影武者として生きるなら

のーが

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第33話

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 階段をのぼる振動が響く。 
 追いかけることもできた。そうしなかったのは久田の意思を汲んだというより、虚しかったから。隠れて話をしたいなんて、聞かれると都合が悪いと明言しているようなもの。蚊帳の外に追いやられた虚しさで動く気力がなかった。ずっと昔に亡くなった親友との再会で気持ちが疲れてもいた。 
 ぺたんと床に座りこみ、壁にもたれる。上の階でふたりは何を話しているのだろう。予想しようとして、すぐにやめた。囚われのお姫様の自分は余計なことなんて知らないほうがいい。知らないほうが良いから、久田もわざわざ天音を別室に連れていったのだ。 
 これからどうなるのだろう。そう思って頭を回転させたつもりなのに、記憶は久田が影武者の役目を果たすべく里を出た日に飛んでいた。 

 あのときから計画が始まっていた。母親と結託して、久川を影武者の運命から救う計画を当時十二歳の久田が立てた。久川の代わりになったのも計画遂行のためだった。元から救ってもらったのだとわかっていたが、先延ばしにしかならないと考えていたから、久川はどうにかして影武者の役目から逃げられないかを考えなかった。春久に扇動されてもなお、逃げようと思えなかった。どうしたら立派に務めを果たせるか。どうしたら命を救ってもらった久田に恥じない死に方ができるか。久川は自分の番が来る日を待ち続け、そのときが訪れた。 
 記憶は現在に繋がる。檻と呼ぶには充実した部屋。生活を送るには貧相な部屋。ここで二週間を過ごして、明日命を捧げる片道切符を渡されるはずだった。覚悟はできていた。覚悟ではなく諦めと指摘されれば首を横に振れずとも、影武者としての責務を遂行する心構えは固まっていた。 
 その矢先の出来事。せっかく作り上げた気持ちが揺らいでいる。 

 もしかしたら助かるのかもしれない。 
 死にたくない。死にたいと思えれば楽なのに、まだ生に固執してしまう。 
 本当に、お姫様だ。差し伸べられた手をとるだけで何もしない。けれど久田の邪魔はしたくない。もしも生きられるなら、また親友と一緒にいられるなら、やりたいことも話したいことも山ほどある。いまはお姫様でも、いつかは王子様になってみせよう。静かな決意に、活力が僅かばかり蘇った気がした。 
 階段をおりる足音が二人分聞こえる。もたれていた背中を起こして、座ったまま久川は廊下のほうに注目する。先に現れたのは天音だった。彼は久川に近寄らず、部屋に入るなり脇に退いた。後続の久田に道を譲るように。 
 ほんの五分ばかりの時間だったはずなのに、続く久田の顔をまたも懐かしく感じた。 

「早かったね」 
「そうでしょうか。緊張していたので時間の感覚がおぼろげでした」 
「それで、このあとはどうするの?」 

 久田は天音の表情を窺った。 
 なぜか、天音は悲しげな顔をしていた。威厳の名残すらなく、細めた目で久田を見据える。嗚咽が漏れそうな表情のまま、ゆっくりと頷いた。彼の反応を見届けた久田が、久川に向き直る。 

「立ってください。ここを出ます」 

 何を言われているか理解できるまで、十秒くらいの時間がかかった。 

  ◆

 嘘のような展開だった。久川が立ち上がるなり天音が玄関に向かい、一言も発することなく二枚の鉄格子の錠を外した。感謝を述べてくぐる久田に、わけもわからぬまま久川は続いた。 
 二週間ぶりの外の世界。夜空は晴れ渡り、星が散らばる。辺りに街灯は少なくても、月の明かりで歩いていけるくらいに。 
 でも、どこに歩いていく? どうして歩いてゆける? 

「役所には連絡をいれた。詳しい説明はこれからだがな」 
「そこにいる加藤さんにも、事情を説明しなくてはなりませんね」 

 檻を囲う壁の一角に、両手両足を縛られたうえ口をガムテープで塞がれた男が座っていた。彼の瞳は見下ろす天音を捉えたり、久川を捉えたりと右往左往する。久田が何者なのかは理解できておらず、視線だけで上司に疑念を訴える。 
 自動車のエンジン音が閑静な夜を割きながら近づいてきた。音が止むと、檻の入口には一台の車。暗くて車体の色は判然としない。誰も座っていない後部座席のドアが開いた。 
 天音は束縛された加藤の後ろに手を回して無理やりに立たせた。塞がれた口をもごもごとさせるが言葉になっていない。 

「あとで説明するから、黙っていてくれ」 

 上司の一声で加藤はおとなしくなった。従順な犬だ。警察に捕まった犯罪者のように背中を押され、縛られた足ながら巧みに歩いて後部座席に乗り込む。両手を使えない彼に代わってドアを閉めてやった天音が振り向いた。 

「迎えが必要なら手配するが?」 
「ボクたちは大通りを歩いてゲートにいきます。最後ですからね。道中で捕まらないよう、管理者の皆さんに抜かりなく連絡をお願いします」 

 ふたりは何事かを承知し合っている。天音はふたりの脱走を見逃すつもりのようだ。 
 何もかもありえない展開で、やはり久川は蚊帳の外だった。管理者に捕らえられていた久川の脱走を管理者のトップが容認するなんて。その交渉をした人物が、数年前に亡くなったはずの親友だなんて。 
 当惑する久川の前に天音が立った。 

「どうして見逃してくれる気になったの?」 
「初めから俺だって久川くんを犠牲にしたくはなかった。できることなら誰かの代わりとして命を捧げてほしくはなかった。だが不可能だから諦めていたが、久田くんの介入で覆った。嬉しいことだよ、その点に関してはね」 

 久川がちらりと横目で久田を見る。 

「碧ちゃんと何を話したの?」 
「俺の口から話す内容じゃない。本人から教えてもらいなさい。さて、君と話すのはこれが最後かもしれないな」 
「里を出てからも監視するんでしょ?」 
「その点も久田くんが話してくれるだろう。これで君は自由になる。皮肉と受け取ってほしくないのだが、幸せな暮らしができることを祈っているよ」 

 今生の別れにしては簡素な台詞だった。天音は助手席のドアを開け、乗る前に久田を見据えた。特別な意思の込められた眼差しを受け取り、久田は頭を下げた。 
 天音が乗ると車は役所の方角に去った。 
 遠くで虫の鳴く音がやけに大きく聞こえる。やがて排気音も聞えなくなって、辺りは静まり返った。 

「いきましょう、楓ちゃん」 

 昔のように名前を呼んで歩き出した久田の隣に、嬉しさと戸惑いがごちゃ混ぜになった感情を抱える久川が慌てて並ぶ。 
 影武者として過ごす時間が、終わろうとしていた。 
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