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鯉のぼり

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 鯉のぼりは夜に空を泳ぐのよ。
 お姉ちゃんがそう言ったけど、ぼくは信じなかった。布でできた魚が泳ぐはずないもん。
 ほんとうよ、とお姉ちゃんがほほえんで言う。
 五月五日の夜、ぼくは縁側にすわって、ずっと鯉のぼりを見張っていた。ほんとうに泳ぐかどうか確かめてやるんだ。
 いつのまにか、お姉ちゃんがとなりにすわっていた。
 月がきれいな夜だった。満月で、明るかった。
 でも鯉のぼりは庭に立てた竿に結びつけられて、風にたなびくばかりだ。
 泳がないよ、とぼくは言った。
 もうすこし待っていなさい、とお姉ちゃんが答えた。
 お父さんとお母さんが寝静まって、ぼくは眠けをがまんしていたけど、ちょっとうとうとしてしまった。
 もうすぐよ、というお姉ちゃんの声で、ぼくは目をさました。
 ぼくは庭を見た。
 鯉のぼりがむくむくとふくらんで、ほんとうの魚みたいにいきいきとひれを動かした。そして、竿から解放されて、夜の空を泳ぎ出したんだ。
 うわぁ、とぼくは叫んだ。
 ぼくの家の鯉のぼりだけじゃなくて、ほかの家の鯉のぼりも空を舞い、無数の鯉が泳いでいた。ぼくはびっくりして、空を見つめた。魔法みたい、と思った。
 ね、ほんとうでしょう、とお姉ちゃんが目で言っていた。
 ぼくは眠たい目をがんばって見開いて、ふしぎな夜の光景を眺めていた。
 月が光り、星がまたたき、鯉のぼりの群れが舞っている。すごいや。
 いつおふとんに入ったのかおぼえていない。
 ぼくは朝めざめて、ねまきのまま縁側に出て、庭の鯉のぼりを見た。
 鯉のぼりはもう空を泳いではいなかった。元の布の鯉のぼりに戻っていた。竿に結びつけられていたし、風がなかったので、たれさがっているばかりだった。
 お姉ちゃんがぼくのとなりに立っていた。
 ほんとうに夜に泳ぐんだね、鯉のぼり、とぼくは言った。
 鯉のぼりが泳ぐはずないでしょう、ばかね、とお姉ちゃんがほほえんで言った。
 ぼくのお姉ちゃんは魔法使いなのかもしれない、とふと思った。
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