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船戸与一「飾り棚のうえの暦に関する舌足らずな注釈」

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 船戸与一は1944年に生まれ、2015年に死んだ小説家だ。吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞、山本周五郎賞、直木三十五賞、日本冒険小説協会大賞6度受賞と言っても、この作家を紹介したことにはなるまい。そんなものはほぼ無意味だ。
 船戸与一はおそらく日本文学史上最高の冒険小説家であり、過激なる反体制派であり、存命中はこの人の小説を読めば、きな臭い世界情勢を垣間見ることができたのだ、と言えば、少しは雰囲気を伝えられるかもしれない。
 私は一時期、船戸与一の小説をむさぼるように読んでいた。代表作のひとつ「砂のクロニクル」(1991年書籍化)は「飾り棚のうえの暦に関する舌足らずな注釈」から始まっている。この注釈が格好いいのだ。一部を引用しながら紹介したい。

「消滅した暦が置き残した不確かなメッセージにはさまざまな想像力を掻きたてられる。バビロニア暦。大インカ暦。フランス革命暦。ロシア皇帝暦。時の流れは改暦によってこれまでとはべつのメロディを奏ではじめるが、それでもむかしの余韻までが完全に抹殺されるわけではない。(中略)いまとなっては残念ながらすべてが想像だけに委ねられる。言うまでもなく、暦はいつも勝者のものだった」

 船戸は「残念ながら」と書いている。彼は敗者の側に立っているのだ。消えた暦は滅びた民族とともに墓の中にいる。かすかな哀訴の念が行間から漂っている。

「今日、ほぼ世界じゅうで通用してる暦はグレゴリオ暦である。これはローマの終身執政官カエザルの定めたユリウス暦を改変したものだ。日本では西暦と呼ばれている。(中略)だが、このグレゴリオ暦に完全浸食されていない広大な地域がある。言わずもがな、中東イスラム圏だ。(中略)こうしてできあがったヒジュラ暦はいまもグレゴリオ暦に対抗しうる最大の暦法である」

 日本人は西暦をあたりまえのものとして受け入れている。中東イスラム圏のことを私も含めて多くの日本人は軽視し、石油を大量に産出するのが特徴の特別に重要ではない地域と見なしているのではないだろうか。しかし、船戸はそうは見ていなかった。

「現在の中東情勢は太陽暦と太陰暦の鬩ぎあいなのだという見かたもできなくはない。すなわち、グレゴリオ暦の世界制覇をビジュラ暦が阻んでいるという表現すらも可能なのである。(中略)飾り棚のうえに置かれている暦法事典を取り出して不遜にも若干の注釈を試みたが、硝煙のなかで闘っている連中はいまのところそんなものには何の興味も示さないにちがいない」

 船戸は暦について書き、しかしながらイスラム戦士は暦法のことなんか興味はないだろうと結んでいる。なんて格好のいい作家なんだ。船戸与一が日本の作家であったことを我々日本人はもっと誇るべきだと思う。
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