影武者として生きるなら

のーが

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第6話

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 久川は四人家族でも広々と過ごせそうな二階建ての一軒家に住んでいた。母親は存命との話だったが、里にはいない。数年前に里を出て以来、生きているのか死んでいるのかさえ知らず、興味も無いと久川は語った。幼稚園で一緒だっただけの古い友達を語るように、本当に関心のない様子だった。 
 父親は影武者として責務を果たし、世を去っている。だから久川は広い家に一人暮らしで、そんな生活がもう二年も続いている。学校に行かなくなったのはもっと昔で、中学二年生に上がった頃に退学を決めた。身代わりとしての一生を義務付けられていても、退学を希望する生徒は稀だ。いずれ誰かのために死ぬ影武者にとって、学校は数少ない自分のために生きられる場所なのだ。 
 好き勝手な生き方もまた自分のための選択かもしれない。しかし勝手に生きるとは、孤独を選ぶこと。限られた生を寂しく過ごすのはむなしく、それよりは共に使命をまっとうとする同志とひとつでも多くの思い出を作りたいと願うほうが楽しい。そう考える人が多いから、学校を辞めようなんて決断をする生徒は二年か三年にひとりいるか、いないかだ。もっとも、影武者となる学生自体、現在では四十人程度しかいない。 

「どうして学校に行かないんですか――そう訊くのはもう少し仲を深めてからにしようと考えていましたが、そこまで話しづらい理由ではなさそうですね。誤解であれば改めますが、教えていただけませんか?」 
「べっつにぃ? 学校なんて頭が良くなるわけでもないし、良くなったってあーしらに賢さなんていらないじゃん? ふつーに働いてお金を稼ぐわけでもないし、生きてるだけで給料をもらえて、その代わりに命を差し出すだけだし。なのに、どうして学校なんかに行かなきゃいけないんって思うじゃん?」 

 かつて家族で暮らしていた事実を物語る四人掛けのダイニングテーブル。右奥に腰を下ろしていた久川が、渦巻き模様のグラスに注いだ麦茶をカクテルのように回す。数年どころじゃなく、もっと古い記憶を久しぶりに語るかのような感慨深さが、彼女の声色に滲んでいた。 

「正論ですね。学校なんてクソです。クソと席を並べて点取り合戦をした末に、クソ具合を評価される。クソがごまをすって、クソが喜ぶ。クソが腐ってもクソは見ないフリで、クソが卒業したらまたクソが入学する繰り返し。クソを教える人間もまた成長したクソなのが学校ですし」 
「いや言いすぎだし引くし口悪いし! キフユってそんな極端な学校嫌いだったの!?」 
「いいえ、学校は好きですよ」 

 真顔で怒涛の悪罵を放った落葉は一転して柔和な笑みを見せる。久川の片方の頬が引きつる。 

「楓さんが芝居じみた様子で冗談っぽく話しましたから、ボクも便乗してみました。本音を言えば、学校は好きですよ」 

 ですが、と落葉は付け足す。 

「ボクは学校にマトモに通っていませんでしたから、学生を経験しての感想ではありません。好きというのは、客観的な感想ですね」 
「へぇ……てか、冗談ならわかりやすく言ってほしいね。さっきのキフユ、嘘を言ってる感じじゃなかったし」 
「今後、注意します。貴重なご指摘に感謝です」 

 今度はおどけた様子で落葉は言った。久川との雰囲気が和む。 
 久川はグラスに注いだ麦茶を一息で飲み干した。対面に座る落葉も、用意された色違いの柄のグラスを口に運ぶ。 
 空になった自分のグラスに、久川は目を落とした。 

「学校に行きたくなかったわけじゃないよ」 
「行きたくても行けない事情があったのですか?」 
「違う違う。選んだんだよ、学校には行かないでおこうって」 
「一人でいたほうが、楓さんにとっては良いと?」 
「ん、そんなとこ」 

 久川はふぅと一息ついた。 
 それで終わり。これ以上は喋るつもりがないのだと落葉は解釈した。続きを聞くには、彼女ともっと親しくなり、信用してもらう必要があるのだろう。つまり、彼女にとって大事な要素が絡む話なのだ。 

「だってさ、ずっと一人のほうが楽じゃん?」 

 落葉の解釈は的外れだった。久川はただ、気持ちを整えていたに過ぎなかった。今日会ったばかりでも、落葉は充分に信頼できる。喋る前に気合をいれたかっただけ。 
 落葉は気を引き締める。相手が強い気持ちをのせるなら、相応の態度で迎えなければ得たばかりの信頼を失いかねない。鉄が熱しやすく冷めやすいように、お互いの信頼もまた熱い内に形にしなければ回り道をする羽目になる。 

「久川さんに反対するわけではありませんが、大勢でいたほうが楽しい場合は多いと思いますよ。なにより、大勢で過ごす時間は貴重です。社会人になると、何十人かの集団で同じ方向を見て進む機会はほとんどなくなりますからね」 
「経験を積むって考えればさ、あーしだって学校に行くべきって思うよ。けどさ、あーしはみんなでいるのが嫌だったわけ」 
「楽しく過ごしてきた、あるいは過ごせると想像できるのに?」 
「その『楽しく過ごす』が一番無理なの」 

 わからない。学校に対して大きな負の感情を抱いているのなら落葉も多少は理解してあげられる。虐められたとか、勉強ができなくて苦痛とか、教師や生徒と一緒にいたくない、なんて理由を素直に言ってくれたなら、落葉は多くを語ってもらわずとも彼女を理解してあげられた。 
 久川は学校を楽しい場所だと言った。楽しいのに、行きたくない。どうして?  
 合点がいかず眉根を寄せる落葉に気づき、久川は笑う。 

「変な顔。あーしの昔の友達も、いつもは明るく振舞ってるのに、たまに考えなきゃいけないことがあるとキフユみたいに難しい顔をよくしてたなぁ」 

 自然とこぼれた笑顔は、古い記憶にある友人を思い出したから。自分の辿る運命も知らず、純真無垢でいられた頃の楽しいばかりの日々。その頃は、彼女も他の子供達と同じように毎日楽しく学校に通っていた。 
 落葉の頭のなかに、まだ語られていない彼女の決意が文字の羅列として浮かぶ。 

「楽しいって知ってるからさ、行きたくないんじゃん」 

 それは、とてつもなく残酷なこと。 

「あーしは長生きなんて無理じゃん? 誰かと仲良くなったってすぐに別れなきゃなんない。だったら、ずっと一人でいい。一人なら悲しまないし、悲しませなくて済む」 

 久川はつらい選択をしたのだ。影武者として生きる決意が揺るがないために。 
 一人で生きたほうが気楽でいいと、本心からそう言う人はいる。けれど久川はその系統の人ではない。そうであれば『一人なら悲しまない』なんて感想が出るはずがない。 

「久川さんの考え方も、正しいのかもしれませんね」 

 今の落葉には、複雑な事情を抱える教え子が考え抜いた結論を、納得できないまま肯定してあげることしかできなかった。 
 正しさとは残酷だ。改めて落葉はそう感じた。 
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