上 下
294 / 317
幕間 花咲く乙女

西方の向日葵⑦

しおりを挟む

side ナーム・スフィンクス

 天幕を出ようとした私は、見覚えのある男とぶつかりそうになった。

「あら?」

「おっと!」

 ぶつかりそうになった男の顔を見て、思わず顔が引きつりそうになる。
 その男は討伐部隊の指揮官であり、私の剣の師であるサイード・カイロであった。

「ごめんなさい、失礼しました」

「ああ、こちらこそすまない。おじょうさ・・・」

 私は軽く頭を下げて、そそくさとその場を立ち去る。
 いかに指輪で姿を変えているとはいえ、相手は私の剣の師匠。父の配下の中でも最強の一人であり、兄に剣を教えた人物である。
 戦士の直感かなにかで気づかれないとも限らない。
 慌ててその場を離れる私の背に、サイードの視線が突き刺さってくるのがわかった。

(ううっ・・・見てる、先生にバレちゃう!)

 私の背中にぶわっと冷たいものが噴き出した。先ほど、天幕の中で見せた大立ち回りとは打って変わって、不安の影が心に差してくる。
 幸いなことにサイードから呼び止められることはなく、私はその場を離れることに成功した。
 別の天幕の影に隠れて、大きく息を吐きだした。

「ハアッ・・・! き、緊張したあ・・・!」

【未来天人】を装着している間は別人のように気が大きくなる。それでも、根っこの部分は内気で臆病なナーム・スフィンクスのままである。
 予想外の師匠との対面は、精神を細く削るには十分な要因だった。

「うう・・・いけない、こんなことで動揺していたら、戦いどころじゃなくなっちゃう!」

 私が屋敷を抜け出して、わざわざこんな山間までやって来たのは、魔物との実戦経験を重ねることで成長して、ディンギルさまに少しでも近づくためである。
 まだ戦いも始まっていないというのに正体がバレて、屋敷に送り戻されたら本末転倒である。

「気を引き締めないと・・・! これも修行。ディンギルさまのところに行くための試練なんだから!」

 私は改めてむんっと両手に握りこぶしをつくり、天に向けて突き上げる。
 不世出の英雄であるディンギル・マクスウェルという人物の隣に立つというのならば、か弱いナーム・スフィンクスではいられない。
 修羅場の一つや二つを乗り越えて見せなければ、愛しい殿方とともに歩む資格などない!

(そうだ、負けない! 絶対に勝って、もっともっと成長するんだから・・・あれ?)

 決意を込めて北の空を睨みつけた私だったが、そこに広がる異変に気がついて目を見開く。

 青い空には白い雲が魚のように泳いでいる。
 しかし、その雲にはあちこちに虫が喰ったような黒い点々があったのだ。
 黒点は次第に数を増していき、やがて空が黒く染まっていく。

「あ・・・!」

「敵襲! 敵襲だぞおおおおおっ!」

 私がその正体に気がつくのと、物見の兵士が声を張り上げるのは同時のことだった。
 カンカンと甲高い警鐘が鳴らされて、あちこちから兵士の怒号が響いていく。

「魔物の襲撃だ! あっちから来やがった!」

「すごい数だぞ! すぐに武器を用意しろ!」

「至急、火を起こせ! 昆虫型の魔物の弱点は・・・ぐぎゃあっ!?」

 松明に火を点そうとした兵士の首筋に、恐るべき速さで陣地に突っ込んできた甲虫が食らいつく。
 冗談のように大量の血しぶきが高々と天に上がり、真っ赤な水柱が戦いの始まりを告げたのであった。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

朝靄に立つ牝犬

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:142pt お気に入り:2

秘密宴会

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:106pt お気に入り:8

雑多掌編集v2 ~沼米 さくらの徒然なる倉庫~

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:653pt お気に入り:6

妹の妊娠と未来への絆

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,358pt お気に入り:28

私が王女です

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:30,856pt お気に入り:327

妹にあげるわ。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:133,005pt お気に入り:4,488

妹に婚約者を奪われたけど、婚約者の兄に拾われて幸せになる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:525pt お気に入り:342

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。