こがねこう

綿入しずる

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二十五歩 迎える

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 シマ家の現当主であるエンジュと俺は腹違いの兄弟で、血筋で言えば従兄弟でもある。姉妹で嫁いだ母らの子だ。ほんの数日の差で生まれ――エンジュの母が肥立ち悪くそのまま臥して亡くなった為に二人揃って我が母の元、どちらが兄とも弟ともつかずに競い合って、どちらがこの家を継ぐかと言われながら生きてきた。育つまで嫡子を決めぬのは武人の家ではままあることで、場合によっては数年違うのを兄だの姉だの言い張るというから、俺たちはまだ差がないほうだ。
 腕っぷしでは俺のほうが優るようになったが、あちらも粘り強くよく頭が切れた。有難いことにお互い人には好かれたし運もあった。結局、父は決断をしないうちに逝き、優劣つけがたい、として天命に任せることになった。成人や任官と同じように二人揃って祝言を上げ、先に子ができたほうが家を継ぐ。そういう話だった。二十二、三の頃、将軍になるより前、未だ若輩の時分である。
 俺と婚約したのは内気で可憐な貴族の姫だった。正直俺に怯えていたと思う。家が決めたことだと言うのに真面目に、少し俯きながらも努めて俺の横に座る姿を好いてはいて、よくしてやりたいとは思っていたが、惚れてはいなかった。――そのときはまだ。
 婚約を取り消したいと連絡があったのは、彼女とも何度か顔を合わせて親睦を深め、いよいよ準備も整ってきた一年ほど後のことだった。王族の者に見初められたと聞かされた。母は大層怒って、エンジュは俺よりも呆けていたが、揉め事にするには至らなかった。元より向こうの家のほうが格が高いのに加えて、王族が言い出したものなら荒立ててもこちらが不利になることは明白、向こうも謝る姿勢で居るうちに収めるのが得策だった。あれこれと差し出されて、多少の不名誉を引っ被りながらも和解した。
 ……最後に会う機会をと言い出したのはあちら側だった。家ではなく、密やかに、姫が自ら文を寄越した。それで互いの家の者には隠れて会った。そこで彼女は向かい合った俺に頭を垂れて、申し訳ないと詫びた。
 あの方を慕っているのです、と言った。請われたから嫁ぐのではなく、家の為に相手を変えて嫁ぐのでもなく、これは己が惚れてしまったゆえに起きたことだと。自分の不義理なのだと。いかにも気弱な彼女がそう振り絞っただけで、俺は許した。敬服したと言っていい。この大男を前に決意を見せたのだ。家に守られて、そんなことをする必要もなかったのに、若い娘なりに彼女にできる一つだけのことをして俺に詫びた。
 そのとき恋というものの何たるかを知った。恋というのは恐らくそういうものだ。擲ってでも前に出るもの。
 ああ、俺はこの娘に今更惚れた。――思って、その遅すぎることに呆れるしかなかった。もっと早く愛していれば、彼女はこちらを向いていただろうに。
「貴女を娶れぬことを今、心底惜しく思うが」
 俺は恰好をつけた。和解の後だ、家のことも勿論あったが、最後に姫によく思われたかった。後で振り返ったときに、あれはいい男だった、惜しかったとでも思わせたかった。
「その道行きを寿がせてほしい。どうかその方と末永く。幸せになれ。ならんと許せん」
 ――それで結局エンジュだけが結婚し、子を成し、それを天命と見て家督を獲った。俺は弟として支える側に回った。
 一度のことで嫌になったというわけでもないが、理由が無くなったので急いで伴侶を探す気も起きなかった。いずれ誰かよい人が見つかるのを待てばいい。見つからないならそれはそれでいい。母やマユミなどには悪いが……エンジュの周りはそのほうが安心するだろうし、身一つあれば仕えるには十分だ。そうこうするうちに妹のほうが先に好いた相手がいると連れてきて契りを結び、まあ何というか俺のことは曖昧なままできた。前のときに俺が何かして破談になったのだという噂が消えて、エンジュがどこかの家と縁を持つべく見合いをしろと言うのならそれも考えようと、そういう構え方だった。
 そうして昨年、行脚の引率にと指名があった。またとない名誉、そして転機だった。
 此度――ススキについて、あのときのように遅れをとってはならぬと思った。
 見送ったあの人は幸せにやっているだろうか。ススキは俺が幸せにしたい。俺の傍らで、俺を見上げて笑うのが一等に美しく愛らしいので。
 彼はあの娘と違って俯かない。ときに照れた様子で視線を逸らすことはあるが、俺を見つめてくる。首が疲れやしないかと心配になるほど、しっかりと上向いて。それをずっと見ていたい。彼の横には俺が居たい。
 ……そう願い、今回も言い出してから大体一年経った。ので、今更、何か起きるのではと不安になってきてもいたのだが、無事この日を迎えた。
 今夜の月は彼の色に似ている。明るい月夜なのに静かな雨の降る、天にも祝われた気のする美しい夜だ。人払いされた道を進む行灯が見え――やがて、丁度行脚のときほどの規模の列が見えた。
 来たので中へ伝えてくれとイタドリに命じて、深く、息を落ち着けて迎え入れる。
 垂穂宮たりほのみやから運ばれてきた輿がとうとう家の門を潜る。目印の朱色で垂れ下がった幕を払い、降り立ったススキはやはり見惚れるほど美しかった。
 ……ああ。その恰好で向かい合うのがこれほど嬉しい。
 束ねた髪を包む伝統的な巾の頭から靴まで、黒を主として揃えられた男子の晴れ着はつまり俺とも大体揃いだが、印象はまるで違ってたおやかだった。飾りの刺繍は控えめだが朱で刺されているのが目を引く。いつものように長い裳を巻いており、尾は隠されていた。
 着いたのを確かめるように踏みしめ、歩み寄り、一礼をして俺を見上げる。澄んだ美しさを湛えたその顔が綻んだ。
「お待たせしました」
「ああ。待ち遠しかった」
 声は静かに、しかしはっきりと聞こえた。
「――やあやあ、こういう再会は考えませんでしたが、めでたい。まこと佳い日です。おめでとうございます」
「おめでとうございます。お久しゅうございます、アオギリ殿。本日儀礼を務めさせて頂きます」
 そう、くつの音と共に声がするのに見遣ると懐かしい顔も並んでいた。婚儀を執り行うのに派遣されたのは巫覡のサカキ殿とアズサ殿、あの二人だった。行脚のときより華やかに羽織り物をして鉢巻の下の顔も塗った彼らは、無駄口を叩くと怒られるとばかりに挨拶をした後は手で口元を隠したが――確かに笑んでいた。
「よろしくお願いします」
 本当は話をしたいところだが、折角此処まで来て誰かに睨まれるのは避けたいので俺も黙って、はにかむススキと共に頭を下げる。他には護衛と宮廷の人間が幾らか。岩偶ガグのシチも着飾って来ていた。内々に済ませるべく夜中の儀礼となったが、姫宮も見ているだろうか。
 数百年ぶりの金の尾コノオの輿入れとあって入念な話し合いや下見があった。挨拶と、段取りの確認は手短に済む。既に整った祭壇へと二人並んで向かった。
 匹偶ひつぐうの契りを確たるものにし家々を繋ぐ婚儀は、儀礼の中でも特に重要なものとして天に奉る為に外で行われる。人が揃うとおりかもの敷物の上に張っていた雨除けも外された。月明かりと火で照らされた庭は慣れ親しんだ家のものではないように見え――その中で、美しい雲が広げられている。
 感動に立ち尽くして息を吐く。
 周りが贈ってくれた布や糸を少しずつ繋げて一枚にした、繍雲シュウンと呼ばれる祝いの品。金や銀、艶糸や珠で縁取り飾りを施された白雲は数人がかりで広げるような、俺とススキと二人の体まで覆えるほどに大きいものだった。
「素晴らしい。これほど立派な繍雲にはなかなかお目にかかれない。人に好かれる方の祝言ですな」
 そうサカキ殿に褒められるのは本当に誇らしく嬉しいものだった。家族や親戚に加えて、世話になった先達や友人、兵たちも、まとめてでいいと言ったが皆それぞれに布や糸を都合してくれたという。ガイ州のほうの綾織だろう布まで見えた。垂穂宮の金の尾たち、イナや、サハリ様からも艶糸を賜ったと聞かされている。感謝の限りだ。今日は一切客を呼べなかったが、多くの人に見守ってもらっていると思う。
 隣のススキを窺えば繍雲が光を映して明るく顔を照らし、潤んだ目が輝いて見えた。
 では、と促され、氈に向かい合って座り込み、火を切り祝詞を上げるのを聞く。行脚の先々で行った儀礼のことも思い出す。今日はススキは歩かず座して、じっと俺を見据えていた。
 幾つかのやりとりの後、置くことが無い為に高台の無いつるりとした盃を渡され、注がれる霊酒を受け止める。それを胸の前に構え――従って少し下げた頭の上から繍雲が被された。俺たちをすっぽりと覆う、祝福の雲。
 さすがに暗く、こうも大きいと案外重い。……嬉しく感慨深い重みだ。膝の上で手が重なった。
「では結ばれよ」
 外から促す巫覡の言葉に互いを窺い、息を合わせて盃へと口を寄せる。
「……日の、月の、巡り。馨しき風の渡る。めでたき雲の下にて」
「二つの名を連ね白し誓わん」
「満つこの御酒を以って尊き匹偶の契りと成す」
 天へ神へ、帝へ世へ、誓い申し上げる。
 唱え、飲み、唱え、飲み干す。霊酒の香気が身にも、雲の内にも満ちる。屈みこんで口づける。あの晩のように冷えた手を愛しく思う。古くはこのまま交わったとも言うが、今はただ、乾した二つの盃を合わせて捧ぐ。
 外でしかと受け取られ繍雲が捲られる。巫覡たちが微笑んで拝し、締めくくった。
「確かに。これより二人、互いに、よき伴侶でありますよう」
 ――滞りなく。立ち会いの者たちもまず一息吐いたと見えた。
 丁寧に畳まれる雲を横目、ススキに手を貸し立ち上がる間に進み出て来たのはこの家の主だ。このような遅い時間、家の中に居るのに正装の兄弟は物々しくも思えた。彼のほうがイタドリを連れているのもまた、違和感はあった。
「今日より一層にこの家の為、当主の為に働くこと、約束致す」
 告げれば頷き、エンジュはススキのほうへと向き直る。
「当主のエンジュだ。ようこそシマ家へ。歓迎する、ススキ殿」
 これが初対面だ。さすがに俺も様子を見ずにはおられないが……
「お初にお目にかかります、御当主。この身の由でご挨拶が遅れましたことお詫び申し上げます。婚姻の許しを頂き有難く思います。シマ家が大いに栄え、長く長く続きますよう」
 ススキはなんとも流暢に挨拶を述べて微笑み、小さく息を継いで付け足した。
「弟君は、アオギリは私が幸せにします」
 途端、厳めしく構えていた兄は破顔した。気に入ったようだと安心する。まあ気に入られぬことは絶対ないとも思っていたが、瞬く間だ。
「頼もしいむこ殿だ。よろしく頼む、アオギリだけではなく俺などにも。兄弟は居らぬと聞いたが、兄が湧いてきたと思ってくれればいい。母と、俺の妻子は明日にでも紹介する。まず、ほら――シマの兵たちにも姿を見せてやってくれ。知った顔も居るだろう」
 そのまま話し始め連れ立って中へと入る。今日はどこも明るく照らされてよく見え、その奥ががやがやとしている。外にすぐ出られる一つの広間は鍛錬や招集に使う土間だ。少し、表情を引き締めてから入った。
「おめでとうございます」
 集まった当家の精鋭たち。声を揃えた彼らもあまり見慣れぬ、軍装とも違う畏まった装いで並んでいる。
「聟殿」
 入ってすぐ、手前で待っていたのはマユミと――行脚を共にした四人。オウチがまた髪や髭を剃ってさっぱりしているのが俺には懐かしかった。
「ああ皆さん、お久しぶりです。嬉しいな」
「お久しぶりです。今日はまた格別にお美しい。月が隠れそうです」
 ぱっと声と顔を明るくしたススキはオウチの褒め言葉に満更でもなさそうに笑う。儀礼も済んだので今度は少し話す隙がある。聟殿、と皆が呼ぶたびにススキは落ち着かなさそうに俺を見て、何度目かでとうとう口に出した。
「前のようにススキと呼んでくださっていいんですよ。一緒に歩いた仲ではありませんか」
 五人は顔を見合わせて――マユミが口を開いた。
「命じられればよろしい。主人の伴侶ですから、聞きますよ」
「そのように冷たいことを」
「こいつはこうして構えていないと泣きそうなのです。ずっとアオギリ様の傍にいたものですから、今宵は感慨が深すぎて」
 軽い応酬をし、くっくと喉を鳴らして笑い合う。この感じは久々だ。行脚が終わってから、再び見る日が来るとは思わなかった。
 ……揶揄うトガの足を蹴るマユミは本当に泣くだろうか。些か期待して窺ったが、いつもどおりの澄まし顔と見えた。こいつの泣くところなど見たことがない。
「しかし悪い気はしないでしょう? 新婚ですから」
 そう、ヤナギが問うと一瞬静かになる。俺もススキのほうへと顔を戻した。ふやけたような柔さで笑うので答えは聞くまでもなかった。
「……正直、悪くはないです。いい気分です。でもちょっと寂しいので、どうか今日の後は以前のように」
 ――そこで一区切りとし、俺たちは改めて皆を見渡した。顔を引き締めた聟は並んで見返す男たちに怯まず、少し大きく声を出す。
「皆様、初めまして。夜半にお集まりいただきありがとうございます。――名をススキ、今年で二十一。金の尾に生まれ垂穂宮にて帝の朝にお仕えしております。……縁あってこの場に立つこと叶いました。尾を持つ者が、こうして宮から出たのはかなり……それはもう長らく、久しいことです。諸々、私のしたことではないにせよ皆さんもご存じでしょう。主の伴侶として家に迎えるには、何かと思うこともあるやもしれません。子を成せぬ契りのかたちであるのも、これほどの門の家にあっては気にかかる方も居られるかと。私も多くを思いますが」
 美しく愛らしい男だが、凛々しいひとだ。俺の背筋まで伸ばすようなそんな声をして言いきる。
「それでも、皆さんと共に、アオギリ将軍の為、この家の為にと決めて参りました。至らぬ聟なれどどうか、ご助力を」
 深く頭を下げるのに兵たちが応じた。俺もまた短く、この先もよろしく頼むと伝えて、三十人ばかり順にやってくるのを一人ずつ名など紹介しては盃を合わせていく。ススキの言うとおり、行脚の初めの頃の俺たちがそうだったように、多少身構えている者もまだいるようではあったが――金の尾当人の言葉は絶大な効果があった。良くも悪くも真実、金の尾の声や語りには力がある。心を掴んだと見えた。エンジュも感心し実に満足そうに頷いていた。皆が口々に言祝いでいってくれた。
 その後に俺も二人、城から特別に使わされた者の挨拶を受けた。オダマキとアザミ、ススキの護衛、また監視をして宮廷への報告を行う為にこの家に残る。これまでは近衛で働いていたそうだ。ススキにとっても初対面の者たちではあるが、どうも姫宮、どちらかの息がかかっているものと察せられた。まだ娘の年頃と思ったがまったく侮れぬ、政の場に上がった人の振る舞いだと思う。
 ――さらに遅く夜も更けてようやく寝室に入り、翌朝は早かった。家の者や親戚との顔合わせに、屋敷の案内に、届けられた祝いの品やその返礼の確認に。聟が金の尾ゆえにと宴は催さず来客の相手をしない分は楽だろうと思っていたものの、ほんの三日は短く忙しい。
 すぐ別れの時間が来てしまったが、ススキは前より一段と朗らかに笑った。機嫌よく振れる尾を裾の下に隠し――紐を結ってほしいとねだられたのでとびきり丁寧に飾って整えた。そうして綺麗に立ち、彼は俺を見上げた。
「また来月……この家に帰れる日を楽しみにしています。会えるからと手紙は控えず返してくださいな」
「……ああ。待っている。文もちゃんと書くとも」
「では、行って参ります」
 日の昇りきらぬ静かなうちに、迎えに来た輿に乗りこんで出るのを門から見送る。
 ……寂しくないことはないが、行脚から帰った日のような空虚さは無いのが不思議でもあった。これが契りを成した伴侶と言うものか。手紙に書くこと、次話すことも探しながらまた一月励もうではないか。そう爽快に前向きにさせられる。
「折角起きたんだ。煙髯エゼンで翔けてくるかな」
「いつもよりさらに一刻早いのによく……浮かれすぎて落ちないようにしなさいよ」
「はは、落ちん落ちん。誰だと思っている」
 張り切って呟けばマユミには逆に呆れられたが。まったく、寝なおすような気にはならなかった。
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