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幕間 王都武術大会
18.二度目の変身
次の日の朝。太陽がようやく地平線から顔を見せ、一番鶏が巣から起きあがった頃。
スフィンクス家の屋敷から、塀を乗り越えて一人の女性が敷地の外へと出た。
「・・・誰も、気づいてないよね?」
きょろきょろと周囲を見回して道へ踏み出したのはナーム・スフィンクスである。
昨日と同じように魔具の指輪で大人の姿に変身したナームであったが、着ている衣装は先日のように露出の高いものではない。白い簡素なドレスに灰色のコートという地味な出で立ちであった。
ナームが早朝から人目を忍んで出かけたのは、もう一度、自分にキスをした男を捜すためであった。
「・・・もう一度あの人に会って、一発叩いてあげないと気が済まない! それだけ、そう、それだけだから!」
感情がグチャグチャになって自分でも処理しきれなくなったナームは、子供らしい無鉄砲さを発揮して一人で屋敷から抜け出してしまった。
身体は魔具の力で大人のものになっていたが、そこに昨日のような悠然とした余裕はまるでない。ただ、自分に狼藉を働いた男にその感情をぶつけてしまいたい、そうせずにはいられない。そんな幼稚な願望だけで街へ飛び出してきていた。
朝焼けで赤く染まった王都には人々が起き出していて、店の前を掃除している商人や、露店で下ごしらえをしている料理人の姿などが見られた。
人を探して辺りを見回しながら歩いているナームとすれ違いざまに視線が合うが、昨日と違ってコートで身体のラインを隠しているため、それほど好奇の視線を集めることはなかった。
「・・・ちょっと早く出てきちゃったかな?」
まばらな人の姿を見て、今更のようにナームがつぶやいた。
日中は人の波でごっちゃ返しになる大通りであったが、さすがに早朝は人通りも少ない。こんな朝からあの男は外に出てきているのだろうか?
当たり前すぎる事柄を気がつかなかった自分を恥じて、ナームは羞恥に顔を染める。
「そ、そうよ、ひょっとしたら朝の散歩に出てくるかもしれないし、昨日の場所に行ってみればあの人の手がかりがあるかもしれないし」
そんなふうに自分に言い訳をして、ナームはあの男と出会った裏通りへと足を向けた。
「・・・ちょうどいい、裏道に入るぞ」
「ああ、チャンスだな」
その背後に、彼女を狙う怪しげな影があった。
人探しに気を取られたナームはその気配に気がつくことなく、自ら人通りのない暗い路地へと入っていったのであった。
「・・・やっぱり、誰もいないよね」
路地裏へと入ったナームは、当然ながら求める人影のない光景に肩を落とした。暗い裏道には誰が捨てたかもわからないゴミが転がっているが、件の男性につながる手掛かりになるものはなさそうだった。
ナームは地面に転がっている石をつま先で蹴った。石はコロコロと路地裏を転がっていき、やがて所在なさげに動きを止める。
「名前・・・聞いておけばよかったな」
相手の素性も確認していなかったことを、ナームは遅ればせながら後悔をした。
(どうしてこんなに会いたくなっちゃうのかな? わたし、どうしちゃったんだろ?)
自分に乱暴を働いた嫌な人。自分よりも強くて、たぶん兄と同じくらい強い人。
好きか嫌いかと聞かれれば間違いなく嫌いだと断言できる。
それなのに、もう一度会いたくて仕方がない。顔が見たくて、声が聴きたくて、胸が絞めつけられて痛くなる。
こんな感情は生まれて初めてであった。
「・・・一度、家に帰ろう。兄さんに聞いてみれば何かわかるかもしれないし」
探し人の男性は兄と同年代であり、そして、同じく剣の達人だ。それなりに身分のよさそうな格好をしていたし、おそらくは貴族の出身だろう。王都の貴族学校に通う兄ならば、ひょっとしたらあの男性のことを知っているかもしれない。
そう考えて、ナームは一つ頷いた。路地裏から出るべく、日の当たる方向へと身体を向き直った。
そこで、ようやく道をふさぐように立ちふさがっている男達の姿に気がついた。
「・・・どなたですか?」
ナームは緊張をはらんだ声で、男達に問いかけた。
武術には自信のある彼女であったが、自分などよりも強い男がいることは昨日の敗北で痛いほどに学んでいる。
(昨日、倒した奴らの仲間かな? 昨日の仕返しのつもりかしら?)
ナームは注意深く男達を観察する。
3人組の男達は腰に剣を刺しており、タダ者ではない空気をまとっている。多勢に無勢、おまけにこちらは丸腰である。明らかに勝ち目は薄かった。
ナームは腹をくくり、絞り出すように言葉を発そうとする。しかし、それよりも先に男達が口を開いた。
「西方辺境貴族、バロン・スフィンクスの婚約者殿とお見受けする。ご足労だが、我々と一緒に来ていただく!」
「え・・・?」
見当違いともいえる断定の言葉に、ナームは黒い瞳を見開いて絶句した。
王都を取り巻く陰謀の黒雲は、予想もしない形で幼い少女の身へと降りかかってきたのであった。
スフィンクス家の屋敷から、塀を乗り越えて一人の女性が敷地の外へと出た。
「・・・誰も、気づいてないよね?」
きょろきょろと周囲を見回して道へ踏み出したのはナーム・スフィンクスである。
昨日と同じように魔具の指輪で大人の姿に変身したナームであったが、着ている衣装は先日のように露出の高いものではない。白い簡素なドレスに灰色のコートという地味な出で立ちであった。
ナームが早朝から人目を忍んで出かけたのは、もう一度、自分にキスをした男を捜すためであった。
「・・・もう一度あの人に会って、一発叩いてあげないと気が済まない! それだけ、そう、それだけだから!」
感情がグチャグチャになって自分でも処理しきれなくなったナームは、子供らしい無鉄砲さを発揮して一人で屋敷から抜け出してしまった。
身体は魔具の力で大人のものになっていたが、そこに昨日のような悠然とした余裕はまるでない。ただ、自分に狼藉を働いた男にその感情をぶつけてしまいたい、そうせずにはいられない。そんな幼稚な願望だけで街へ飛び出してきていた。
朝焼けで赤く染まった王都には人々が起き出していて、店の前を掃除している商人や、露店で下ごしらえをしている料理人の姿などが見られた。
人を探して辺りを見回しながら歩いているナームとすれ違いざまに視線が合うが、昨日と違ってコートで身体のラインを隠しているため、それほど好奇の視線を集めることはなかった。
「・・・ちょっと早く出てきちゃったかな?」
まばらな人の姿を見て、今更のようにナームがつぶやいた。
日中は人の波でごっちゃ返しになる大通りであったが、さすがに早朝は人通りも少ない。こんな朝からあの男は外に出てきているのだろうか?
当たり前すぎる事柄を気がつかなかった自分を恥じて、ナームは羞恥に顔を染める。
「そ、そうよ、ひょっとしたら朝の散歩に出てくるかもしれないし、昨日の場所に行ってみればあの人の手がかりがあるかもしれないし」
そんなふうに自分に言い訳をして、ナームはあの男と出会った裏通りへと足を向けた。
「・・・ちょうどいい、裏道に入るぞ」
「ああ、チャンスだな」
その背後に、彼女を狙う怪しげな影があった。
人探しに気を取られたナームはその気配に気がつくことなく、自ら人通りのない暗い路地へと入っていったのであった。
「・・・やっぱり、誰もいないよね」
路地裏へと入ったナームは、当然ながら求める人影のない光景に肩を落とした。暗い裏道には誰が捨てたかもわからないゴミが転がっているが、件の男性につながる手掛かりになるものはなさそうだった。
ナームは地面に転がっている石をつま先で蹴った。石はコロコロと路地裏を転がっていき、やがて所在なさげに動きを止める。
「名前・・・聞いておけばよかったな」
相手の素性も確認していなかったことを、ナームは遅ればせながら後悔をした。
(どうしてこんなに会いたくなっちゃうのかな? わたし、どうしちゃったんだろ?)
自分に乱暴を働いた嫌な人。自分よりも強くて、たぶん兄と同じくらい強い人。
好きか嫌いかと聞かれれば間違いなく嫌いだと断言できる。
それなのに、もう一度会いたくて仕方がない。顔が見たくて、声が聴きたくて、胸が絞めつけられて痛くなる。
こんな感情は生まれて初めてであった。
「・・・一度、家に帰ろう。兄さんに聞いてみれば何かわかるかもしれないし」
探し人の男性は兄と同年代であり、そして、同じく剣の達人だ。それなりに身分のよさそうな格好をしていたし、おそらくは貴族の出身だろう。王都の貴族学校に通う兄ならば、ひょっとしたらあの男性のことを知っているかもしれない。
そう考えて、ナームは一つ頷いた。路地裏から出るべく、日の当たる方向へと身体を向き直った。
そこで、ようやく道をふさぐように立ちふさがっている男達の姿に気がついた。
「・・・どなたですか?」
ナームは緊張をはらんだ声で、男達に問いかけた。
武術には自信のある彼女であったが、自分などよりも強い男がいることは昨日の敗北で痛いほどに学んでいる。
(昨日、倒した奴らの仲間かな? 昨日の仕返しのつもりかしら?)
ナームは注意深く男達を観察する。
3人組の男達は腰に剣を刺しており、タダ者ではない空気をまとっている。多勢に無勢、おまけにこちらは丸腰である。明らかに勝ち目は薄かった。
ナームは腹をくくり、絞り出すように言葉を発そうとする。しかし、それよりも先に男達が口を開いた。
「西方辺境貴族、バロン・スフィンクスの婚約者殿とお見受けする。ご足労だが、我々と一緒に来ていただく!」
「え・・・?」
見当違いともいえる断定の言葉に、ナームは黒い瞳を見開いて絶句した。
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