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第4章 砂漠陰謀編
73.戦いの終わり、最大の敗北
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浴場の乱、カイロ嬢の色仕掛けから数日。俺が西方辺境から去り、マクスウェル辺境伯領に帰還する日がやってきた。
帰路は馬ではなく、ベルト・スフィンクスが用意してくれた馬車を使うことになった。豪奢な装飾が施された馬車には俺の隣にサクヤ、正面にネフェルティナが腰を下ろしている。
周りには護衛の兵士が居並んでおり、彼らの中には俺が配下とした冒険者達も混ざっている。もともと、スフィンクス家からの報奨金が目当てで西方辺境へと集まってきた彼らは、そのまま俺に雇われてマクスウェル家へと仕官することになっていた。
(せっかく使えるように鍛えたんだ。今さら、手放すのも惜しいからな)
そして、出発の時間がやってきた。
領都テーベの城門まで見送りにやってきたのはなぜかナーム一人であり、ベルト・スフィンクスやカイロ嬢はいないようだった。
「ディンギルさま、本当にありがとうございました」
馬車に乗り込み、窓から顔を出した俺に向けてナームが頭を下げた。俺は右手を上げて笑顔で応える。
「ああ、ナームちゃん。わざわざ見送りにきてくれて悪いな」
「いいえ、とんでもないです! ディンギルさまは私のために遥々来てくれたんですから、お見送りするのは当然です!」
ナームが慌てたようにわたわたと両手を振った。
今日のナームは白いドレスを身にまとっている。清楚なドレスに包まれたナームの姿はまるで花の妖精のように可憐であったが、なぜかそのドレスはサイズがダボダボで裾が地面に擦ってしまっており、衣装に着られているような雰囲気がある。
(ミスト嬢に借りたのかね? わざわざ俺を見送るためにオシャレしてくれるとは泣かせるじゃねえか)
俺は苦笑をしつつ、馬車の窓から手を伸ばして金色の髪を撫でた。
「あ・・・」
ナームは気持ちよさそうに目を細めて俺の手を受け入れ、花がほころぶような笑顔になった。
「俺だってこの戦いで得る物はあった。だから、別に気にしなくていいんだぜ?」
「はい・・・そんなあなただから・・・」
「ん? 俺がどうしたって」
「いいえ・・・今はやめておきます」
ナームは頭に乗った俺の手をつかんで顔を寄せ、猫が匂いをつけるように頬ずりをする。
褐色のナームのほっぺたは子供らしくプニプニとしており、なんとも心地の良い感触である。
(女の胸や尻とは違う柔らかさだ。これはこれで悪くないじゃねえか。将来有望だよな、まったく)
きっとこの少女は、数年もすればとびきりの美女になるのだろう。俺は食べ頃に成長したナームの姿を思い浮かべ、ふう、と嘆息した。
(いったい、この子はどんな男と結ばれるんだろうな? というか、ナームちゃんに夫や彼氏ができたら、俺は自分を抑えることができるのかね?)
この小動物のように愛らしい少女が他の男のものになるのを想像すると、ぐつぐつとハラワタが煮えてしまう。
(相手の男を斬らずにいられる自信がねえな。はっ・・・バロン先輩を笑えない。俺だってシスコンじゃねえか)
「またお手紙を出しますから。どうかお元気で、ディンギルさま」
俺が未来の恋人を殺害する計画を練っているとは思っていないのだろう、ナームは穏やかに目元を緩めて言ってくる。
「あー・・・ナームちゃんも息災でな。また会える日を楽しみにしているよ」
「そのときは、とびきり美人になって驚かせてあげます!」
「ははは、そいつは楽しみだ」
俺はポンポンとナームの頭を軽くたたき、馬車の中へと手を引っ込めた。
自分の決意を軽い口調で流されて腹が立ったのだろう、ナームが頬を膨らませる。
「むう・・・信じてないですね! 本当に、驚くような美人になりますからね!」
「ちゃんと信じてるって。俺が押し倒したくなるような美人なってくれたら、なんだっていうこと聞いてやるよ」
「あ、言いましたね! 本当に、お願いを聞いてもらいますよ!」
ナームが両手を天へと突き上げて憤然と決意の言葉を叩きつける。
微笑ましい少女の姿に和んでいると、隣のサクヤが指先で俺の服を引っ張った。
「ディンギル様、そろそろ・・・」
「ん、ああ。そうだな・・・」
名残は尽きないが、いい加減に出発しないと日暮れまでに途上の町までたどり着くことができなくなってしまう。
「それじゃあ、しばしの別れだ。お父上によろしく」
「はい、本当にありがとうございました・・・ディンギルさま」
深々とお辞儀をするナーム。俺は御者に命じて馬車を出発させる。
かつて銀の光をまとって駆け抜けた道を、馬車がゆっくりと進んでいく。テーベの都が徐々に徐々に遠ざかっていく。
「ディンギルさま!」
「ん・・・?」
馬車の窓を閉めようとしていた俺だったが、遠くから聞こえてきたナームの声に手を止めた。
「絶対に、本当に美人になりますから! ディンギルさまに振り向いてもらえるような、ミスト義姉さんよりもきれいになりますから!」
「わかってるって。まったく、あの子は・・・」
俺は苦笑をしながら窓からもう一度顔を出し、すでに遠く離れてしまったナームの姿を振り返る。
「・・・・・・はあ?」
そして、思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
領都テーベの門扉の前に立ってこちらに手を振っているナーム。
いや、あれは本当にナームなのだろうか?
「ほら! 次に会う時にはこれくらい美人になりますから! そのときは、お婿さんになってもらいますからね!」
「は・・・はは・・・・・・」
そこに立っていたのは、一年前の王都武術大会の折に助けた美女だった。女性は先ほどナームが着ていたのと同じ白いドレスを着ている。
「そういう、ことか・・・道理で探したって見つからないわけだ・・・」
俺は乾いた笑みを浮かべながら右手で頭を覆い、ゆっくりと首を横に振った。
ああ、本当に。
どうやってあんな成長したのかさっぱりわからないが、たしかに押し倒したくなるような美女である。
「してやられたぜ・・・まんまとやられたよ・・・」
やがてナームが見えなくなるほど遠ざかると、俺はどっかりと座り、頭を抱えてうなだれる。
「負けた。降参だ・・・ナームちゃん」
ベナミス・セイバールーンを取り逃がしたとき以上の激しい敗北感。
もはやあの子を子ども扱いなどできるわけがない。この俺を手玉に取ってくれた娘が、子供などであるものか。
「君は立派な女だよ・・・ああ、次に会ったときは女として扱ってやろうじゃないか。本気で口説いて、押し倒してやるよ」
俺は静かに決意を固めて、長く長く息を吐きだした。
乾いた風が開けっ放しの窓から吹き込んできて、俺の髪をかき上げてくる。
こうして――西方辺境をめぐる戦いに終止符が打たれ、一つの冒険の幕が下りた。
今回、俺を追い詰めた最大の好敵手は邪神でもなければ、ベナミスでもない。
ナーム・スフィンクスという、一人の少女なのであった。
帰路は馬ではなく、ベルト・スフィンクスが用意してくれた馬車を使うことになった。豪奢な装飾が施された馬車には俺の隣にサクヤ、正面にネフェルティナが腰を下ろしている。
周りには護衛の兵士が居並んでおり、彼らの中には俺が配下とした冒険者達も混ざっている。もともと、スフィンクス家からの報奨金が目当てで西方辺境へと集まってきた彼らは、そのまま俺に雇われてマクスウェル家へと仕官することになっていた。
(せっかく使えるように鍛えたんだ。今さら、手放すのも惜しいからな)
そして、出発の時間がやってきた。
領都テーベの城門まで見送りにやってきたのはなぜかナーム一人であり、ベルト・スフィンクスやカイロ嬢はいないようだった。
「ディンギルさま、本当にありがとうございました」
馬車に乗り込み、窓から顔を出した俺に向けてナームが頭を下げた。俺は右手を上げて笑顔で応える。
「ああ、ナームちゃん。わざわざ見送りにきてくれて悪いな」
「いいえ、とんでもないです! ディンギルさまは私のために遥々来てくれたんですから、お見送りするのは当然です!」
ナームが慌てたようにわたわたと両手を振った。
今日のナームは白いドレスを身にまとっている。清楚なドレスに包まれたナームの姿はまるで花の妖精のように可憐であったが、なぜかそのドレスはサイズがダボダボで裾が地面に擦ってしまっており、衣装に着られているような雰囲気がある。
(ミスト嬢に借りたのかね? わざわざ俺を見送るためにオシャレしてくれるとは泣かせるじゃねえか)
俺は苦笑をしつつ、馬車の窓から手を伸ばして金色の髪を撫でた。
「あ・・・」
ナームは気持ちよさそうに目を細めて俺の手を受け入れ、花がほころぶような笑顔になった。
「俺だってこの戦いで得る物はあった。だから、別に気にしなくていいんだぜ?」
「はい・・・そんなあなただから・・・」
「ん? 俺がどうしたって」
「いいえ・・・今はやめておきます」
ナームは頭に乗った俺の手をつかんで顔を寄せ、猫が匂いをつけるように頬ずりをする。
褐色のナームのほっぺたは子供らしくプニプニとしており、なんとも心地の良い感触である。
(女の胸や尻とは違う柔らかさだ。これはこれで悪くないじゃねえか。将来有望だよな、まったく)
きっとこの少女は、数年もすればとびきりの美女になるのだろう。俺は食べ頃に成長したナームの姿を思い浮かべ、ふう、と嘆息した。
(いったい、この子はどんな男と結ばれるんだろうな? というか、ナームちゃんに夫や彼氏ができたら、俺は自分を抑えることができるのかね?)
この小動物のように愛らしい少女が他の男のものになるのを想像すると、ぐつぐつとハラワタが煮えてしまう。
(相手の男を斬らずにいられる自信がねえな。はっ・・・バロン先輩を笑えない。俺だってシスコンじゃねえか)
「またお手紙を出しますから。どうかお元気で、ディンギルさま」
俺が未来の恋人を殺害する計画を練っているとは思っていないのだろう、ナームは穏やかに目元を緩めて言ってくる。
「あー・・・ナームちゃんも息災でな。また会える日を楽しみにしているよ」
「そのときは、とびきり美人になって驚かせてあげます!」
「ははは、そいつは楽しみだ」
俺はポンポンとナームの頭を軽くたたき、馬車の中へと手を引っ込めた。
自分の決意を軽い口調で流されて腹が立ったのだろう、ナームが頬を膨らませる。
「むう・・・信じてないですね! 本当に、驚くような美人になりますからね!」
「ちゃんと信じてるって。俺が押し倒したくなるような美人なってくれたら、なんだっていうこと聞いてやるよ」
「あ、言いましたね! 本当に、お願いを聞いてもらいますよ!」
ナームが両手を天へと突き上げて憤然と決意の言葉を叩きつける。
微笑ましい少女の姿に和んでいると、隣のサクヤが指先で俺の服を引っ張った。
「ディンギル様、そろそろ・・・」
「ん、ああ。そうだな・・・」
名残は尽きないが、いい加減に出発しないと日暮れまでに途上の町までたどり着くことができなくなってしまう。
「それじゃあ、しばしの別れだ。お父上によろしく」
「はい、本当にありがとうございました・・・ディンギルさま」
深々とお辞儀をするナーム。俺は御者に命じて馬車を出発させる。
かつて銀の光をまとって駆け抜けた道を、馬車がゆっくりと進んでいく。テーベの都が徐々に徐々に遠ざかっていく。
「ディンギルさま!」
「ん・・・?」
馬車の窓を閉めようとしていた俺だったが、遠くから聞こえてきたナームの声に手を止めた。
「絶対に、本当に美人になりますから! ディンギルさまに振り向いてもらえるような、ミスト義姉さんよりもきれいになりますから!」
「わかってるって。まったく、あの子は・・・」
俺は苦笑をしながら窓からもう一度顔を出し、すでに遠く離れてしまったナームの姿を振り返る。
「・・・・・・はあ?」
そして、思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
領都テーベの門扉の前に立ってこちらに手を振っているナーム。
いや、あれは本当にナームなのだろうか?
「ほら! 次に会う時にはこれくらい美人になりますから! そのときは、お婿さんになってもらいますからね!」
「は・・・はは・・・・・・」
そこに立っていたのは、一年前の王都武術大会の折に助けた美女だった。女性は先ほどナームが着ていたのと同じ白いドレスを着ている。
「そういう、ことか・・・道理で探したって見つからないわけだ・・・」
俺は乾いた笑みを浮かべながら右手で頭を覆い、ゆっくりと首を横に振った。
ああ、本当に。
どうやってあんな成長したのかさっぱりわからないが、たしかに押し倒したくなるような美女である。
「してやられたぜ・・・まんまとやられたよ・・・」
やがてナームが見えなくなるほど遠ざかると、俺はどっかりと座り、頭を抱えてうなだれる。
「負けた。降参だ・・・ナームちゃん」
ベナミス・セイバールーンを取り逃がしたとき以上の激しい敗北感。
もはやあの子を子ども扱いなどできるわけがない。この俺を手玉に取ってくれた娘が、子供などであるものか。
「君は立派な女だよ・・・ああ、次に会ったときは女として扱ってやろうじゃないか。本気で口説いて、押し倒してやるよ」
俺は静かに決意を固めて、長く長く息を吐きだした。
乾いた風が開けっ放しの窓から吹き込んできて、俺の髪をかき上げてくる。
こうして――西方辺境をめぐる戦いに終止符が打たれ、一つの冒険の幕が下りた。
今回、俺を追い詰めた最大の好敵手は邪神でもなければ、ベナミスでもない。
ナーム・スフィンクスという、一人の少女なのであった。
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