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幕間 王都武術大会
17.スフィンクス家の変
一方、王都の貴族街に居を構えるスフィンクス家の屋敷では。
自分達が狙われているとは露知らず、ナーム・スフィンクスが布団にくるまって涙で枕を濡らしていた。
「ううっ・・・ひどい、ひどいよう・・・」
魔具を使って大人の女性に変身していたナームであったが、すでにその指に金の指輪はなく、子供の姿へと戻っていた。
一部の隙間もなく布団に埋まった彼女は、外見通りに子供のように泣きじゃくっている。
ディンギルと出会って唇を奪われてしまったナームは、必死の体で家まで帰ってきて、窓から自室へと潜り込んだ。
服を着替えてからはずっとベッドで泣き続けており、夕食もとってはいなかった。
「あんなのってない、わたし、初めてだったのに・・・」
頭に浮かぶのは、自分に狼藉を働いた名前も知らない男の顔である。
どれだけ消し去ろうと念じても、まるで瞳の裏に焼き付いたかのようにその男の顔が目の前に現れてしまう。
ドキドキとあり得ないくらいに心臓が高鳴り、同時にズキズキと締め付けられるような痛みを感じる。
こんなことは、生まれてはじめてのことだった。
『どうだろう、今回のことは二人ともなかったことにしないか?』
『虫にでも刺されたと思って忘れちまった方が、どちらにとっても良いと思うんだが?』
「無理だよう・・・忘れるなんて、できない・・・」
男の口から放たれた言葉が、楔のように胸に突き刺さっている。
あの男は、自分で言ったようにナームのことを忘れてしまっただろうか?
ナームと会ったことも、キスをしたことすら忘れて、なかったことにしてしまったのだろうか。
自分はこんなにも思い悩んで苦しめられているというのに、相手の男は自分の顔も忘れているかもしれない。
そんなことを考えるたび、ナームの胸はズキズキと痛んだ。
痛くて、辛くて、悔しくて。
それなのに、取れたての木苺のように甘酸っぱくて。
捨ててしまいたいのに、捨てるのがあまりにも惜しい。
その感情をなんと呼べばいいのか、幼いナームはまだ知らなかった。
「お、おい・・・アレは泣いてるよな? ナーム、泣いてるよな?」
「そうねえ・・・」
一方、そんなナームの部屋の前では、わずかに扉を開けて作った隙間から保護者二人が部屋の中を覗いていた。
動揺して声を上擦らせているのはナームの兄、バロンである。対照的に落ち着いて考え込んでいるのは、その婚約者のミストであった。
「まさか、俺達があの子を置いていったから・・・こんなことなら、無理にでも連れて行って上げればよかった!」
「絶対に違うから、落ち込まなくてもいいわよ」
溺愛する妹の涙に、バロンは見当違いな後悔をして打ちひしがれていた。ミストはそんな婚約者をなだめながら、女としての直感を働かせて瞳を細める。
「あの子、ひょっとしたら・・・」
「何か心当たりがあるのか!? 誰かにいじめられたとか・・・あ、夕飯のおかずが気に入らなかったのか!?」
「うん、ちょっと黙ってなさいね。考え事の邪魔だから」
ミストはバロンを黙らせて、しげしげとナームの様子を観察する。
ひょっとしたら、自分達がいない間に外に出て、ヒドい目に遭ってしまったのかもしれない。
あるいは・・・
「出会ってしまったのかもしれないわね・・・あの子の人生を根本から変えてくれるような、誰かに」
義妹があんな風に感情をむき出しにして泣いているのを見るのは、いったい何年ぶりだろうか?
かつて、誘拐事件に巻き込まれてからというもの、ナームは心を閉ざしてしまい、怯え以外の感情を周囲に見せることはなくなってしまった。
きっと誰かと衝撃的な出会いをして、無理矢理に心の扉をこじ開けられたのだ。
「願わくば・・・その人が信頼できる、あの子が困っているときに駆けつけて助けてくれるような人ならいいのだけど」
「あ、明日は一緒にお出かけして上げれば泣きやむだろうか? 王都を案内して、お菓子とかオモチャを買ってあげて・・・」
「あなたは明日、試合でしょうが? いいからさっさと寝なさい」
ぴしゃりと言って、ミストは音を立てないようにナームの部屋の扉を閉めた。
自分達が狙われているとは露知らず、ナーム・スフィンクスが布団にくるまって涙で枕を濡らしていた。
「ううっ・・・ひどい、ひどいよう・・・」
魔具を使って大人の女性に変身していたナームであったが、すでにその指に金の指輪はなく、子供の姿へと戻っていた。
一部の隙間もなく布団に埋まった彼女は、外見通りに子供のように泣きじゃくっている。
ディンギルと出会って唇を奪われてしまったナームは、必死の体で家まで帰ってきて、窓から自室へと潜り込んだ。
服を着替えてからはずっとベッドで泣き続けており、夕食もとってはいなかった。
「あんなのってない、わたし、初めてだったのに・・・」
頭に浮かぶのは、自分に狼藉を働いた名前も知らない男の顔である。
どれだけ消し去ろうと念じても、まるで瞳の裏に焼き付いたかのようにその男の顔が目の前に現れてしまう。
ドキドキとあり得ないくらいに心臓が高鳴り、同時にズキズキと締め付けられるような痛みを感じる。
こんなことは、生まれてはじめてのことだった。
『どうだろう、今回のことは二人ともなかったことにしないか?』
『虫にでも刺されたと思って忘れちまった方が、どちらにとっても良いと思うんだが?』
「無理だよう・・・忘れるなんて、できない・・・」
男の口から放たれた言葉が、楔のように胸に突き刺さっている。
あの男は、自分で言ったようにナームのことを忘れてしまっただろうか?
ナームと会ったことも、キスをしたことすら忘れて、なかったことにしてしまったのだろうか。
自分はこんなにも思い悩んで苦しめられているというのに、相手の男は自分の顔も忘れているかもしれない。
そんなことを考えるたび、ナームの胸はズキズキと痛んだ。
痛くて、辛くて、悔しくて。
それなのに、取れたての木苺のように甘酸っぱくて。
捨ててしまいたいのに、捨てるのがあまりにも惜しい。
その感情をなんと呼べばいいのか、幼いナームはまだ知らなかった。
「お、おい・・・アレは泣いてるよな? ナーム、泣いてるよな?」
「そうねえ・・・」
一方、そんなナームの部屋の前では、わずかに扉を開けて作った隙間から保護者二人が部屋の中を覗いていた。
動揺して声を上擦らせているのはナームの兄、バロンである。対照的に落ち着いて考え込んでいるのは、その婚約者のミストであった。
「まさか、俺達があの子を置いていったから・・・こんなことなら、無理にでも連れて行って上げればよかった!」
「絶対に違うから、落ち込まなくてもいいわよ」
溺愛する妹の涙に、バロンは見当違いな後悔をして打ちひしがれていた。ミストはそんな婚約者をなだめながら、女としての直感を働かせて瞳を細める。
「あの子、ひょっとしたら・・・」
「何か心当たりがあるのか!? 誰かにいじめられたとか・・・あ、夕飯のおかずが気に入らなかったのか!?」
「うん、ちょっと黙ってなさいね。考え事の邪魔だから」
ミストはバロンを黙らせて、しげしげとナームの様子を観察する。
ひょっとしたら、自分達がいない間に外に出て、ヒドい目に遭ってしまったのかもしれない。
あるいは・・・
「出会ってしまったのかもしれないわね・・・あの子の人生を根本から変えてくれるような、誰かに」
義妹があんな風に感情をむき出しにして泣いているのを見るのは、いったい何年ぶりだろうか?
かつて、誘拐事件に巻き込まれてからというもの、ナームは心を閉ざしてしまい、怯え以外の感情を周囲に見せることはなくなってしまった。
きっと誰かと衝撃的な出会いをして、無理矢理に心の扉をこじ開けられたのだ。
「願わくば・・・その人が信頼できる、あの子が困っているときに駆けつけて助けてくれるような人ならいいのだけど」
「あ、明日は一緒にお出かけして上げれば泣きやむだろうか? 王都を案内して、お菓子とかオモチャを買ってあげて・・・」
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ぴしゃりと言って、ミストは音を立てないようにナームの部屋の扉を閉めた。
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