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利き酒は旨いというだけではダメらしい
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翌日朝、五時半前に蔵に入ると亀の井が既にいた。前に比べて寒さは和らいでいる。
「おかえり、ゴンくん」
「ただいまです、亀の井さん」
今日から指導よろしくお願いしますと改めて言った。亀の井はあははと声を上げて笑って、
「そんなかしこまる必要ないじゃない。ボイラーはもう点火しちゃったし。まず甑に水を張るから見てて。この水加減で炊き加減が決まるから慎重にね」
はいと返事をして水を出す。しばらくして亀の井が止めてと言った。
「この線のところが大体のところ。厳密じゃないけど、一応の目安かな。毎日同じように張っても、水温とか気圧とかで変わってくるんだけど」
次は機械の操作ねと言って、一つずつ説明を始めた。機械音痴の俺は必死になってその説明を聞いた。
六時を回った頃、
「はいよーホース通ります」
威勢のいい声が蔵の中に轟いた。狸たちがこそこそと物陰に隠れていく。頭にタオルをハチマキ代わりにした四十代の男がホースを引きずりながら蔵の中を横断していく。中背だが肩幅ががっちりしており、腰には神河酒造と書かれた紺色の前掛けをしている。
「あれ、大納川さんに会うのって初めてだっけ?」
と亀の井が利いた。
「瓶詰担当の人だよ。今日、タンク移動があるんだね。そうなると明日は瓶詰かぁ」
大納川は猪のように勢いよく手早くホースを引き蔵から消えていった。そういえば、夏は瓶詰やるって蔵元が言ってたなと頭の片隅に思い出した。
「甑が上がりますー」
今日も亀の井の声が蔵に響く。俺は久しぶりの上に初めての甑の作業で蒸米の具合が心配になっていた。帆布を受け取り、甑を開けてみるといつも通り白く美しい米が炊き上がっていた。
「味はどうですか、亀の井さん」
「うん、問題ないよ」
と米を頬張りながら亀の井が告げた。ほっと安心するのもつかの間、今日も忙しい一日が始まる。
その日の午後、蔵人は全員蔵元に会議室へ呼び出された。そこにはテーブルの上に八本の一升瓶が置いてあり、蔵元、杜氏、蔵人たちの他に知らない社員が数人揃っていた。
「潤、これから何があるんだ?」
「全国新酒鑑評会に出す酒を決めるんだ。八本の別々のタンクで造られた酒をそれぞれ利いて出品する酒を選ぶ」
確か山古志が全国新酒鑑評会について話してた。事の重大さを俺は遅まきながら理解した。
全員に猪口が行き渡り、利き酒が開始された。皆終始無言だった。香りを嗅ぎ、口に含み、丸い歯科医のうがい台のようなところに吐き出す。そしてあるものはメモを取りつつ、それぞれが真剣に利き酒していった。
俺も見様見真似で酒を口に含んだ。メロンのような香りが鼻を突き抜けて、すっきりとしたキレのある味わいが口に広がった。二本目の酒は香りは先ほどよりも上品で落ち着きがあり、辛目でキレもあるように感じた。三本目、、四本目と次々に試飲していく。
「ゴン、時々口をゆすぐといいよ。あまりやり過ぎても味が変わってしまうけど」
末廣が隣で囁いた。俺は頷き、猪口に水を入れ口をうがいして吐き出した。
全ての利き酒が終わり、蔵元が評決を採った。
その結果俺の選んだ酒は票は少ないものの、杜氏と同じ結果になった。
「徳明君、何故この酒を選んだのかな?」
蔵元がそう訊ねた。全員の視線が集まり、俺は途端に緊張した。
「えっと、五番の酒が一番すっきりして、のど元を通った時旨いと思ったからです」
知らない壮年の社員が俺のたどたどしい表現にくすりと笑った。俺は赤くなり、俯いた。蔵元は
「皆の意見はわかった。後は杜氏と相談して決める」
そこで解散となった。
少し飲んでしまったのか、初めて意見を言って緊張したからか顔が熱を持っていたので水を飲んだ。そこに香取が近づいてきた。
「自分が何を感じたかを、自分の言葉で表現することが一番大事だ。それを笑うやつなど気にするな」
それだけ言うとすっと蔵の奥に戻っていった。
小柄な背中が大きく見えた。
「おかえり、ゴンくん」
「ただいまです、亀の井さん」
今日から指導よろしくお願いしますと改めて言った。亀の井はあははと声を上げて笑って、
「そんなかしこまる必要ないじゃない。ボイラーはもう点火しちゃったし。まず甑に水を張るから見てて。この水加減で炊き加減が決まるから慎重にね」
はいと返事をして水を出す。しばらくして亀の井が止めてと言った。
「この線のところが大体のところ。厳密じゃないけど、一応の目安かな。毎日同じように張っても、水温とか気圧とかで変わってくるんだけど」
次は機械の操作ねと言って、一つずつ説明を始めた。機械音痴の俺は必死になってその説明を聞いた。
六時を回った頃、
「はいよーホース通ります」
威勢のいい声が蔵の中に轟いた。狸たちがこそこそと物陰に隠れていく。頭にタオルをハチマキ代わりにした四十代の男がホースを引きずりながら蔵の中を横断していく。中背だが肩幅ががっちりしており、腰には神河酒造と書かれた紺色の前掛けをしている。
「あれ、大納川さんに会うのって初めてだっけ?」
と亀の井が利いた。
「瓶詰担当の人だよ。今日、タンク移動があるんだね。そうなると明日は瓶詰かぁ」
大納川は猪のように勢いよく手早くホースを引き蔵から消えていった。そういえば、夏は瓶詰やるって蔵元が言ってたなと頭の片隅に思い出した。
「甑が上がりますー」
今日も亀の井の声が蔵に響く。俺は久しぶりの上に初めての甑の作業で蒸米の具合が心配になっていた。帆布を受け取り、甑を開けてみるといつも通り白く美しい米が炊き上がっていた。
「味はどうですか、亀の井さん」
「うん、問題ないよ」
と米を頬張りながら亀の井が告げた。ほっと安心するのもつかの間、今日も忙しい一日が始まる。
その日の午後、蔵人は全員蔵元に会議室へ呼び出された。そこにはテーブルの上に八本の一升瓶が置いてあり、蔵元、杜氏、蔵人たちの他に知らない社員が数人揃っていた。
「潤、これから何があるんだ?」
「全国新酒鑑評会に出す酒を決めるんだ。八本の別々のタンクで造られた酒をそれぞれ利いて出品する酒を選ぶ」
確か山古志が全国新酒鑑評会について話してた。事の重大さを俺は遅まきながら理解した。
全員に猪口が行き渡り、利き酒が開始された。皆終始無言だった。香りを嗅ぎ、口に含み、丸い歯科医のうがい台のようなところに吐き出す。そしてあるものはメモを取りつつ、それぞれが真剣に利き酒していった。
俺も見様見真似で酒を口に含んだ。メロンのような香りが鼻を突き抜けて、すっきりとしたキレのある味わいが口に広がった。二本目の酒は香りは先ほどよりも上品で落ち着きがあり、辛目でキレもあるように感じた。三本目、、四本目と次々に試飲していく。
「ゴン、時々口をゆすぐといいよ。あまりやり過ぎても味が変わってしまうけど」
末廣が隣で囁いた。俺は頷き、猪口に水を入れ口をうがいして吐き出した。
全ての利き酒が終わり、蔵元が評決を採った。
その結果俺の選んだ酒は票は少ないものの、杜氏と同じ結果になった。
「徳明君、何故この酒を選んだのかな?」
蔵元がそう訊ねた。全員の視線が集まり、俺は途端に緊張した。
「えっと、五番の酒が一番すっきりして、のど元を通った時旨いと思ったからです」
知らない壮年の社員が俺のたどたどしい表現にくすりと笑った。俺は赤くなり、俯いた。蔵元は
「皆の意見はわかった。後は杜氏と相談して決める」
そこで解散となった。
少し飲んでしまったのか、初めて意見を言って緊張したからか顔が熱を持っていたので水を飲んだ。そこに香取が近づいてきた。
「自分が何を感じたかを、自分の言葉で表現することが一番大事だ。それを笑うやつなど気にするな」
それだけ言うとすっと蔵の奥に戻っていった。
小柄な背中が大きく見えた。
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