蕾は時あるうちに摘め

綿入しずる

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雨、紅茶、白葡萄と*

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「ちょっと……雨宿りできないかと思って来ちゃったんですけど」
「ああ。いいよ、泊まってくといい」
「助かったー。ありがとうございます!」
 約束の日ではなかったが。いつもの時間に家の扉を叩いてニビがそう言ってみれば、タドは相変わらずすんなりと彼を中へと招きいれた。本当は顔が見たくなってきたところに丁度よく雨模様だったのだが。出会ったときそうだったように、これは今までの客にもしていたことだから、とニビは内心で言い訳を重ねた。
 前のときほど酷い雨ではなかったので薄く湿るだけの上着をはたき、体を拭くでもなくまっすぐ椅子に行く。今日は置かれた物はなく、タドもすぐに台所へと向かった。
「――あれ、いつもと違いますね」
「色々、試すんだ。香りのいいものは茶でも酒でも。……美味いと思うけど、好みじゃなかったらいつものを淹れるよ」
「いやまさか。そのときは水でもください」
 やがてカップに注がれる茶はこれまでのものとは違う濃い水色すいしょくの紅茶だった。目にも舌にも、そして香りも、ニビにもすぐ違いの分かるものだったので話題には丁度よかった。
「ん、おいしいです」
「それならよかった」
「タドさんはやっぱり酒よりお茶ですよね。こっちのが馴染むっていうか、雰囲気に合ってる」
「酔わずに済むから。……調香師をやっているのも、茶の銘柄を当てる大会に出たのがきっかけなんだ。知識なんてろくになかったが、飲んで当てるなら簡単だろうと思って」
「へえ。そんなのあるんですか。どんな感じでやるんです?」
「ええと――目隠しして一杯飲んで、その後何種類も飲んで、その中から最初の一杯と同じのを当てる。のを何回か」
「……タドさん全部当てました?」
「うん。そんなに難しくなかった。一つ二つは勘も使ったけどね」
 タドの語る声が、ニビの相槌が、雨音に重なる。
 茶の一杯二杯分話して、甘い葡萄を茶請けに摘まむ。急に押しかけたので今日は特に控えめに、ニビは家主に合わせるだけの所作で小さな粒を含んだ。大体の時間は食うよりも、カップで指先を温め、揺れるランプの火が影を作る顔を窺っていた。
「向こう、行きません? 宿代払いますよ」
 それでやはり他の客にするのと同様に、寝床の対価としての奉仕を申し出た。精力剤などなくとも毎日勃たせるくらいの自信は男娼をやっている以上十分にある。――無理強いをしたいわけではないので前のように気にした風ならよしておこうとあらかじめ考えてから来たのだが、タドのほうが少し、会話をしている間にそういう目を向けてきたので喜んでそこに乗ったのだった。
 彼が来るたび、情事の後に洗濯して敷きなおされているシーツの上。並んで腰を下ろし、腿に手を置き身を擦り寄せて――するとすぐ、眼前へと顔が近づいてくるのにニビの心臓は跳ねた。しかし触れず手前で止まってしまうので、瞬き一つで平静を装っていつもの声で言う。
「お茶のにおい、します?」
「うん――酒ほどではないけど、分かる」
 何のことはない、毎度のように匂いを嗅ぎに来た。誘われたのだ。これまでとは違う香りの茶と、果実を含んだ口元に。自身の口と同じように残るその余韻が、好みの香りと合わさってどうなるか。タドは探るように息をして、確かめる。
「僕はもう分かんないけど――」
 優秀な鼻の先を噛んで、驚いた人が小さく身を揺らすのに笑いながらニビからはキスをする。この前とは少し違う味かも、という感想は思うだけに留めて舌を舐める。そうしながら触れて、押し倒した。
 触れ合うのに遠慮はしない。この関係でできることならなんでもやって楽しもうとニビは考えていた。従順なようで貪欲である、それでこそ娼婦だ。
 太腿を撫でる掌も感じながら、もっと積極的にと先導するように胸や腹をまさぐり、裾を捲って性急に肌を辿る。臍を擽り、生えた毛に指を遊ばせてより下へ。脱がせて握りこむ陰茎はまだ柔い。
 血を呼ぶ、手練れの男娼の動きに吐息を漏らしてタドも寄せられた腰を擦った。一層に密着して、濃くなる匂いを陶然とした心地で吸い込む。それを感じてニビの熱もまた上がる。
 細い指で弄ぶように陰嚢まで揉み勃起させる動きの最中、会陰へ、奥へも愛撫を広げていく。あくまで抱く気でいると此処は嫌がる男も多いが――そこは引き際の見極めだ。嫌悪が出るようならすぐやめる、悪戯の手つき。その加減もニビは上手い。大人しく従ってみせるだけでは物足りない跳ねっ返り好みの客にはわざと叱られるつもりで、興奮だけ煽り振り払われてちょっと乱暴に抱かれるところまで、上手くやったりもする。
 どう触れるのが好きか、どこまで触ってもいいか、探りながら触れる。徐々に触るのを許してくれるようになる。客とのそういう時間が、ニビは好きだった。面白い。知って覚えて、攻略していく。反応がよければ嬉しい。当人さえ知らぬ快楽をニビが見つけて教える。好いた相手ならそれはなおさらに楽しい遊戯だ。
 タドは女との経験はそれなり程度、あまり躊躇がないところを見れば男とももしかしたらあったのかもしれないな、とニビは考えていた。しかし後ろは未開発、つまり処女だろうとも。尻のほうで達することができると知らなかったので。
 けれどそこで遊べる男は当人たちが思っているよりは多いのだ。いよいよ際どく触れる指にタドも何事かを察した。微かに内腿に力が入ったがそれは拒絶ではないようにニビには思えた。精々、戸惑いだ。
「君は抱くほうもやるのかい」
 耳に入ったのは起き抜けのようにも聞こえる、ぼんやりしていたところから発された声だった。その言葉にニビは興奮した。わくわくした。それを抑え少し離れて――手はそのままの場所に置き続けて、笑って見せる。秘密を打ち明ける密やかな声で囁く。
「実はどっちも。タドさんさえよければ、きっとイイ思い、させられますよ」
「いや……」
 ニビの顔を見上げた視線はすぐ落ちていくが。これはイケる人の反応だ。意外に興味がありそう。思えば彼の中で欲求が膨れ上がるのは一瞬だった。
 ――抱きたい。
「ちょっとだけ」
 今度はより近く、よく歩く分案外に引き締まった尻の奥、窄まった薄い皮膚に指先が触れる。表面をくすぐるのにも体が緊張したが、逃げなかった。ニビの体に添えられた手も戸惑いながらもまだそこにある。それを了承と見て、やわやわと触れ続けながらニビは仕事道具の軟膏を探った。急すぎると逃げられるが、迷う時間が増えてもやっぱり止めようとなってしまいがちだ。特に初めは勢いが要る。
「タドさんはいつもどおりでいいんで」
 最初はもっと違う姿勢のほうがやりやすいと経験で知っていたが、気を削ぐなと判断して、ニビはこのまま進めることにした。惜しまず掬い取った、滑りをよくする為の油を今日は相手の足の間へと持っていく。
 また体が緊張した。どろりと濡れる不快感に眉が寄り、拒むように後孔は噤む。それをタド自身は当然、ニビも感じとった。触れているのだから伝わっているだろうと思えばタドは眩暈がする。そのすぐ近くはこれまでに幾度と触れられてきたのに、少し場所がずれるだけで大違いだ。触れられるのも、何か反応してしまうのも酷く恥ずかしい。――だが耐えた。
 蕩かし、和らげ、指が沈んでいく。あらぬところへの侵入に、羞恥に染まる顔に興奮に染まる頬を擦りよせてニビが囁く。
「痛くしないけど、痛いときはちゃんと教えてください」
「っうあ」
 知らない感覚に勝手に声が出る。あまりの情けなさに居た堪れず、タドはシーツの上の手を握りこんだ。それ以外は姿勢を変えるのも憚られ、左手はニビの腰へと触れたままで動けない。
 少し様子を見て、呼吸を読み、指は肉の隙間を縫う。此処に誰かが触れるのは初めてだろうと思えば、それだけでもニビは堪らなく興奮するが。彼はこうして触れられるほうの気持ちよさも突っ込んで得ることのできる快感もどちらも知っていた。そうした記憶が混じりあって、さらに体が疼くのだった。人の体に寄せた股座は硬く猛っている。ただ今は、タドがそれに構う余裕はなかった。
「――っ」
 買って嗅ぐほどの匂いを間近。他人に、それも女と見紛うほどの艶やかな美人に尻を触られ――抉られ。それだけでも精一杯だが、ニビは容易く突き止める。異物感とはまた違う、腹の奥に生じるそれにタドは目を瞠り息を詰めた。寄り添い触れている男娼にはその反応も伝わってしまう。
「ここ、僕もいつも当ててもらってる場所です。中のイイとこ。……変な感じ?」
 声を堪えるのにただ頷くタドに目を細め、ニビも頷き返す。
「大丈夫、皆そんな感じ」
 言葉はあやすようでもあり、この事態を軽く済ませてしまうようでもあり。甘く湿った声だった。
 指は位置を教え込む仕草で繰り返し前立腺を撫でた。柔く揉まれるほどにタドの身は震えた。
「勃ってきた。マラも一緒に弄ってみる? ……っと、姿勢、変えますね」
 じき、陰茎などへの愛撫と違わず絶妙な加減の刺激に、また擡げてきた前を指摘して。余す指で袋も擽り――舐めようかな、と考えたニビは、揺らぐ息が首筋に当たっているのですぐに思い直した。どうせなら嗅ぎながらイってほしい。誰が触れているか、タドが一番意識するようにしたい。きっとそれが一番イイやり方だ。
 一度指を抜き座りなおす。最中顔を見れば気まずさいっぱいに灰色の目が逸れたのに笑いかけ、しかし揶揄はせずすぐ胸に頭を預ける。心音でも聞くように。今日は香水をつけずにいた黒髪が広がり――タドが頭を抱き寄せるのに、ほら正解だとほくそ笑む。こうして満たし満たされるとき、ニビは大層気持ちがよい。
「……っ」
 さわりと腹や腰も撫で、這っていった指が再び埋まる。覚束なく髪を撫でる手には懐いた猫のように甘えながらも、今度は器用に両手を使って、ニビは内に外にと客を責め立てた。陰茎を弄れば如実に締まる中を押し上げつつ精を搾り取る。
 されるがまま。ただ受け入れ、どう反応したらよいのかは見当もつかぬ間にやってくる絶頂にタドはぐと呻くかの声を飲み込んで、それからようやく息をする。と、深く胸の奥までニビの匂いに満たされる。反射で締めつけた体内の異物が一層熱を持って感じられた。
 まさに男娼の思惑どおり。後ろからそっと指が抜かれる排泄感に肌が粟立つのも、この匂いの中では快感であるように錯覚する。前後不覚、もう何が何だか、というところだった。
「……――ね、僕にもおんなじの、してくれませんか」
 倒錯的な誘いに、タドはなんとか頷いた。
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