影武者として生きるなら

のーが

文字の大きさ
15 / 37

第14話

しおりを挟む
 『タロウはあーしのこと嫌いなんだって』 

 自動車の往来も少なく、落葉以外に歩行者が見当たらない平日の昼前。紫外線の暑さを感じながら歩く彼の耳には、久川の声が張り付いている。 
 春久は久川を嫌っている。春久は命を落とすかもしれない仕事の前日にわざわざ彼女に会いに来た。その行動のどこに、嫌いなんて感情が介在する余地があるというのだ。 
 どういうつもりで彼女を嫌っているなんて告白をしたのか。落葉のなかに答えがあるはずもなく、行き場のない疑問は宙を漂うばかり。 

 なぜ? 

 管理者側が欲しているのは彼女の恋人だ。彼女にとっても急に現れた異性より、同じ立場として色んな感情を共有した彼のほうが好感を持てるはず。相手が落葉である必要性なんて微塵もない。久川に付き合いのある異性がいる事実を、天音は一度も落葉に話さなかった。あえて隠しているように感じたから、密かに落葉は尋ねたのだ。既に結婚候補がいるなら、自分を里に連れてきた理由は別にある。そう考えていたのに、落葉の予想は全くの見当違いだった。 
 やはり自分を連れてきた理由が結婚候補だとしても、なぜ春久について事前に共有しなかったのか知りたい。はぐらかされるかもしれないが、それはそれでいい。また新たな疑念が生まれるから、次はそこから切り込める。 
 思考に老ける落葉の視界の左端に、里で唯一の学校が見えた。建物を囲う最近塗り直したらしい灰色の金網が側溝に沿って続いているが、子供でも昇れる高さしかなく、侵入防止というよりボールの類の道路への飛び出し防止を目的としているようだ。校庭に子供の姿はない。遠目に見ても老けている二人の男女が、校舎のそばの花壇で談笑していた。 
 足を止めずに三階建ての校舎を眺める。一階と二階の教室の窓に、生徒達の横顔を確認できた。表情は朗らかだ。耳を澄ませば笑い声もかすかに聞こえる。 
 正門の奥にある校舎の三階部分に巨大なアナログ時計があった。時刻は九時の手前を示していて、合点がいった。まだ生徒達はホームルームの時間なのだ。だからワイガヤしていても厳しく咎められていない。 

 ――普通の学校だ。 

 生徒数が少なく、小学生中学生高校生が同じ校舎に通っている以外はありきたり。 
 在籍する生徒が誰かの身代わりになって突然来れなくなる。そんな出来事が稀にあるけれども、他に学校生活に特筆すべき点はない。高校三年生になっても進路相談は行われず、誰もが社会での自分の役目を理解している達観した子供ばかりだが、学校にいる間は里の外にいる同年代の子供と変わらない。 
 普通の生徒が通う普通の学校。落葉は正門の前で立ち止まり、門から広がる校庭と校舎、青空を観察する。別段、学校に用があったわけではない。散歩のコースとしてたまたま選んだだけ。 
 たまたま、久川と春久の辞めた学校を見たくなった。 

「何をされているんですか?」 

 斜め後ろから聞こえた声が自分に向けられているとわかり、思わず落葉は苦笑する。おそらく不審者だと思われたのだ。学校の前なんかをうろついていたから。 
 振り返ると華奢な女性が訝しげな眼差しを向けていた。落葉のように派手ではないが、パンツスタイルのスーツを着込んでいる。ジャケットまで着ているあたりも格好が一致していた。紫外線の熱が落葉の額に汗を滲ませているように、その女性もまた生え際がじんわりと湿っている。 

「警察の方ですか?」 

 それほど不思議な確認ではないはずだが、女性は不可解な様子で首を傾げた。 

「ここには警察なんていませんよ」 

 言った直後に閃いたらしく、女性は少し間抜けな表情を見せる。 

「もしかして柊落葉さんですか? 一週間前に入った」 
「ああ……つまり、あなたも管理者なんですね」 

 視線に混ざっていた敵意を取り除き、女性は相槌を打つ。 

「高井といいます。柊さんは久川さんのサポートを担当されているんでしたよね?」 
「ええ、そうです。一週間も経つのに自宅と彼女の家の周りと商業区以外はほとんど歩いていなかったので、少し散歩のお時間をいただいて見て回っているんですよ」 
「熱心なんですね」 

 嫌味のある言い方にも聞こえそうだが、感情が篭っていなかった。こう言われたら、こう答える。まるで機械のような無機質な声色で、落葉には彼女の心境が掴めない。 

「高井さんはここで何をされているんですか?」 
「警備です。里には警察がいないから、治安を守るのも管理者の仕事だと説明を受けませんでしたか?」 
「そういえば初日に聞きました。いけませんね。先ほどの確認は癖というか、これまでの常識だと学校の前で声をかける人は大抵警察だと思い込んでいましたので」 
「慣れるまではもう少し時間がかかりそうですね。ここは特殊ですから」 
「高井さんはパトロールを?」 
「いえ、私の仕事は〝ソコ〟の見張りです」 

 顎で示された場所には変哲のない一軒家が建っている。学校の金網とは道路を隔てた反対側だ。広い庭は芝生で埋め尽くされ、植物を育てているわけでもなければ、子供のための遊具が置かれてもいない。二階建ての住居は外観も新築と遜色なく、人が住んでいる気配が希薄だ。 

「見張りが必要なほど大事なものでもあるんですか?」 
「考えてみてください。私たちにとって大事なものは一つだけのはずです」 
「一つ……であれば、そのなかに?」 
「いまは誰もいません」 

 感情が希薄なのに、含みを持たせて質問を誘う会話の運び方にチグハグさを感じる。喋りづらい相手だ。落葉は早々に失礼したかった。反面、彼女から知らない情報を聞き出したい欲も捨てきれない。 
 影武者を閉じ込める制度があるなど、落葉には初耳だった。 

「そういうことですか。高井さんのおかげで、謎がひとつ解けました」 
「謎といいますと?」 
「里のなかって外の世界とは違うことが多いじゃないですか。警察だっていないわけですし。でも、ボクにとって一番わからなかったのは影武者関係です。依頼があれば命を差し出す覚悟を誰もが持っています。それはいいでしょう。未来があるべき子供たちに役目を押し付けてしまう心苦しさはありますが、立派な生き方だとも感じます」 

 ですが、と落葉は一呼吸を置く。 

「いくら素晴らしく価値のある命の使い方と説いても、納得できずに逃げ出してしまう人がいてもおかしくはありません。むしろ自然です。何百年も綿々と受け継がれてきた影武者の歴史の一部――この時代においても、数十人も影武者がいれば一人くらいは反旗を翻しそうなものです。なのに、脱走した人を、あるいは脱走しようとして失敗した人をどうするかは聞いていませんでした」 
「そうでしたか。ですが、おわかりでしょう?」 
「ええ、そうですね」 

 落葉が喋り終える寸前、脱走者を閉じ込める牢屋の玄関が開いた。 
 『いまは誰もいない』とは嘘だったのか。反射的に生まれた疑念は、しかし一瞬で消え失せた。 
 建物から出てきたのは影武者ではなかった。ネクタイを首元まで絞めた真面目そうな男だ。年齢は三十過ぎくらいか。多くのストレスを乗り越えてきた顔つきだった。きっと真面目だから、人より苦労が多いのだ。その事実を知っても、真面目であるがゆえに生き方は変えられない。そんなことを日常的に懊悩していそうな男は、やはり落葉の同僚であった。 

「柊落葉さんですね」 

 名乗ってもいないのに名前を知られていても、もはや驚きはしない。落葉は相手の名前を知らないが、興味もない。彼の名前を知って利益があるわけでもない。 

「そうですが、なにか?」 
「お知らせしておきたいことが。私も今しがた天音さんからの電話で知ったんですが、庭先に柊さんがいるから知らせてやれと言われまして」 

 首を回して、付近の電柱に視線を巡らす。電線より少し低い位置に太陽光を反射するレンズを見つけ、落葉は事情を察した。脱走者を監禁する場所ならば監視カメラぐらい置くものだ。いまもまだ、天音はカメラが中継する映像越しに見ているかもしれない。 
 注意だろうか。あまり久川のそばを離れるな、妙なことを吹き込むなよ、とか。それとも落葉がどこにいるかを把握していると脅したいのか。もしも怪しい行動をとれば、然るべく対処できると。であれば、注意ではなく警告か。 

「春久小太郎さんが、派遣先の国で亡くなりました」 

 あまりに見当違いの想像を巡らせていたせいで、男の報告を理解するまでに五秒ほど要した。虫の羽音や風の吹く音、遠くで子供が騒ぐ声がごちゃまぜになった雑音にしか聞こえなかった男の声を、落葉の脳が五秒間をかけて意味のある言葉に変換した。 
 一週間前に務めを果たすべく出発した春久が亡くなったと言った。 
 久川を嫌っていた彼が死んだと、目の前の男は確かにそう言ったのだ。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

背徳のミラールージュ(母と子 それぞれが年の差恋愛にのめり込んでいく鏡写し)

MisakiNonagase
恋愛
24歳の市役所職員・中村洋平には、自慢の恋人がいた。2歳年上の小学校教師、夏海。誰もが羨む「正解」の幸せの中にいたはずだった。 しかし、50歳になる母・美鈴が21歳の青年・翔吾と恋に落ちたとき、歯車は狂い出す。 ​母の恋路を「不潔だ」と蔑んでいた洋平だったが、気づけば自分もまた、抗えない引力に引き寄せられていた。  その相手は、母の恋人の母親であり、二回りも年上の柳田悦子。 ​純愛か、背徳か。4年付き合った恋人を捨ててまで、なぜ僕は「彼女」を求めてしまうのか。 交差する二組の親子。歪な四角関係の果てに、彼らが見つける愛の形とは――。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

処理中です...