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世界終末ゼミナール

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「人類はどこから来て、どこへ行くのか。前の問いは人類学者がある程度確かな答えを出してくれました。私たちは後ろの問いをずっと研究してきました」と伊藤妙子教授は言った。
 世界終末ゼミナールの研究室の壁には世界終末時計が掛けられていた。その時計は午後11時59分を示している。
「観測してきたと言い換えてもいいかもしれませんね。終末に向かう道筋は止まることがなかった。後ろの問いの答えはもはや明らかです。人類はどこにも辿り着けないまま、まもなく滅びる」
「第三次世界大戦がこんなに早く勃発し、あっという間に広がるとは、わたしの予測を超えた展開でした」
 博士課程の大学院生、長崎穂積が発言した。
「8日前までは戦火の兆しもありませんでした。7日前に大国間の偶発戦が発生し、通常兵器戦、電子戦、無人機無差別攻撃戦を経て、3日前に核戦争が始まりました。本当にあっという間でした」
「いまや地球上のどこにも安全な土地はありません」と言ったのは、修士論文を書いている途中の木野弓弦だった。
「戦争当事者の大国は滅亡が確定しています。戦争に関しない国が生き残り、漁夫の利を得ると僕は考えていましたが、大国はそれを許さなかった。すべての国が戦争に巻き込まれました」
「私たちが想定した最悪のシナリオ、世界無差別核戦争が進行しています」
 妙子教授が弓弦の話を引き取って言った。
 世界終末ゼミは観測衛星を所有している。そこから送られてくる映像が、教授を含めて16人のゼミ員全員のパソコンのモニターに映し出されている。日本各地でも原子雲が立ち昇っていた。
「ここは無事でしょうか……?」と修士課程1年生の桜美春が震える声でつぶやいた。
 世界終末ゼミの研究室は日本の月面基地内にあり、いまのところ戦火をまぬがれている。
「たとえいま基地が破壊されなかったとしても、地球からの補給が途絶えては生きていけません。私たちは自給自足体制にはありませんから」
 妙子教授の声にはいささかの淀みもなく、その表情には達観がうかがえた。終末研究家の彼女は、全力で警告を発しつづけてきた。その甲斐なく、人類は地球に住む多くの生物を巻き添えにして、滅びようとしている。
「終末は避けようがないと私は予測していました。世界は終末を避けるどころか、そこに向かって加速していた。できれば予測がはずれてほしかったけれど、そうはなりませんでしたね」
 研究室にクロード・ドビュッシーの曲「月の光」が流れ始めた。「うわーん」と美春が泣き出した。AIが人類滅亡確定を判定したとき、この曲が流れるよう教授がセットしていたことを、ゼミ生みんなが知っていた。
 曲が終わると同時に終末時計は午後12時をさし、その使命を終える。
 美春以外のゼミ生は取り乱すことなく、静かに曲に耳を傾けていた。妙子教授は人類の終末の形を研究するとともに、いつそのときが来ても心を乱さないよう指導してきた。終末ゼミは科学的であるとともに、宗教的な雰囲気を持っていた。
「人類は天国へ行けるのではないでしょうか」と穂積が言った。
「あるいは地獄へ」と弓弦。
「そういう行き先があるといいですね。私の能力では、そこまで調べることはできませんでした」
 ドビュッシーの曲が終わり、時計が12回、鐘を鳴らした。
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