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淀川ヨイチ、にっと笑う。

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 桜園学院高等学校は南東京市の郊外にあった。
 南急電鉄線南東京駅から南急バスに乗って約15分。午前8時前後のバスは桜園学院の生徒たちで満員になる。
 南急電鉄線轟駅近くに住んでいる高瀬みらいも、当然ながら電車とバスに乗って通学することになった。初登校のとき、彼女はバスのあまりの混雑ぶりに驚き、呼吸停止しそうになった。
「大丈夫かい? 顔が蒼いよ」
 見知らぬ男子生徒が声をかけてきた。
「息が、苦しくて……」
「無理に息をしようとすると過呼吸になるかもしれないぜ。まずは息を吐け」
「はーっ」
「吸ってみろ」
「すーっ」
 みらいの肺に酸素が届いた。
 にっ、と男の子が笑った。
「1年か?」
「はい」
「おれも1年だ。もっとも、内進生だから、桜園には慣れているがな」
「ないしんせい?」
「その用語、知らないか。桜園学院中学校からの進学ってことさ。きみは外進生だな」
「はい。高校からの入学です」
「敬語はいらない。同じ学年だ」
 彼はまた、にっと笑った。チャーミングな笑顔だ、とみらいは思った。同じクラスになりたいかも。
 校門のそばに臨時の掲示板が設置してあり、そこにクラス別に1年生の名前が書かれていた。みらいの名は1年2組のところに書かれていた。
「2組……」と彼女はつぶやいた。
「きみも2組か?」
 さっきの男子が隣に立っていた。
「はい」
「おれも2組だ。桜園は学年が上がってもクラス替えがないから、3年間、クラスメイトってことになる」
 彼はみたび、にっと笑った。
「おれは淀川与一よどがわよいち
「わたしは、高瀬みらいです」
「高瀬未来人か。いい名前だな!」
「未来人じゃないもん」
「おまえのあだ名は未来人で決定だ」
 みらいは人見知りなたちで、あだ名などつけてもらったことがなかった。
「おれのことはヨイチと呼んでくれ。カタカナでヨイチって感じで
頼む」
「ヨイチくん……」
 みらいは異性を下の名前で呼ぶのは初めてだった。
「ヨイチ、同じクラスだな!」
 多数の内進生がヨイチのそばに集まってきて、彼が人気のある生徒だということが、みらいにもわかった。
 みらいはたちまちひとりきりになった。彼女に話しかける者はもういなかった。
 彼女はずっと淀川与一を目で追っていたのだが、そのことを自覚してはいなかった。
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