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第53話 テントの裏

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「きゃーっ、勝ってる、勝ってるわ!」
 女王は踊りあがって喜んだ。
「がんばれーっ、みんな、がんばってーっ!」
 彼女は夢中になって応援した。優勢がうれしくてたまらなかった。
 手元に予備軍などはない。女王親衛隊すら、戦闘に投入していた。女王は軍務大臣と参謀長らの高級士官とわずか数名の護衛に守られて、声を張り上げていた。
「大臣、あなたも一緒に応援して!」
 彼女は軍務大臣の手を引っ張って言った。いつもしぶく決めている彼は、露骨に迷惑そうな顔をした。
 女王はむっとした。
「あっそう、嫌なの? みんながあんなに一生懸命戦っているのに、大臣は応援できないっていうのね?」
 彼女はジト目になった。
「なんか、こんなところで応援してるのがバカらしくなっちゃうなー。よーし、あたしも戦うぞ!」
 彼女は軍務大臣の剣を鞘から引き抜き、戦場へ駆け出そうとした。大臣は仰天し、慌てて彼女を引き止めた。
 軍務大臣は再び女王のジト目攻撃にさらされた。これには抵抗できず、ついに彼も声援せざるを得なくなった。
「負けるなーっ! 我が軍は無敵だぁーっ!」
 大臣は女王と並んで声を張り上げた。二人の絶叫声援につられて、周りの士官たちも叫び始めた。女王はさらに盛り上がり、「がんばれーっ、がんばれーっ!」と叫び続けた、
 五分経ち、軍務大臣がへたばった。
「すみません、ちょっと水を飲んできます」
 テントへ戻ろうとする彼を、女王はしょうがないわねぇ、とでも言いたげに見送った。
 大臣はテントで水を飲み、それから付き従っていた彼の腹心に声をかけた。
「例のものは用意できているか?」
「はい、このテントの裏に。いつでも飛び立てます」
「そうか」
 軍務大臣は安堵のため息をついた。
「我々の命なんぞはどうなってもいいが、女王には何がなんでも生き延びていただかねばならん。それがマルクスクス家の男に課された最低限の務めだ。万が一ここで豚王朝の血を途絶えさせでもしてみろ、このおれは先祖に会わす顔がない」
「しかし閣下、我が軍は優勢です」
 腹心は大臣の負けを覚悟しているような言葉が不満だった。
「今のところはな」
 彼の声は冷静で、その目は冷徹だった。
 軍務大臣は再び女王のもとへ行き、ブダペスト防衛軍を声援した。それが吹っ切れたような大声だったので、彼女をうれしがらせた。二人はおじいちゃんとその孫のように、仲よく叫び続けた。
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