光沢ベスト、白いシャツに薄いブルーのネクタイをしている。髪はしっとりと掻き揚げるようにセットされていて、控えめに言って国宝級にかっこいい。

 思わず見とれていれば、五十嵐社長はふいっと私に背を向けてしまった。話の途中だった様子で、またモニターと書類を見ながら監督のような人と話始めた。そんなあからさまにしなくてもいいのに。「似合っていない」とか「ちんちくりんだ」とか、はっきりけなしてくれた方が言い返せるというものだ。そりゃあ、五十嵐社長もたくさんの美人を相手にしてきたのだろう。私なんて、痩せたってカピバラなのだ。
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