ユルペンニアの魔法使い

綿入しずる

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魔法使い 一

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「おお、いらっしゃった。感謝します、魔法使い」
 役場に足を踏み入れると、困惑顔の町長と重役たちが揃ってこちらを見た。胸の前で拳を合せて感謝の念を示し、私を中へと導いて一枚の巻紙を手渡す。
「隣町からだな?」
「ええ。西隣の、ドーランです」
 西隣の町より寄越された公的な書状からは、きな臭さが漂っていた。火薬と血の臭いだ。粗末な藁紐の封を解いて広げると、予想通りの忌々しい書面が見えた。
 巻紙の中央には戦を象徴する一つ目四肢の竜の絵があり、下部は血の指痕で汚れていた。少ない文字は細い刃先で書いた歪なもの。古来からの仕来りに則った、町から町への宣戦布告状だ。
 十日後に武器を手に町を出る。理由は単純に「ユルペンニアの持つ潤沢な資源の為」。和平の――戦いを避ける一方的な条件として、「ユルペンニアの町民残らず退去すべし」とだけある。馬鹿々々しいことこの上ない。
「戦争だなどと今日日きょうび流行らない……まったく何を考えているのやら――」
 指を輪に、閉じた右の眼前に翳す。瞬き一つで荒野と深い森を越えた、隣町ドーランの町役場が現われる。此処とさして変わらぬ作りの石組みの建物は、大層物々しい雰囲気だ。  
 もう戦の為の祭壇が出来上がっている。百の火を灯し男たちを集め、捧げられた剣はかけの血で濡れている。愚かしいことにやる気は十二分、どうにも真っ当に退く気など、なさそうだが。
 見渡した部屋の隅で、椅子に座した男が私を見た。栗色の巻き毛に碧い目の若い風貌の男。刺繍と宝石の多い服を身に着けているその姿は、町の者ではない。そも、町長一人でもそのような格好をできるような町ならば、書状に書いた理由でこの町に戦争を持ちかける必要もないだろう。
 鼻持ちならないにやけ面は、目を開けば掻き消えた。似たような、しかしまだ戦の支度を整えていないユルペンニアの役場に視界が戻る。
「あちらにも魔法使いが居るな。けしかけたのだ」
 あれは、私と同じに妖精郷フェルルトエンナを訪いこの世に戻った騎士――妖精の女王に愛され、妖精の手ほどきを受け狩人となった者、魔法使いに相違ない。見たところ齢は四十、戻ってきて、、、、、二十年と言うところか。
「嗾けた?」
「魔法使いが、此処を欲して町を嗾けたのだ。まあ確かに此処は、近隣十の町何処に比べても最もよい町だが。我々魔法使いから見ても」
 ドーランの町がまだ真っ当に機能しているはずだというのは、置いて。如何に困窮しようとも、このユルペンニアに戦争を仕掛けるのは、正直正気の沙汰ではない。町の規模が違いすぎる。
 だというのに向こうから宣戦布告をしてきたのは、魔法使いが力添えを申し出たが為だろう。それでドーランの者たちは、勝ち戦にできると思い違いをしているのだ。
 規模は倍。川と丘、そして森に囲まれた豊かなこの地に、金属と火薬を振る舞おうというのだ。
「魔法使いが、襲ってくるのですか?」「それでは我々は」
 ざわめく若者たちを町長が制す。杖を手にした老体の彼は、しかし毅然とした態度、揺らぎのない目で私を見た。
「我々にも魔法使いが居てくださる」
 その通り。
「私はこの町を気に入っている。人の庭に足を踏み入れる愚鈍な輩を追い払うには吝かではない。……まずは話し合いでも持ちかけてみようか。それで駄目だというなら、支度をしよう」
 肯いて一歩踏み出すと、皆場所を空けた。壁際まで歩き、窓枠を押しやる。
 この町も、土地も、住む者たちも――魔法使いとしても個人としても、私にとっては好ましい。十一年前ならいざ知らず、今になって放り出す気は毛頭ない。
 窓を開け放てば風が舞い込む。乾いた風はしばらく晴れの日が続くことを教えていた。風は、ドーランから吹いている。
「もしも私が夜まで帰らぬときは、お前たち、東隣や分流向うの町に助けを求めて、戦争の支度をするが良い。もっとも、我々の道理ではそうならぬはずだが」
 窓を乗り越え、妖精鳥の体を紡ぎ編んだ衣で体を包めば腕は羽に成り代わる。体は飛ぶに都合良い形へと変貌し、風を掴んで浮かび上がった。
 慣れ親しんだ町を見下ろし、羽ばたく。景色は流れるように変わっていく。草に覆われた丘、開けた荒野、視界の端では川が輝く筋となっている。この地が十日後には骸の床となることを思うとまったく不愉快だった。だが恐らく、その事態は避けられないに違いない。
 私がこうしてわざわざ赴くのも和平の為などではないのだ。
 ――渡るには苦労の多い丘や森も、上を飛んでしまえば大した隔てではない。今はまだ静かな荒野と眠る森を後目に降り立ったドーランの町は、夕暮れに染まるよりなお明るく、多くの火を焚いていた。
 これが祭なら喜ばしいもの。天まで昇る煙は、戦争を知らせるものだ。
 地に降り、翼を畳んで腕を抜き上衣に戻す。町の門では男たちが待ち構えていた。あの栗毛の魔法使いと、町の若者たちだ。
「お初にお目にかかる、ユルペンニアの魔法使いよ。早速の相談なのだが、――貴方があの町を出ていくならば、この戦取り止めるぞ」
 炎で照らされ赤い顔を笑顔にして、同胞の男は言う。妖精に招かれ郷に立ち入れただけはあって優男。態度こそ恭しいが、その目つきは騎士と言うよりも、妖精たちが言う狩人という蔑称のほうが相応しい。金属かねのようにぎらついた、欲深者の目だ。
 遠見をしたときの予感はまるで外れることなしに的中したようだ。この魔法使いは、己が魔法の為に住処とした町を捧げ、ユルペンニアを手に入れるつもりでいるのだ。
「愚か者めが」
 魔法使いにとって町とその周辺は、住処であると同時に、狩場でもある。魔法の材料を求め罠を張り弓や剣を構える、そうした場所だ。明確な規律があるわけではないが、既に魔法使いの居る土地で自由に振る舞うことは無礼とされる。我々はそんなところで礼節というものを持ち出して、己を保つのに必死なのだ。
 そうした体面は大事だが、魔法の素材は欲しい――ユルペンニアでの自由な狩りを欲したこの男は、私を追い出すか殺すかする手立てとして、町同士の戦争を選んだ。過去にも幾度かあったことではある。
 宣戦布告の書状で町民たちが書いた戦争の理由は「ユルペンニアの持つ潤沢な資源の為」だが――元は町民たちの言葉ではなく、この男の言葉。この男の魔法の為。そんな些細な欲の為だ。
 決闘なら時代遅れでもまだ良かったものを。このような誘いをかけるのも、誘いに乗るのも愚か者のすることだ。ドーランは魔法使いも町の者も、余程頭が悪いと見える。
「ドーランの魔法使い、そのような文句は町民をたぶらかす前に言うものだ。おぬしはもう既に町の者の前で誓約したのであろう。そうでなければこやつらが支度などするものか。私が町を出たところで、気の緩んだユルペンニアを奇襲する心算だ」
 彼は町の者の前で、誓ったに違いない。「お前たちにユルペンニアを与えよう」と。魔法使いがそう言ってしまったのなら、戦争は始まったも同然だ。
 魔法使いは誓いを覆すことはできない。誓約を覆すならば、死で以て償うしか道はないのだ。この男が今この場で、自らの剣で胸を突き刺し果てるとは思えない。
 ……此処でこの大馬鹿者を殺せるのならばそれで済むが、我々にその許しはない。私もまた誓いに縛られる魔法使いだった。決闘も戦争も虐殺も、命に係わる事柄は全て宣誓の後。それが世の取り決めだ。
 ドーランの魔法使いが笑い、首を傾げた。今すぐにでも刎ね飛ばしてやりたい首だ。
「では、貴方も戦うと言うのだな?」
 笑う男の鼻面に向かい、懐から抜き出した短剣の先を突きつける。
 炎と斜陽を得て輝く、かつて妖精郷から持ち出した水晶の剣。妖精の女王から賜り、そして奪った、我らを魔法使い足らしめる騎士の証に口づけ、息を吸った。
「おぬしが誓約に従うならば、我が女王におぬしの命を、おぬしの女王におぬしの魂を捧げてやろう。ただの死より恐ろしき死がおぬしを待つ」
「森を越えてより先、ユルペンニアに向かい、百歩歩むごとに百人の腱を切る」
「五百を過ぎてまだ進むなら、そのときは皆狂う。一人残さず皆狂う」
 魔法使いに、町の者に、町に響かす大声で告げる。水晶の表面が蕩けるように輝いている奥で、碧眼が燃える色でこちらを見ている。
 誓約は成った。私もまた覆せないこの誓いを、実行しなければならない。たとえ何が有ろうと、彼らが泣き叫んで請おうと――
 誰かが赤子を抱えて荒野を渡ろうとしたとしても。
「……お前たち、それでもこの魔法使いに与するか? 追い出したほうが良いと、私は思うがな? それなら手伝うぞ」
 剣を払い、魔法使いから視線を逸らして町民たちに問うが、返答はなかった。硬い面持ちで黙り込んでいる。相対する魔法使いだけが歪な笑みで私を見ている。
「十日後にまみえよう、ユルペンニアの魔法使い。私たちは、必ずあの町を手に入れて見せるぞ」
 剣を鞘に納め再び鳥となった私の背に、魔法使いが言う。呪いに似た響きの声だった。
 夕暮れ、夜が来るというのに、ドーランの周りに広がる森は酷く静かだった。妖精の世に属する者が蠢く気配が、薄すぎる。
 ああ、納得がいった。他の町を欲するわけだ。あの男は、獲物をすべて狩りつくしたのだ。思ったよりも貪欲と見える。
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