蕾は時あるうちに摘め

綿入しずる

文字の大きさ
9 / 20

雨、紅茶、白葡萄と*

しおりを挟む
「ちょっと……雨宿りできないかと思って来ちゃったんですけど」
「ああ。いいよ、泊まってくといい」
「助かったー。ありがとうございます!」
 約束の日ではなかったが。いつもの時間に家の扉を叩いてニビがそう言ってみれば、タドは相変わらずすんなりと彼を中へと招きいれた。本当は顔が見たくなってきたところに丁度よく雨模様だったのだが。出会ったときそうだったように、これは今までの客にもしていたことだから、とニビは内心で言い訳を重ねた。
 前のときほど酷い雨ではなかったので薄く湿るだけの上着をはたき、体を拭くでもなくまっすぐ椅子に行く。今日は置かれた物はなく、タドもすぐに台所へと向かった。
「――あれ、いつもと違いますね」
「色々、試すんだ。香りのいいものは茶でも酒でも。……美味いと思うけど、好みじゃなかったらいつものを淹れるよ」
「いやまさか。そのときは水でもください」
 やがてカップに注がれる茶はこれまでのものとは違う濃い水色すいしょくの紅茶だった。目にも舌にも、そして香りも、ニビにもすぐ違いの分かるものだったので話題には丁度よかった。
「ん、おいしいです」
「それならよかった」
「タドさんはやっぱり酒よりお茶ですよね。こっちのが馴染むっていうか、雰囲気に合ってる」
「酔わずに済むから。……調香師をやっているのも、茶の銘柄を当てる大会に出たのがきっかけなんだ。知識なんてろくになかったが、飲んで当てるなら簡単だろうと思って」
「へえ。そんなのあるんですか。どんな感じでやるんです?」
「ええと――目隠しして一杯飲んで、その後何種類も飲んで、その中から最初の一杯と同じのを当てる。のを何回か」
「……タドさん全部当てました?」
「うん。そんなに難しくなかった。一つ二つは勘も使ったけどね」
 タドの語る声が、ニビの相槌が、雨音に重なる。
 茶の一杯二杯分話して、甘い葡萄を茶請けに摘まむ。急に押しかけたので今日は特に控えめに、ニビは家主に合わせるだけの所作で小さな粒を含んだ。大体の時間は食うよりも、カップで指先を温め、揺れるランプの火が影を作る顔を窺っていた。
「向こう、行きません? 宿代払いますよ」
 それでやはり他の客にするのと同様に、寝床の対価としての奉仕を申し出た。精力剤などなくとも毎日勃たせるくらいの自信は男娼をやっている以上十分にある。――無理強いをしたいわけではないので前のように気にした風ならよしておこうとあらかじめ考えてから来たのだが、タドのほうが少し、会話をしている間にそういう目を向けてきたので喜んでそこに乗ったのだった。
 彼が来るたび、情事の後に洗濯して敷きなおされているシーツの上。並んで腰を下ろし、腿に手を置き身を擦り寄せて――するとすぐ、眼前へと顔が近づいてくるのにニビの心臓は跳ねた。しかし触れず手前で止まってしまうので、瞬き一つで平静を装っていつもの声で言う。
「お茶のにおい、します?」
「うん――酒ほどではないけど、分かる」
 何のことはない、毎度のように匂いを嗅ぎに来た。誘われたのだ。これまでとは違う香りの茶と、果実を含んだ口元に。自身の口と同じように残るその余韻が、好みの香りと合わさってどうなるか。タドは探るように息をして、確かめる。
「僕はもう分かんないけど――」
 優秀な鼻の先を噛んで、驚いた人が小さく身を揺らすのに笑いながらニビからはキスをする。この前とは少し違う味かも、という感想は思うだけに留めて舌を舐める。そうしながら触れて、押し倒した。
 触れ合うのに遠慮はしない。この関係でできることならなんでもやって楽しもうとニビは考えていた。従順なようで貪欲である、それでこそ娼婦だ。
 太腿を撫でる掌も感じながら、もっと積極的にと先導するように胸や腹をまさぐり、裾を捲って性急に肌を辿る。臍を擽り、生えた毛に指を遊ばせてより下へ。脱がせて握りこむ陰茎はまだ柔い。
 血を呼ぶ、手練れの男娼の動きに吐息を漏らしてタドも寄せられた腰を擦った。一層に密着して、濃くなる匂いを陶然とした心地で吸い込む。それを感じてニビの熱もまた上がる。
 細い指で弄ぶように陰嚢まで揉み勃起させる動きの最中、会陰へ、奥へも愛撫を広げていく。あくまで抱く気でいると此処は嫌がる男も多いが――そこは引き際の見極めだ。嫌悪が出るようならすぐやめる、悪戯の手つき。その加減もニビは上手い。大人しく従ってみせるだけでは物足りない跳ねっ返り好みの客にはわざと叱られるつもりで、興奮だけ煽り振り払われてちょっと乱暴に抱かれるところまで、上手くやったりもする。
 どう触れるのが好きか、どこまで触ってもいいか、探りながら触れる。徐々に触るのを許してくれるようになる。客とのそういう時間が、ニビは好きだった。面白い。知って覚えて、攻略していく。反応がよければ嬉しい。当人さえ知らぬ快楽をニビが見つけて教える。好いた相手ならそれはなおさらに楽しい遊戯だ。
 タドは女との経験はそれなり程度、あまり躊躇がないところを見れば男とももしかしたらあったのかもしれないな、とニビは考えていた。しかし後ろは未開発、つまり処女だろうとも。尻のほうで達することができると知らなかったので。
 けれどそこで遊べる男は当人たちが思っているよりは多いのだ。いよいよ際どく触れる指にタドも何事かを察した。微かに内腿に力が入ったがそれは拒絶ではないようにニビには思えた。精々、戸惑いだ。
「君は抱くほうもやるのかい」
 耳に入ったのは起き抜けのようにも聞こえる、ぼんやりしていたところから発された声だった。その言葉にニビは興奮した。わくわくした。それを抑え少し離れて――手はそのままの場所に置き続けて、笑って見せる。秘密を打ち明ける密やかな声で囁く。
「実はどっちも。タドさんさえよければ、きっとイイ思い、させられますよ」
「いや……」
 ニビの顔を見上げた視線はすぐ落ちていくが。これはイケる人の反応だ。意外に興味がありそう。思えば彼の中で欲求が膨れ上がるのは一瞬だった。
 ――抱きたい。
「ちょっとだけ」
 今度はより近く、よく歩く分案外に引き締まった尻の奥、窄まった薄い皮膚に指先が触れる。表面をくすぐるのにも体が緊張したが、逃げなかった。ニビの体に添えられた手も戸惑いながらもまだそこにある。それを了承と見て、やわやわと触れ続けながらニビは仕事道具の軟膏を探った。急すぎると逃げられるが、迷う時間が増えてもやっぱり止めようとなってしまいがちだ。特に初めは勢いが要る。
「タドさんはいつもどおりでいいんで」
 最初はもっと違う姿勢のほうがやりやすいと経験で知っていたが、気を削ぐなと判断して、ニビはこのまま進めることにした。惜しまず掬い取った、滑りをよくする為の油を今日は相手の足の間へと持っていく。
 また体が緊張した。どろりと濡れる不快感に眉が寄り、拒むように後孔は噤む。それをタド自身は当然、ニビも感じとった。触れているのだから伝わっているだろうと思えばタドは眩暈がする。そのすぐ近くはこれまでに幾度と触れられてきたのに、少し場所がずれるだけで大違いだ。触れられるのも、何か反応してしまうのも酷く恥ずかしい。――だが耐えた。
 蕩かし、和らげ、指が沈んでいく。あらぬところへの侵入に、羞恥に染まる顔に興奮に染まる頬を擦りよせてニビが囁く。
「痛くしないけど、痛いときはちゃんと教えてください」
「っうあ」
 知らない感覚に勝手に声が出る。あまりの情けなさに居た堪れず、タドはシーツの上の手を握りこんだ。それ以外は姿勢を変えるのも憚られ、左手はニビの腰へと触れたままで動けない。
 少し様子を見て、呼吸を読み、指は肉の隙間を縫う。此処に誰かが触れるのは初めてだろうと思えば、それだけでもニビは堪らなく興奮するが。彼はこうして触れられるほうの気持ちよさも突っ込んで得ることのできる快感もどちらも知っていた。そうした記憶が混じりあって、さらに体が疼くのだった。人の体に寄せた股座は硬く猛っている。ただ今は、タドがそれに構う余裕はなかった。
「――っ」
 買って嗅ぐほどの匂いを間近。他人に、それも女と見紛うほどの艶やかな美人に尻を触られ――抉られ。それだけでも精一杯だが、ニビは容易く突き止める。異物感とはまた違う、腹の奥に生じるそれにタドは目を瞠り息を詰めた。寄り添い触れている男娼にはその反応も伝わってしまう。
「ここ、僕もいつも当ててもらってる場所です。中のイイとこ。……変な感じ?」
 声を堪えるのにただ頷くタドに目を細め、ニビも頷き返す。
「大丈夫、皆そんな感じ」
 言葉はあやすようでもあり、この事態を軽く済ませてしまうようでもあり。甘く湿った声だった。
 指は位置を教え込む仕草で繰り返し前立腺を撫でた。柔く揉まれるほどにタドの身は震えた。
「勃ってきた。マラも一緒に弄ってみる? ……っと、姿勢、変えますね」
 じき、陰茎などへの愛撫と違わず絶妙な加減の刺激に、また擡げてきた前を指摘して。余す指で袋も擽り――舐めようかな、と考えたニビは、揺らぐ息が首筋に当たっているのですぐに思い直した。どうせなら嗅ぎながらイってほしい。誰が触れているか、タドが一番意識するようにしたい。きっとそれが一番イイやり方だ。
 一度指を抜き座りなおす。最中顔を見れば気まずさいっぱいに灰色の目が逸れたのに笑いかけ、しかし揶揄はせずすぐ胸に頭を預ける。心音でも聞くように。今日は香水をつけずにいた黒髪が広がり――タドが頭を抱き寄せるのに、ほら正解だとほくそ笑む。こうして満たし満たされるとき、ニビは大層気持ちがよい。
「……っ」
 さわりと腹や腰も撫で、這っていった指が再び埋まる。覚束なく髪を撫でる手には懐いた猫のように甘えながらも、今度は器用に両手を使って、ニビは内に外にと客を責め立てた。陰茎を弄れば如実に締まる中を押し上げつつ精を搾り取る。
 されるがまま。ただ受け入れ、どう反応したらよいのかは見当もつかぬ間にやってくる絶頂にタドはぐと呻くかの声を飲み込んで、それからようやく息をする。と、深く胸の奥までニビの匂いに満たされる。反射で締めつけた体内の異物が一層熱を持って感じられた。
 まさに男娼の思惑どおり。後ろからそっと指が抜かれる排泄感に肌が粟立つのも、この匂いの中では快感であるように錯覚する。前後不覚、もう何が何だか、というところだった。
「……――ね、僕にもおんなじの、してくれませんか」
 倒錯的な誘いに、タドはなんとか頷いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

処理中です...