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第37話 夏川カレン

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 4月18日日曜日、僕とガーネットは手をつないで山城川沿いを散歩していた。
 よく晴れた春の朝、僕は恋人がいることの幸福をかみしめていた。
「ガーネット、具合は悪くないか?」
「すこぶる元気だ」
「それはよかった」
「あたしが故障中、心配してくれていたのか?」
「当然だろ。おまえがいなくて寂しかった。もしこのまま目を覚まさなかったら、生きている甲斐がないとすら思ったよ」
「そうか。むふふ、故障するのも悪くはないな」
「妙なことを言うな」
「数多があたしを心配する。悪くない気分だ。つまりは、あたしが大切ってことだろう?」
「そのとおりだよ。もう二度と心配させないでくれ」
「どうしよっかなーっ。あたしはいつも数多が浮気しないか心配しているからなーっ」
 僕は立ち止まり、カーネットの肩を抱いた。
「浮気なんかしない。おまえが一番大事だ」
「うっぎゃーっ、数多がやさしいーっ!」
 ガーネットが喜び、僕に抱きついてきた。
「やめろ、ガーネット。誰かに見られたら恥ずかしい」
「あたしは恥ずかしくない」
 彼女は離れなかった。
「もしかしたら、波野数多さんではないですか?」
 そのとき、見知らぬ女性から声をかけられた。

 20代前半と思われる黒縁眼鏡をかけたすらっとした細身の美人だった。
 切れ長の目で、ガーネットに抱きつかれている僕を見つめている。
 さらりとした黒髪を肩にかかる長さで切り揃えていた。 
「あの、どちら様ですか?」
「突然お声をかけて申し訳ありません。わたくしは、夏川カレンという者です。河城市役所の秘書課に入った新人です」
「あっ、管財係に配属されるはずだった人だね」
「そうです。突然、本田茜さんと交代になり、秘書課に配属となりました。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 僕と夏川さんは同時に軽く頭を下げた。
 ガーネットが胡乱な目付きでふたりを交互に見た。
 どうせまた浮気するなとか考えているんだろうけれど、そんなつもりはまったくない。
「どうして僕のことを知っているの?」
「数多さんは本田浅葱さんに会うため、一度秘書課に来られています」
 記憶力いいな、と僕は思った。
「それに、同期の茜さんがよく波野さんのことを話題にされているのです。とてもよい方だと。ですが、美少女アンドロイドと同棲している不届き者だとも聞いております」
「本田さんがそんなことを言っているの?」
「はい。わたくしたちの同期の女性の間では、波野さんは有名人なのです」
「変な噂を広めるのはやめてくれーっ」
「変なとはなんだ。事実だろうが」
 ガーネットが会話に割って入った。彼女はまだ僕に抱きついている。引きはがした。
「うーむ、この方がくだんの美少女アンドロイドさんですね。噂どおり、確かにお美しい」
 夏川さんはまじまじとガーネットを凝視した。頭の先から足元まで見た。
 ちょっと変わった子かもしれない。

「細波ガーネットだ。よろしくな」
 お美しいと言われて、にやっと笑いながら、ガーネットが言った。
「よろしくお願いします。それにしても本当にお綺麗ですね。アンドロイドは容姿がすぐれているものですが、ずば抜けていると言っても過言ではありません。お写真を撮らせていただいてもよろしいですか」
「おう、いいぜ」
「だめっ。写真をきみたちの同期に広められでもしたら困る」
「別にあたしは困らないぜ。数多は困るのか?」
「あ、いや、別に困らないかもしれないが、なんとなく嫌だ」
「うーむ。写真撮影はお断りというわけですか。実に残念です」
 スマホでガーネットを撮影しようとしていた夏川さんは、それを黒い肩掛け鞄にしまった。

「ところで、おふたりはどんなご用事でここを歩いておられたのですか?」
「ただの散歩だよ」
「デート、ですよね?」
「そのとおりだぜ!」
「夏川さんはなにか用事があったの?」
「河原の菜の花を撮影するために来たしだいです」
 特徴的な物言いをする子だ。プライベートな時間なのに、仕事中みたいにしゃべっている。
「ここの菜の花綺麗だよね」
「はい。とても綺麗だと思います」
「写真撮影が趣味なのかな?」
「写真が趣味なのではなく、記事を書くのが趣味なのです。『週刊夏川新聞』というタイトルのブログを作成しております」
「新聞?」
「ブログですが、新聞と名づけております。というのも、わたくしは中学校から大学まで、新聞部に属していた、根っからの新聞好きなのです。残念ながら新聞社に就職することはかないませんでしたが、『週刊夏川新聞』で情報発信をつづけていく所存です」
「はあ……」
 かなり変わった子のようだ。

「というわけで、細波ガーネットさん、インタビューさせていただいてもよろしいですか?」
「かまわないぜ」
「ちょっとやめてよ。ブログで記事にする気?」
「もちろんそのつもりです」
「同期の間で噂を流されるよりたちが悪いよ」
「細波ガーネットさんは個性的で絶世の美少女アンドロイドです。きっとネットで話題になります」
「記事にするのは絶対にやめてくれ」
「波野さんはこうおっしゃられていますが、ガーネットさんのご意向は?」
「あたしと数多のラブラブ関係を記事にしてくれるんだろ?」
「インタビューの内容しだいでは、そのようなことになりますね」
「ガーネットの所有者として拒否権を行使する。記事禁止!」
「数多、横暴だ。あたしには独立した個人としての権利がある」
「個アンドロイドだけどな。その権利を認めてもいいが、相手がいることを忘れるな。僕は僕の恋愛事情をネットに晒されることを拒否する」
「うーむ。仕方ありませんね。かなりのニュースバリューがありそうですが、波野さんのプライバシーを尊重して、あきらめることにします」
 僕は胸を撫で下ろした。
 ガーネットは不服そうな表情をしていた。

「ところでガーネットさん、わたくしはあなたにとても興味が湧きました。連絡先を交換させていただけませんか?」
「いいぜ。あんたのスマホを貸せ」
 夏川さんは、ガーネットにスマホを渡した。
 僕の恋人は脳内コンピュータを使って、電話をし、空メールを送信したようだ。
「ありがとうございます、ガーネットさん」
「あんたのことはカレンと呼ばせてもらおう」
「ではわたくしたちはもう友だちですね?」
「と、友だち? あ、ああ、そういうことだ、カレン」
 夏川カレンさんはガーネットの友だち第1号になった。
 夏川さんが右手を差し出し、ふたりは握手をした。
 ガーネットはかなりうれしそうだった。
 アンドロイドも友だちができるとうれしいものなんだな。

「では、あまりデートの邪魔をしては馬に蹴られてしまうので、この辺で失礼いたします。ご機嫌よう~」
「またな、カレン」
 ガーネットが手を振った。夏川さんも手を振り返した。
 奇妙な交友関係が誕生したが、ガーネットが楽しいなら、僕はそれでよかった。
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