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序
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実り穂を模した鳴杖が音を立てる。さやさやと涼やかに耳によい音だ。
杖で軽く地を打ちながら、よく風を含む赤い裾を翻して土を踏みしめる足は今は裸足だ。尾の行脚、豊穣祈願の巡行の景色。まだ水を引いていない田に下りて歩み祝福をする金の尾は美しい。畔に並んだ見物の民衆が拝む様を斜に眺めるとどことなく胸が満ちた。今年も豊作になるだろう。
尾の行脚は、春先の麦踏みの頃から他の作物の種まきや田植えの前までにコンヨ国内の各所で行われる。占いに従ってその年の道を選び、派遣された金の尾が大地を巡り歩いて豊穣を請う儀礼だ。
鳴杖を携え、朱色の衣に白い上着を羽織り、背で十字に交差した飾帯を身に着ける。肝心の尾は隠されていて見えないが、白黒がほとんどの常人とは異なる金の髪は明らか。一目でそれと分かる独特の出で立ち。
金の尾。名の通り金色の尾を持ち生まれた吉祥。その存在は豊穣と富を齎し、宝を探し当てる。
ただ、そうした奇跡を伴って美しいだけではなく賢く弁にも優れるが為に、しばしば宮中、政の場に上がっては人を惑わし世を乱した。ゆえに帝によって口を塞がれ、尾の宮へと集められ国土を養い豊穣を祈り、ときに水脈や鉱脈を探す務めに当たる、今の立場に納まったという。
伝説に残る昔は口を縫われた、膠で閉じられたという話もあり――今でも言葉が過ぎると呪符で封じられるなどとは聞くが、少なくともこの三十年近く、俺が生きているうちでは大事になったのは聞かない。記録によれば三百年は皆無害でよく仕えたそうだ。歩く彼の口元は衣と揃いの色で染められた赤い布で覆っているだけだった。
声も出せないわけではなく、挨拶もいくらかの会話も支障がない。ほとんどの世話は宮からの世話係や目付である岩偶がしているので皆多少遠巻きな風ではあるが、本人もこの務めに慣れた様子で初日はまったく滞りなく終わりそうだ。
俺のような引率、随伴や護衛もまた占いで選ばれて振り分けられる。数ある儀礼の中でも格別に縁起のよい、名誉のある仕事だった。自慢にして子々孫々にまで語り継げる。尾からのご利益も勿論だが、尾と連れ立って――たとえ道中で何事か唆されても邪心を抱くことのない忠義ある者と帝に信頼された証でもある。これを任された後は出世できる、とは、噂よりも事実としてあった。我が家の曾祖父もその一人だ。
一族から二人も名指しされた、諸侯の家でもなかなかあることではないと喜び祝って送り出された。立派に務めてくるようにと言った母はいつもの厳しい口振りではあったが、やはり幾分誇らしげだった。
揺れる鳴杖の先端が光る。白衣も金の髪も斜陽に染まっていた。夜が近い。今日はもう終わりだ。この辺りでは最後の田を巡って、済めば今日の宿となる役場に向かう。
騎や黒脚も使い、予定通りにいけば一月半から二月ばかりの旅程。粛々とした静かな旅になるだろうと、思っていた。
杖で軽く地を打ちながら、よく風を含む赤い裾を翻して土を踏みしめる足は今は裸足だ。尾の行脚、豊穣祈願の巡行の景色。まだ水を引いていない田に下りて歩み祝福をする金の尾は美しい。畔に並んだ見物の民衆が拝む様を斜に眺めるとどことなく胸が満ちた。今年も豊作になるだろう。
尾の行脚は、春先の麦踏みの頃から他の作物の種まきや田植えの前までにコンヨ国内の各所で行われる。占いに従ってその年の道を選び、派遣された金の尾が大地を巡り歩いて豊穣を請う儀礼だ。
鳴杖を携え、朱色の衣に白い上着を羽織り、背で十字に交差した飾帯を身に着ける。肝心の尾は隠されていて見えないが、白黒がほとんどの常人とは異なる金の髪は明らか。一目でそれと分かる独特の出で立ち。
金の尾。名の通り金色の尾を持ち生まれた吉祥。その存在は豊穣と富を齎し、宝を探し当てる。
ただ、そうした奇跡を伴って美しいだけではなく賢く弁にも優れるが為に、しばしば宮中、政の場に上がっては人を惑わし世を乱した。ゆえに帝によって口を塞がれ、尾の宮へと集められ国土を養い豊穣を祈り、ときに水脈や鉱脈を探す務めに当たる、今の立場に納まったという。
伝説に残る昔は口を縫われた、膠で閉じられたという話もあり――今でも言葉が過ぎると呪符で封じられるなどとは聞くが、少なくともこの三十年近く、俺が生きているうちでは大事になったのは聞かない。記録によれば三百年は皆無害でよく仕えたそうだ。歩く彼の口元は衣と揃いの色で染められた赤い布で覆っているだけだった。
声も出せないわけではなく、挨拶もいくらかの会話も支障がない。ほとんどの世話は宮からの世話係や目付である岩偶がしているので皆多少遠巻きな風ではあるが、本人もこの務めに慣れた様子で初日はまったく滞りなく終わりそうだ。
俺のような引率、随伴や護衛もまた占いで選ばれて振り分けられる。数ある儀礼の中でも格別に縁起のよい、名誉のある仕事だった。自慢にして子々孫々にまで語り継げる。尾からのご利益も勿論だが、尾と連れ立って――たとえ道中で何事か唆されても邪心を抱くことのない忠義ある者と帝に信頼された証でもある。これを任された後は出世できる、とは、噂よりも事実としてあった。我が家の曾祖父もその一人だ。
一族から二人も名指しされた、諸侯の家でもなかなかあることではないと喜び祝って送り出された。立派に務めてくるようにと言った母はいつもの厳しい口振りではあったが、やはり幾分誇らしげだった。
揺れる鳴杖の先端が光る。白衣も金の髪も斜陽に染まっていた。夜が近い。今日はもう終わりだ。この辺りでは最後の田を巡って、済めば今日の宿となる役場に向かう。
騎や黒脚も使い、予定通りにいけば一月半から二月ばかりの旅程。粛々とした静かな旅になるだろうと、思っていた。
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