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第1章-花が咲いた-

心のキャンバスに花が咲く

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私の足音だけが響きわたる廊下。右に目を向けると、中庭の中央に植えられた立派な桜の木が満開を迎えている。このさくらの王国では1年中、桜が満開である。このように、様々な花の王国では、それぞれの花が1年中、その美しく綺麗な姿を見せてくれている。私が母に捨てられたあの場所、そこは、ここのように、桜が1年中咲く場所ではなかった。それしか、私には分からなかった。

ふとそんな事を考えながら、私は足早に自分の部屋へと戻った。

クララ様の部屋から少し離れたところに、使用人たちの生活する部屋が設けられている。奥様と旦那様はとてもお優しく、私達使用人にも何不自由ない生活を与えてくださっている。私にはこの上ない、本当に幸せな暮らしである。

自分の部屋の扉を開けると、開けっ放しにしていた窓から、桜の花びらが何枚か迷い込んでいた。この窓からの景色が大好きな私は、奥様にお願いして、この部屋に住まわせていただいている。もっと広く、使い勝手のいい部屋ならたくさんあるのだが、ここから見える桜の木々に、私は心を奪われてしまったのだ。そして、この景色の一瞬一瞬を、白いキャンバスの中におさめるのが、私の大好きなことの1つである。

「今日も描きますか~」

絵の具をパレットに出し、筆を手に取る。暖かい風を感じながら、桜の花びらを描き足してゆく。ゆっくりとした時間が流れ、時計の針はすっかり11時を指していた。

「もうそろそろ時間ね。後少しでやめにしなくては。クララ様のところへ…」
「もう少し続けて」
「…はい?」
「振り返らず。さあ」

私はその落ち着きのある声に、振り返ることを拒まれてしまった。男性にしては高めだが、綺麗で落ち着きのある、心地の良い声。私は、聞き慣れないその声に少し不安を覚えながらも、キャンバスに向かい直した。

「素敵な絵ですね」
「いえ、趣味程度なのでそんな…絵がお好きなのですか?」
「はい。描くのはまっぴらですが、絵画鑑賞がとても好きで。本当に綺麗な絵だ」
「絵を学んでおりませんし、きっとレベルも高いものでは…」
「絵にレベルなんてありませんよ」

私はその言葉にはっとして、動かしていた筆をピタッと止めてしまった。彼は、背を向けている私に、今まで自分が見てきた絵画について、優しい口調で話し始めた。どの絵画もそれぞれ優れた点があること、その捉え方は人それぞれであること、自分は絵に人の心が表れると思っていること、私に順を追って教えてくれた。

「今までそんなにたくさんの絵画を見てこられたのですね。でも、絵を見て人の心まで分かるとは…私の絵を見られるのが怖いですね、なんて」
「あなたの心はとても綺麗だ、この絵を見てすぐ思ったよ」

急に耳元で聞こえたその声に驚き、横を向くと、目の前には、見たことのない顔が、私と同様、少し驚いた顔で私を見ていた。
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