魔女語り

綿入しずる

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Ⅳ 女将アガーヴェの伝説

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「こんばんはぁ、よろしくお願いしまーす」
 看板の下を通って帳場に入ると、中もいい感じだと言うことが分かった。埃のほとんどない清潔な雰囲気。変な臭いもしないし、それに適当に静かだ。調子っぱずれの歌なんかは聞こえてこない。挨拶すると同時に奥からバタバタと足音がする。籠を抱えてやってきたのは、背が高くて太った――体格のいいおばさんだった。肌はやっぱりあたしよりも濃く焼けている。
「はいはい、ようこそ、お疲れさん」
 頭巾をキュッと縛りなおして、女将さんは笑った。ぱっちりした目できりっとした眉毛で小さい鼻。なんかいい人そうに見えた。勘だけど多分ここはいい宿だ。安心した。長居しなきゃならなくて選べないからドキドキしてたけど。
「半月くらい、お願いしたいんですけど」
「半月も? 何しに来たん、こんなとこに」
 開いて置かれた帳簿に名前を書きながら言うと、高い声で聞き返される。
 女将さんの疑問はごもっともだ。セタエンナヤは正直田舎だし、近くに珍しいものがあるわけでもない。多分、どこかへ行く途中で寄る人は居ても、ここを目的地にしてる人なんて居ないだろう。誰かを訊ねるならその人のところに泊まるだろうし。この宿も、一軒しかない割に静かだ。
 でもあたしはずっと前から、ここに、来てみたかった。
「研究です。あたし、女だけど学者なんですよ。魔女の研究をしてます」
「へえ、研究。魔女?」
 タツマという何の珍しさもない名前を見て、あたしの顔をじっくりと見て女将さんは首を捻る。やけに綺麗な黒い目があたしを映してる。
「そりゃあすごい。でも、魔女ね。それって研究して、どうすんの」
 馬鹿にされたんじゃなく、本当に普通に不思議がっているという感じだった。割と皆そうだ。「魔女?」って聞き返して、その次には、「何の役に立つの?」
 魔女。大いなる魔法を使う女。昔からたくさんの伝説に残っている。けど、この国――スノイラや、この大陸ではあんまり研究は進んでない。魔法や魔女の学問は四つの大陸の中でも西の、第一大陸が大昔からやっててずば抜けている。うちは何処よりも遅れてる。 民族性質としてあんまり物を細かく分類したりしないし、分析しよう、解き明かそうっていう気が強くないからだと言われてる。よく言えば、過去に執着しない性質?
 伝説は、伝説のまま。そこに潜む何かを知りたいと考える人はあまり多くない。ほじくりかえしたって役に立つものがあることは少ないから。精々、皆知ってる教訓の再発見ぐらいだなんて。
 でも最近はうちでもちょっと増えてる。注目され始めてはいる。伝説の碑文を読み解くうちに金脈が見つかったりしたから。あたしはその中の一人、かもしれない。あたしは子供の頃から興味があったんだけど。
 金脈よりは魔女に。
「知りたいから調べるだけですよ。面白いだけで、何かになるわけじゃないです」
 きっかけは色々あるにせよ、初対面の人に話すことじゃない。いつもと同じように答えると頬杖をついていた女将さんはにっと笑った。やっぱり歯は白かった。きれいに揃ってる。
「面白いか。そうかな。まあ、薬の煎じ方とかなら為になるやろけど、魔女じゃあねえ、面白いのが精々かも――あ、いいよ、半月で四二〇コール。それでええ?」
「はい、よろしくお願いします」
 途中で返事がまだだったことに気づいて金額が提示される。並も並、平均ど真ん中の額だ。値切ろうかとちらっと思ったけど、長期滞在だからあんまり言わないほうがいいかと思い直した。印象は良いほうがいいに決まってる。
 女将さんはあたしの名前の横に十八日、四二〇と数字を並べて書いてこっちに向けた。はっきり頷くと、すっと、腕捲りした女将さんの腕が伸びる。丸太のような腕。
「部屋は二階の角部屋ね。赤い扉のとこにしとくわ。客は多くないけど、それでもおっちゃんが一人居るからうるさくはせんといてね。まあ一人やし、学者さんなら騒ぐこともないわね? エスカルとショコラトルだけは別料金。他は食事も珈琲も全部宿代に込み。食べない時だけ言うて。食事場はその奥で、便所はそこで、井戸はあっち、物干し縄が必要なら言いんさい、出したるから。庭の物とって食う時は一声かけて。鍵はこれ。外から開け閉めする用。内側には閂ついてるからそっち使うて。これ一本しかないから無くしちゃダメよ、特に戸締りした後はね!」
 赤い紐のついた鍵を受け取って、指差されるあちこちを見て言われたことを整理する。
 ……庭には何があるんだろう。声をかければ食べてもいいんだ。お腹減ったけど貰っていいかな。
「いつ閉めてもいいけど、掃除とかしてほしい時は扉ごと開けときなさい。こっちは言わんとやらんからね。洗濯も言ってくれればやるよ。晩飯は今作るところ。期待して待ってて。……ん、質問はなんかある?」
 てきぱき言われて庭の食べ物に思いを馳せていたあたしは、問われてはっとして説明を反芻する。
 ええと? 料理は自分じゃできないから台所の設備については訊かなくていいし、水は聞いたし、ああ――
「……体を洗いたいときは?」
「あぁごめん、長逗留だったわね。そっちの廊下を進んだとこが風呂。言ってくれれば湯を沸すわ。これも別料金だけど、お安くしとく。ま、なんかあったらまた聞いて」
 よし。多分、大丈夫。
「はい、ありがとうございます」
「ご飯は今準備してるから……お腹減ってんでしょ。先にそこに切ってあるもんでも齧ってて」
 庭の果物? は? と聞こうとしたところで先手を打たれた。貰った鍵を鞄に押し込んで、部屋を見るより先に指差された食事場のほうに向かう。近づくと、染みついている香辛料の匂いが感じられる。
 やっぱり清潔な食卓テーブルのど真ん中には、重ねられた皿の上に種を抜いて切られたサポーテが置かれている。空腹に耐えきれないあたしはニヤけてしまった。仕切りも何も無い調理場に置かれている水瓶から水を貰って手を洗って、一切れ口に押し込むと――あっまい、おいしい! 生き返る。昼に何も食べてなくて限界だったんだから、大げさじゃないぐらいそんな気分。
 もう一口。よく熟してて濃厚。ほんと、染み渡る感じ。……これ、庭にあるのかな。
「そんなにお腹減ってた? どこから来たん」
「昨日アヌムヤを出て――あ、出身はヤエマイアです」
「それはけっこう、遠いわね」
 どこかから食材を運び出してきた女将さんが笑って包丁を手にする。あたしは立ちっぱなしだったことに気づいて慌てて椅子を引いた。ギッと軋んだけど座り心地はまあまあ。
 女将さんは、手際よく野菜を剥いて切って、あっという間に籠を空にしていく。夕食出てくるの早そう。期待してって言ってたけど、料理上手いのかな。虫押さえもこれぐらいにしとこうかな。
「まあ、まっすぐ来たわけじゃなくて、色々なところに泊まって話を聞きながら来たんで……ここ来るまでにも十日かかってます。やっと着いたって感じで」
「そんなにかけて、半月も泊まるのに、荷物はそれだけなん? 女の子なんに」
「旅なんてこんなもんで十分ですよ。男も女もないです」
 足元に置いた鞄の中にある着替えは四着しかない。アヌムヤで家を貸してくれた友達に呆れられて押し付けられた一着が増えてるけど、確かにまあ、少ないかな。でも男と遊びに来てるわけでもあるまいし、研究には必要ないでしょう。
 なんて言ってる間に、女将さんはドンと音を立てて、丸い器をサポーテの皿の横に置いた。薄切りにした葛芋ヒカマと茹で豆を和えたサラダが山盛りになっていて、スパイスの匂いが一瞬静かになってた胃を刺激する。
 ああ、透き通る芋の瑞々しさ。豆のツヤツヤ感。
「とって食べててえーよ。今、パンも焼くから。あ、食器はそれと、そっち」
「はい!」
 上に吊るされたランプに火を入れながら女将さんが言う。あたしは許可が出たので元気に返事をして、一緒に置かれた大きなスプーンを手にしてサラダを取り皿に載せた。隅の棚に置かれていた形のバラバラなフォークとスプーンを適当に選んで、芋と豆を一気に貫いて口に突っ込む。
 ――間違いない、女将さんは料理上手だ。塩味は絶妙。茹で加減もよくて歯ごたえ舌触りもいい。あー、今は何食べても美味しいかもしれないけど。しあわせ!
 葛芋の甘さに酔いしれるうちに、上から一人降りてきたみたいで床の軋む音がした。ひょっこり顔を出したのは、あたしより十ぐらい年上っぽい、髭面のおじさんだった。髭にも髪にも剃り込みがある。あくびをして目を擦っているから寝てたのかも知れない。静かだったし。
「こんばんは」
 先んじて挨拶すると、彼はやっとこっちに気づいたようだった。
「お、どおもぉ。客のほーかい?」
 声は軽い。気さくな人のようだ。よかった。この人はそんなに長くこの宿には居ないだろうけど。
「ええ、そうです。おじさんは旅の方?」
「お兄さんっていえよぉ姉ちゃん。俺は苔商いでね、隣の国からぁ来たよ」
「ダナ? エキトルシ? それとも――」
「ダナのほうだ。央国ノナじゃーない。俺にもくれるかい?」
 あたしは食べながら、向こうは多分寝癖だろう頭を整えてフォークとスプーンを選びながら会話をする。苔売りのおじさんの首には月神クー・アーを象った骨細工が下がっていて、言葉はちょっと間延びして聞こえた。なるほど、これはダナの訛りか。
 どうぞ、と取り分け用のスプーンの柄を、おじさんが座ったほうに向ける。
「おーい女将さん、そんなに沢山作んのかい」
 見れば女将さんは大きな鍋を火にかけて、いつ切ったんだか分からないアボカドを八つも臼で擦っているところだった。出来上がったペーストに、香辛料と刻んだトマトが勢いよくぶち込まれる。緑と赤が鮮やかで、味を思い出して唾が出た。ワカモレを作り終っても忙しなく手が動く横には卵と芋虫グサがたくさん積まれていて、その奥には卵とどでかい肉の塊が置いてあるのがちらりと見える。パンの為に用意された水さらしの大黍メーズもどうやら並の量じゃない。
 いくらあたしが食べるほうって言っても、三人分の量じゃないことは明白。目の前のサラダだってかなりあるのに。
「今日は御馳走の日なの」
「でも二人しかおらんぞ」
「三人やろ。余ったらうちが食うから心配せんでええよ」
 むしろ十人分はありそうだけど。女将さんはなんてことはないように言って、膨らんだお腹を叩いた。おじさんが笑う。そうこうしているうちにワカモレがまたでかい皿に乗って出てきた。
 大家族の食卓みたい。食事が贅沢なのは嬉しいけど――なんたって宿代込みだし――そっか、今日が戦勝記念日だから? それで御馳走作るなんてのは珍しいけど。
 出来たばかりの料理を、ちょっとスプーンですくって食べる。おいしい。パンはまだかな。
「パンはまだかい?」
「今焼くわよ」
 鉄板を温めている最中のようだ。ちょっと暑くなってきた。待ち遠しく思いながら、サラダとワカモレをちびちび口に運ぶ。おじさんはサポーテも食べた。
「姉ちゃんはここに何しに来たんだい? 俺はアヌムヤ町に行く途中なんだぁがね」
「魔女の研究をしに」
「ほおお? 研究? 学者さんかい、姉ちゃん。女なのに」
「はい、女ですけど」
「でえ……魔女ってのは、研究してどうするんだい?」
「ただ面白いんです」
 女将さんとしたのと同じような会話を繰り返して笑う。反応は誰でも同じ。だから慣れたものだ。おじさんも笑い、口に押し込んだサポーテを飲みこむ。
「面白いかい? 祈り女なんかただの信心だろぉ? 医学をやったほうがいいんじゃないか?」
 やっぱり皆同じようなことを言う。祈り女というのは祈祷師のことで、魔女の別称とも言えるけど――あたしのやってる〝魔女〟じゃない。
「学問で言う魔女っていうのは、祈祷師や巫女のことじゃありません」
 指を振って言いきるとおじさんが興味深そうな顔をしたので……丁度お腹も落ち着いたところだし、ちょっと話してみようと思った。ここの出身ぽい女将さんからは後で話を聞きたいし、今言ってれば多分、聞こえるだろう。
 床から持ち上げた鞄を膝に置いて中から本を取り出す。黒い表紙の分厚い本。あたしの荷物の中で、一番重いけど大事なものだ。
「それ、もしかして海向こうの本かい」
「そ。第一大陸のものです」
 がっちりした装丁か表紙の見慣れない文字を見てだろう、おじさんが訊くのに答えながらページを捲る。中身もこの辺りの文字じゃない。あたしもまだ全部は読めないけど、そのうちきっと訳して見せる。一生の仕事になるだろうから、旅をしながらでもこれを訳して手紙でも送ってこい、というのが師匠からの課題だ。残ってる場所は分からない単語のが圧倒的に多いけど、文脈だけでもやれば手掛かりになるっていう。ほんと、頭が絡まりそうな作業だけど。
 この本は西北の海を越えてここまでやってきた。第一大陸第の中でも、どこよりも魔女だとか、魔法だとかの研究が盛んだったカトナっていう国の物だ。
「ただの本ですよ」
 おじさんがなんとも微妙な顔をしているのがちらっと見えた。海越えというと、この辺りの人は良い顔をしない。
 海を越え別の大陸に行き戦をするというのは、昔から禁忌とされてきたから。必ず海を渡ったほうの負け戦になって、逃げ帰ったところで国にも悪いことが起こると言い伝えられている。……だから、禁じられているのは海を越えて戦をすることだけ、だったんだけど。あんまりにそれが強く言われるから、海を越えることそのものがよくないことのようになってる。特にこの辺りじゃ顕著で、舶来品まで嫌がる人も少なくない。
 ――お、あった。ここは大体訳も完了してる。
「それを言ったら――ほら、その卵も、肉も、海向こうから来た鶏や牛がいなければ食べれませんよ。調理法もけっこう流入です。ご飯、食べませんか?」
 開いた本の挿絵、何かの魔物の横に居る女の絵を見せながら、まだ微妙な顔をしているおじさんに言う。今女将さんが支度している料理の材料も、いくつかは外から流入してきたものだ。多分。専門じゃないからよく知らないけど。
「ふん、それもそうだな」
 飯。となるとおじさんはすぐに納得した。分かりやすーい。
 まあともかく、腕を組み本を覗き込むようにした人に、あたしは解説を始めることにする。あたしにとっては、明日からの調査に向けてのおさらいだ。
「さて。では学問的魔女とは、ですが――基盤となっているのはこの、第一大陸のカトナ国の研究です。第一大陸は古くから魔女の研究が盛んで、一番、魔女の多い大陸だとも言われています。で、カトナ人の定義した魔女というのが、あたしがさっき言った、学問における魔女というわけです」
 ここまでは師匠の受け売り。そしてここからがこの本の中身だ。あたしは挿絵の女の上に指を置いた。編んだ長い髪を垂らして、魔物に頭を下げている。
「魔女は魔物の嫁。魔物と結婚して、魔物と同じ存在になる。そして、望むものと不老長寿を与えられる」
 そして読める単語を拾い上げて繋げる。ここの訳は師匠がやったものだから間違いがない。
「ふん。魔物の奥さんな。望むものってのは――金銀財宝とか?」
「……俗っぽいなぁー」
「じゃあどんなぁもんだい? それはまだ分からんのかい?」
 おじさんはニヤニヤして身を前に乗り出した。俗っぽいし呆れてしまったけど、馬鹿な人ではなさそうだ。適当に流すんじゃなくちゃんと考える顔をして聞いてくれている。そうなると、こっちもちょっとやる気が出てきた。
 そりゃ、魔女なんて、と言われるよりは嬉しいし楽しい。
「特別な力、という感じですね。例えば、離れたところを見たり、未来を見たり……あとは病を癒す力だとか、天気を操るとか」
「すごいな」
「でも魔女だとなんでもかんでも全部できるというわけではなくて、とてつもない力は大抵、一つしか与えられないということになっています。皆が持っているとされるのは、自分の姿を誤魔化す力、自分の家を隠す門の力、物事の繋がりやきっかけを知る見通しの力、縄を解いたり鍵を一瞬で開けたりする力……」
 この辺りが訳で意味の分かれてしまうとこだと思うのだが――多分、大体、合ってると思う。色々別の資料も見て師匠と検討したところだ。
「それでも十分すごいぞ。俺なんかしょっちゅう結び目が解けなくなるから、魔女に助けてほしいもんだ」
「あとは、そうだ、力を持った証としてとても綺麗な目になるそうです。これがこの本ではなんとも詩的で、説明としては分かりづらいんですが、まるで星を入れた美しい石のような……えっとつまり、宝石のような、伝説時代の輝き、血の知識、暴力を含む……」
「何?」
「訳が不完全なんです。ともかく、力に釣り合うような綺麗な目ってことみたいで」
「おぉい、ちゃんとしろよ」
 それで、このあたりになってくると怪しい。なんていうか文章が優雅で、酔ってる。とても研究書とは思えない。元が古いからかしら。
 気を取り直して、んんと咳払い。鉄板が温まったようで、ジュウッとパンを焼きはじめる音がした。
「そして――」
「ああお姉ちゃん、本とかね、畳まないと臭くなるわ」
「あ、はいっ、ありがとう!」
 説明を続けようとしたところで女将さんが口を挟む。見れば鍋に油も温められていて、芋虫なんかが放り込まれようとしていた。慌てて貴重な本を畳み、鞄にしまいこむ。まだ他にも挿絵とかあるんだけど……まあいいや、仕方ない。んん。
「そして魔女は女に限られる」
 おじさんが目を丸くした。またサポーテを摘まんで口に入れる。
「そりゃー……そうだろう、魔なんだから?」
 反応は思ったとおりで、ニヤリとしてしまった。あたしも師匠にこれを説明されたときは、まったく同じように返したものだ。だって、魔女でしょう? って。
 確かにそうなんだけど、これが興味深いもので――魔男、というようなものは、今のところ存在しないようだ。
「いえ、これが重要なところです。魔物と結婚した男というのも事例としてはあるんですが、そういう人は特別な力を手に入れたりしないんです。魔物と結婚した女性、だけが、魔女になるんです」
 事例に曰く、ではあるけど。たとえばカトナのある金持ちは魔物を妻にしたが、当事者は不老長寿でもなんでもなく、普通に死んだらしい。その子供たちもまた同じく。
 おじさんはいくらか感心したようだった。ちらちら、パンを焼いて揚げ物する女将さんのほうを見てるけど。うん、あたしも気になる。まだかなって思ってるけど。
「……そして人間の男性に嫁いだ奥さんが家を守るように、魔物に嫁いだ魔女は、その魔物の持ってる土地を守るそうです。と、まあ、これがあたしたちの言う〝魔女〟です。分かってもらえました? あたしはただの祈祷師とかには、別に興味ないんです」
「分かった。姉ちゃんは若いけど、立派な学者さんなんだな、うん」
 おじさんは頻りに頷いて、握手を求めてきた。テーブルの上でぶんぶん振る。あの、サポーテでちょっとべたべたするんですけどー。
「でえ、この辺りにも魔女が居るのかい? それを調べにきた?」
 今度はあたしが頷いた。おじさんはダナの人だから知らないみたいだけど、ここの魔女はスノイラ中どこでも有名だ。
 セタエンナヤ――ダナとエキトルシ、そして央国ノナとの国境集中地帯――にかつて居た、女傑。
「あたしたちの研究ってのは現状、『誰が魔女なのか?』っていうのが主題です。スノイラで有名な魔女――とされる女性は三人。サプチー、エルルヤンカ、アガーヴェですが、サプチーは今で言えば医者か祈祷師、エルルヤンカは名前だけが残っていて詳しいことが分かっていない。さっき話した学問的魔女に分類できそうなのは一人、現状はアガーヴェだけではないかと踏んでいます。で、そのアガーヴェの伝説が多く残っているのがこの辺りなんです」
 名前はアガーヴェ。あたしが八年調べつづけている、あたしが学者になったきっかけ。
「アガーヴェはさっき言ったような要素を大方揃えています。あとは〝夫〟の存在が確認できれば、紛れもなく学問な魔女であると言えます。アガーヴェは――」
「そら、あったかいうちに食べてきな。まだまだ焼くよ。今肉も焼くからね」
 また女将さんに遮られて、少々熱くなっていたあたしははっとした。
 女将さんの持つ皿の上で、重ねられた焼き立ての薄焼きパンが香ばしい匂いと湯気を漂わせている。それがテーブルの真ん中に置かれると、次にドンと豆のスープ。あたしとおじさんの前にそれぞれ置かれた器は、サラダを入れたものよりは一回りは小さいかなというだけのでかさ。勿論中身も多い。大皿に乗っているのは大瓜ククルビタの花の湯通しと芋虫の素揚げ。まだ取ってもいないうちに新たに焼けたパンが次々と皿に載る。
「下からとるのよ。分かってるわね」
 女将さんの手際のよさは生半可じゃない。半分空けた鉄板に脂の塊をボンと置いて、それが溶けきると肉の塊をドゴンと置く。まだ開いている場所にには卵を三つ。ジュワッと良い音がした。横ではまだパンを焼いてる。一体何枚焼く気なの。
「……その魔女の話は後だ、まず食おう。女将さん、酒貰うよ」
 おじさんの提案にあたしは賛成した。丁度またお腹が減ってきたところではあったけれど、これは食べるだけで一仕事なんじゃないか。言いつけどおりに先に焼けていたパンを引っ張り出して、半分齧りながらちぎってスープに入れる。真っ赤なスープの辛さは丁度良かった。おじさんは棚から酒を拝借して瓶ごと口をつけると、芋虫を八つも挟んだパンを大口で頬張った。
「女将さん、おいしいわ」
「それはよかった。どんどん作るから、遠慮しないで食い」
 美味しい料理が際限なく出てくるのは、魔女の話より子供向けのお伽噺のよう。楽しそうに肉を焼く女将さんの鼻歌を聞きながら、あたしたちは話すよりも食べるのに口を動かして、料理を口と腹にいっぱいに詰め込むことにした。
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