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国軍分室園丁官本部(前)
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外勤の執務室にはいつもよりなおぴしりとした空気が漂っていた。室長が来る、と知らされて皆服装の緩みなく、机周りも片付けて隅まで掃除が行き届いている。
現在園丁官を取り纏めるのは、神の末裔である名家の人間だ。当主ではないものの一角の雷神の血を濃く引く一人、タンクレート・アインホルン大佐。六十手前ながら若作りの銀髪の偉丈夫は研究棟や保管庭園を巡って、最後に外勤のカイたちの元へとやってきた。数人、副官以外にも引き連れて。
敬礼と報告を受け、常の労いや指示を口にし――ハーラー、エッカルト、と声をかける。名指しは珍しいがこの二人というならば新しい庭の話に違いなかった。発現周期の短さ、先日の音楽、新種の採取。セヴランが注目されているのはカイにも勿論分かっていたし、次の展開は予想できていた。二人揃って進み出た。
――セヴランについて本部での観察の話が持ちあがるかも知れない。
そう、デニスや外勤の班長とも話し、声がかかった際の受け答えも準備していた。前には一度見逃したが、研究の為となればそうはいかない。ただし、園丁官にも色々ある。部署ごとの事情や思惑というものが。
室長タンクレートが連れてきたのは、第二保管庭園――現在も動きがある中で最重要の庭園の管理を行う園丁官と、研究棟の主任園丁官とその取り巻き。研究部門のとりわけ意欲的な顔ぶれというところだった。
タンクレートの手にする装飾杖がコンと床を打つ。そうして一層の注目を集めてから、彼は口を開く。
「初夏から見ている庭が成果を得ているようだな。研究棟や保管庭園からは、本部に収容してはという提案がされている。……決定の前に、直接の担当官であるお前たちの意見も聞きたい」
「管理番号二〇‐〇三セヴラン・プレーツ、本年五月二十五日に発現を確認、以降、週に複数回の採取が継続している。採取標本多数、星葉蔦、霊香柳、葡萄、庭常。先日七月八日には新種恋の卵の発現を確認。いずれも状態良好である。担当園丁官、カイ・エッカルト、デニス・ハーラーの二名」
横で、記録が読み上げられる。
皆がまずカイを見た。若く経験も浅い園丁官だが、彼こそがセヴランの担当だ。上官、優秀かつ主張も強い年長者たちに囲まれて、彼は緊張に乾上がる口を開いた。
「まず数日、一泊二泊程度の観察では、どうでしょうか」
――タンクレートが顎で示して、続けさせる。
「プレーツ氏は、確かに豊かな庭なのですが、近頃ようやく協力的になってきたところで……本部に拘束されることには恐らく反発します。無理強いしては今後の管理に影響が出るかと思われます。慣れてもらう為に、短期が妥当ではないかと」
――今後、ね。と口の中で呟いたのは、研究棟の主任を務める男だった。太い眉が寄っている。他の者たちも白けた様子を端々に見せた。
タンクレートはもう一人、副担当者のほうへも目を向けた。
「ハーラーはどう思う」
「……自分も同意します。段階を踏むべき、では。プレーツ氏の性格もそうですし、収容となるともう何十年ぶりになります。周囲の市民、他の庭の耳にも入るかも知れません。その影響も考慮すべきです。定期の検査と近い形式が望ましいかと」
デニスはカイの意見を補強しに回る。彼のほうは何かと場数を踏んで応答はこなれていた。
今のは外勤する園丁官たちの総意でもあった。皆、庭の生活ぶりを知っている。内勤は採取した後の植物とデータばかり目にするが、彼らにとってこれは人間相手の仕事だった。常々、セヴランのような素行の悪い男は監視してやるべきだと思っているカイも、実際にこういった展開になるとまた意見が違ってくる。
セヴランをそうしてしまえば、他の庭に関しても推し進められるきっかけになる。研究の充実と進展は無論願うところであるが――説得は大変だ。きっと苦情も出る。仕事内容が急激に変わるのは対応に苦慮するので、自分たちにとっても慣らしの期間が欲しい。という、あまり意欲的ではない部類の現班長の希望もあった。
現在上手く行っている仕事を続けたい外勤と、思うままに調べ尽くしたい研究棟、貴重な植物を余さず収容したい保管庭園。三様であった。
タンクレートはふむと頷いて、決めた。重要な事柄はすべて彼の一存で決定がされる。そういう環境だった。
庭については調べたところでなかなか解明されない。だから今度こそ、という声も、安定した採取を優先したいという声も、どちらも納得がいくが、今回は。
「誰より詳しい園丁官が言うならば参考にしよう。一理ある」
カイと、後ろで聞いていた班長は内心胸を撫で下ろした。研究者たちは面白くない。
「庭仕事は急いでも成果が出ない。のは、散々教えられてきたからなあ。まあいつもどおり一回をやってみるのはどうか。こちらも肩慣らしのつもりで――そうだな、採取一回、二回分。それで調整してくれ。彼だけでなく他の庭にもまた順次、協力を頼むつもりで」
「了解しました」
それでも、此処も軍の一部署である。命じられれば否やはなく、研究棟の主任ははっきりと返事をして、部下への指示に移る。とりあえず連れてこられるなら、万全で臨む姿勢であった。受け入れの準備にと人々が動き出す。
カイも動き出そうとする。その肩をタンクレートが叩いた。
「エッカルト、君が庭と上手くやれているほど上手くいく。期待している」
「はいっ――」
見目からして立派な上官に微笑んで言われれば、カイは緊張を超えて嬉しかった。若手がこうして呼ばれることなどまず無いのだ。偶然、よい庭の担当になっただけとはいえ誇らしい。気合いを入れて、共に仕事をするのはほぼ初めての研究棟の主任へと向く。
「よろしくお願いします、カペル主任」
「よろしく、エッカルト。本人にもなるべく早く了承を取りつけたいところですが」
「プレーツ氏ならもしかしたら、今すぐでも自宅に行けば会える可能性が、」
「では行こう」
白髪交じりの黒髪、同じ色でくっきりとした太い眉が特徴の男は、エミール・カペルと言った。誰よりも熱心な、魔法の才をも備えた園丁官だった。今回のセヴランが齎す多くの益に意気が上がっている。いつも以上に勢いがあって行動が早い。
カイは慌てて、デニスが横から最低限、セヴランの資料や通信機を渡してくれるのを受け取った。採取の道具は今日は持たなくてもよいので身軽だった。ただ急いでついていく。
廊下を進む。その間にも、情報共有が進められた。
「彼、気難しい人でしたか?」
「――ああ、主任が最初に診たんでしたね」
どこか知った雰囲気の口ぶりに一瞬遅れて、カイは思い出す。病院からの連絡に応じてセヴランの最初の発現の確認をしたのはエミールだった。園丁官の中でも遅い時間まで居残りがちの彼らは、夕方以降の対応に巡り合うことが多いのだった。
「初めに見たときは大人しく気弱そうにも思えましたが、まあ自分の身に何か生えてきたら誰しもそのようになりますから、印象はあまり当てにならない」
「同感です」
慣れぬ頃は誰しも、困惑していたり、縮こまっていたりするものだ。そこから訪問の回数を重ねることで本来の姿が見えてくる。信頼関係を得て上手くやる。医者と患者のようなものだな、と医院育ちのカイはよく思う。セヴランとも安定してきたところだ。ちょっと気楽すぎるかなとも思っても、この関係を崩したくなかった。
さておきエミールのほうはと言えば、カイが先程述べたセヴランの態度について、性格を把握して対策を打とうという姿勢だった。カイは急いで返答を考えた。他ならぬ担当者としてきっちり主導をとらねばならない
「セヴラン……プレーツ氏は――気難しいというよりは、少々子供っぽいというか、あとはこちらの指示に対しても適当なところが」
ろくでもない、我儘、だらしない、構ってほしがり、などとは言いづらく言葉を選んだつもりがあまり差がない。その形容に、エミールは納得して頷いた。
「ああ。実際子供だと我々も心が痛みますが、成人ですからね。大人しくしていただこう」
現在園丁官を取り纏めるのは、神の末裔である名家の人間だ。当主ではないものの一角の雷神の血を濃く引く一人、タンクレート・アインホルン大佐。六十手前ながら若作りの銀髪の偉丈夫は研究棟や保管庭園を巡って、最後に外勤のカイたちの元へとやってきた。数人、副官以外にも引き連れて。
敬礼と報告を受け、常の労いや指示を口にし――ハーラー、エッカルト、と声をかける。名指しは珍しいがこの二人というならば新しい庭の話に違いなかった。発現周期の短さ、先日の音楽、新種の採取。セヴランが注目されているのはカイにも勿論分かっていたし、次の展開は予想できていた。二人揃って進み出た。
――セヴランについて本部での観察の話が持ちあがるかも知れない。
そう、デニスや外勤の班長とも話し、声がかかった際の受け答えも準備していた。前には一度見逃したが、研究の為となればそうはいかない。ただし、園丁官にも色々ある。部署ごとの事情や思惑というものが。
室長タンクレートが連れてきたのは、第二保管庭園――現在も動きがある中で最重要の庭園の管理を行う園丁官と、研究棟の主任園丁官とその取り巻き。研究部門のとりわけ意欲的な顔ぶれというところだった。
タンクレートの手にする装飾杖がコンと床を打つ。そうして一層の注目を集めてから、彼は口を開く。
「初夏から見ている庭が成果を得ているようだな。研究棟や保管庭園からは、本部に収容してはという提案がされている。……決定の前に、直接の担当官であるお前たちの意見も聞きたい」
「管理番号二〇‐〇三セヴラン・プレーツ、本年五月二十五日に発現を確認、以降、週に複数回の採取が継続している。採取標本多数、星葉蔦、霊香柳、葡萄、庭常。先日七月八日には新種恋の卵の発現を確認。いずれも状態良好である。担当園丁官、カイ・エッカルト、デニス・ハーラーの二名」
横で、記録が読み上げられる。
皆がまずカイを見た。若く経験も浅い園丁官だが、彼こそがセヴランの担当だ。上官、優秀かつ主張も強い年長者たちに囲まれて、彼は緊張に乾上がる口を開いた。
「まず数日、一泊二泊程度の観察では、どうでしょうか」
――タンクレートが顎で示して、続けさせる。
「プレーツ氏は、確かに豊かな庭なのですが、近頃ようやく協力的になってきたところで……本部に拘束されることには恐らく反発します。無理強いしては今後の管理に影響が出るかと思われます。慣れてもらう為に、短期が妥当ではないかと」
――今後、ね。と口の中で呟いたのは、研究棟の主任を務める男だった。太い眉が寄っている。他の者たちも白けた様子を端々に見せた。
タンクレートはもう一人、副担当者のほうへも目を向けた。
「ハーラーはどう思う」
「……自分も同意します。段階を踏むべき、では。プレーツ氏の性格もそうですし、収容となるともう何十年ぶりになります。周囲の市民、他の庭の耳にも入るかも知れません。その影響も考慮すべきです。定期の検査と近い形式が望ましいかと」
デニスはカイの意見を補強しに回る。彼のほうは何かと場数を踏んで応答はこなれていた。
今のは外勤する園丁官たちの総意でもあった。皆、庭の生活ぶりを知っている。内勤は採取した後の植物とデータばかり目にするが、彼らにとってこれは人間相手の仕事だった。常々、セヴランのような素行の悪い男は監視してやるべきだと思っているカイも、実際にこういった展開になるとまた意見が違ってくる。
セヴランをそうしてしまえば、他の庭に関しても推し進められるきっかけになる。研究の充実と進展は無論願うところであるが――説得は大変だ。きっと苦情も出る。仕事内容が急激に変わるのは対応に苦慮するので、自分たちにとっても慣らしの期間が欲しい。という、あまり意欲的ではない部類の現班長の希望もあった。
現在上手く行っている仕事を続けたい外勤と、思うままに調べ尽くしたい研究棟、貴重な植物を余さず収容したい保管庭園。三様であった。
タンクレートはふむと頷いて、決めた。重要な事柄はすべて彼の一存で決定がされる。そういう環境だった。
庭については調べたところでなかなか解明されない。だから今度こそ、という声も、安定した採取を優先したいという声も、どちらも納得がいくが、今回は。
「誰より詳しい園丁官が言うならば参考にしよう。一理ある」
カイと、後ろで聞いていた班長は内心胸を撫で下ろした。研究者たちは面白くない。
「庭仕事は急いでも成果が出ない。のは、散々教えられてきたからなあ。まあいつもどおり一回をやってみるのはどうか。こちらも肩慣らしのつもりで――そうだな、採取一回、二回分。それで調整してくれ。彼だけでなく他の庭にもまた順次、協力を頼むつもりで」
「了解しました」
それでも、此処も軍の一部署である。命じられれば否やはなく、研究棟の主任ははっきりと返事をして、部下への指示に移る。とりあえず連れてこられるなら、万全で臨む姿勢であった。受け入れの準備にと人々が動き出す。
カイも動き出そうとする。その肩をタンクレートが叩いた。
「エッカルト、君が庭と上手くやれているほど上手くいく。期待している」
「はいっ――」
見目からして立派な上官に微笑んで言われれば、カイは緊張を超えて嬉しかった。若手がこうして呼ばれることなどまず無いのだ。偶然、よい庭の担当になっただけとはいえ誇らしい。気合いを入れて、共に仕事をするのはほぼ初めての研究棟の主任へと向く。
「よろしくお願いします、カペル主任」
「よろしく、エッカルト。本人にもなるべく早く了承を取りつけたいところですが」
「プレーツ氏ならもしかしたら、今すぐでも自宅に行けば会える可能性が、」
「では行こう」
白髪交じりの黒髪、同じ色でくっきりとした太い眉が特徴の男は、エミール・カペルと言った。誰よりも熱心な、魔法の才をも備えた園丁官だった。今回のセヴランが齎す多くの益に意気が上がっている。いつも以上に勢いがあって行動が早い。
カイは慌てて、デニスが横から最低限、セヴランの資料や通信機を渡してくれるのを受け取った。採取の道具は今日は持たなくてもよいので身軽だった。ただ急いでついていく。
廊下を進む。その間にも、情報共有が進められた。
「彼、気難しい人でしたか?」
「――ああ、主任が最初に診たんでしたね」
どこか知った雰囲気の口ぶりに一瞬遅れて、カイは思い出す。病院からの連絡に応じてセヴランの最初の発現の確認をしたのはエミールだった。園丁官の中でも遅い時間まで居残りがちの彼らは、夕方以降の対応に巡り合うことが多いのだった。
「初めに見たときは大人しく気弱そうにも思えましたが、まあ自分の身に何か生えてきたら誰しもそのようになりますから、印象はあまり当てにならない」
「同感です」
慣れぬ頃は誰しも、困惑していたり、縮こまっていたりするものだ。そこから訪問の回数を重ねることで本来の姿が見えてくる。信頼関係を得て上手くやる。医者と患者のようなものだな、と医院育ちのカイはよく思う。セヴランとも安定してきたところだ。ちょっと気楽すぎるかなとも思っても、この関係を崩したくなかった。
さておきエミールのほうはと言えば、カイが先程述べたセヴランの態度について、性格を把握して対策を打とうという姿勢だった。カイは急いで返答を考えた。他ならぬ担当者としてきっちり主導をとらねばならない
「セヴラン……プレーツ氏は――気難しいというよりは、少々子供っぽいというか、あとはこちらの指示に対しても適当なところが」
ろくでもない、我儘、だらしない、構ってほしがり、などとは言いづらく言葉を選んだつもりがあまり差がない。その形容に、エミールは納得して頷いた。
「ああ。実際子供だと我々も心が痛みますが、成人ですからね。大人しくしていただこう」
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