官能霊媒師は朗読で祓う

あしゅ太郎

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愛の呪いを超えてゆけ(3)

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12月25日、昼下がり。
冷え込む風にコートの襟を立てながら、黒川は不機嫌そうに口をへの字に曲げていた。

「……あのさ、よりによってラブホ跡地とか、ほんとふざけてんのかって話ですよ」
ぶつぶつと呟きながら、階段を一段登るごとに軽く顔をしかめる。

「……腰、痛むのか?」
後ろからついてきた因幡が、わざとらしく心配そうな声を出す。

「ッ……ちげーし、昨日のあれはちょっと激しすぎただけで……」
思わず口をつぐんだ黒川の耳が赤くなるのを、因幡は愉しげに目で追った。

「何を恥じることがある? 君はとても魅力的だったぞ、あの鏡の中の黒川」

「……先生、マジで黙ってください。てか、ここ仕事なんで」

「そうだな。じゃあ“仕事モード”に切り替えて……」

「──お待たせしました!」

駆け寄ってきた律が、顔をほのかに上気させながら二人に頭を下げた。
その後ろには、いつも通り落ち着いた表情の柚瑠が、手をひらりと振っている。

「律、そんなに急がなくていいぞ。黒川たちも来たばっかみたいだし」

「……あ、えと、でも、今日の依頼、ちゃんとやらないと、ですから……」
珍しく慌てた様子の律に、因幡が小さく首を傾げる。

「……なんか雰囲気違うな。どうした?」

「……あの……実は、昨日……その、柚瑠さんと、付き合うことになりまして……」
ぽそっと口にした律の頬が、一瞬で真っ赤に染まる。

「えっ、マジで?クリスマスイブに告白成功とか、めちゃくちゃリア充じゃん」
黒川が目を見開いて、思わず茶化すように言う。

「まぁな。……律が、ちゃんと“これからも一緒にいたい”って言ってくれたから」
柚瑠はさらっとそう言って、横に並んだ律の肩に軽く手を添えた。

「~~っ、柚瑠さん、あの、そういうの……」
もはや湯気が立ちそうなほどに真っ赤な律に、黒川も思わず「可愛いかよ」と呟く。

「……ま、幸せそうで何よりです」
因幡がくすっと笑った。

廃ホテルのロビーは冷えきっていた。すでに使われていないはずの受付のベルが、誰も触れていないのに「チン」と鳴る。

「……こっちはしばらく前から、地元の心霊スポット扱いです。無断侵入する若者やヤンキーのせいで、建物が荒らされてて……正直、困ってるんですよね」

苦い顔で語る管理人の男性は、壁の落書きを指差した。そこには黒いスプレーで「呪」「呪い殺された女」「別れるホテル」などと乱暴な言葉が走っている。

「聞こえるんです、夜になると女の人の声が。恨めしそうな声で、何かを探してるみたいな……」

「その部屋です」とホテルの管理人が鍵を開けた。

管理人が去った後、因幡は腕を組んで一歩前に出た。

軋む音を立てて開いたドアの奥。
どこか使い古された香水の匂いが残る薄暗い部屋には、大きなダブルベッドと、壁一面を覆うように設置された全身鏡があった。

「……うっわ」
思わず黒川が固まる。

前夜の因幡の手が、唇が、自分の体がどう映っていたか。
脳裏に嫌でもフラッシュバックする映像に、肩をぶるっと震わせて視線を逸らす。

「黒川。さっきから顔赤いぞ?」
にやりと笑う因幡に、黒川は振り返りざま、声を抑えた怒気で返した。

「ほんとマジで、黙っててください……」

一方そのころ、律もまた、鏡の前でぼーっとしていた。

「……律?」
柚瑠が声をかけると、びくっと肩を跳ねさせて振り返る。

「す、すみません!あの、昨日……柚瑠さんが……俺のこと、可愛いって……ああ、もう、なんでもないです……!」

顔を覆ってしゃがみ込む律に、黒川が小さく笑った。

「……お前らも相当甘いな。俺が言うのもなんだけど」

「だな」
因幡が肩をすくめて、薄暗い部屋の中央へと歩き出す。

「じゃ、仕事しようか。――黒川、腰、無理するなよ?」

「……するか、バカ……」

ツンとそっぽを向きながらも、因幡の後ろを追う黒川。
律はというと、柚瑠の隣で落ち着かない手元を何度も服の裾でいじっていた。

---

そして、鏡の向こうにうっすら映る“何か”の気配に、四人の表情が引き締まる。

どこからか微かな女性のすすり泣く声が響いた。

「……誰も……愛してくれないの……」

律がぴたりと動きを止める。瞳が、ゆっくりとガラス窓の外へと向いた。

「……そうだね……いっそ……全部終わらせた方が……」

「律!」

柚瑠が声を張るが、律はふらふらと窓辺へと歩を進めていく。指が窓の鍵にかかり、カチリと音がした。

「律、やめろッ!!」

一瞬の判断で柚瑠が駆け寄り、律の手をぐっと引き戻した。律ははっと我に返る。目にうっすら涙を滲ませながら、柚瑠の胸元にしがみつく。

「ごめんなさい……俺……なんか……変で……っ」

「いいんだ。大丈夫だよ。お前は何も悪くない」

その背後、因幡が小さく咳払いした。

「霊の影響だろうな。どうやらここにいるのは、“不倫の果てに破局した女”のようだ」

因幡が指を鳴らす。室内に一気に重苦しい空気が充満した。鏡の中から、長い黒髪の女の影がにじむように現れた。

「愛される資格なんてなかった……だから……幸せそうな人間は、みんな……壊してやるのよッ!」

「……ふざけんなよ」

黒川が前に出る。顔をしかめながら、拳をぎゅっと握った。

「俺たちは壊れねぇ。こんなもんで壊れるくらいなら、最初から一緒になんてなんねぇんだよ」

「その通りだ」

因幡が静かに頷き、慣れた手つきでコートの内ポケットから一冊の文庫本を取り出した。表紙は擦り切れ、付箋が無数に挟まっている。

「では、今回もこの方法でいこう。官能朗読による除霊――俺の十八番だ」

「またそれかよ……っ!マジで効くのがおかしいんだよな……!」

黒川が呆れ混じりに頭をかきながらも、さっと構えを取る。鏡の向こうで、不気味な女の霊が形をなし始めていた。

> 「“静かな夜、彼の指が、ゆっくりと彼の肌をなぞる。触れた先から熱が滲んで……”」

因幡の声が低く艶やかに響き渡る。読むたびに、空間がうっすらと揺らめいた。まるでその言葉が、霊そのものの存在を炙り出していくようだった。

「や……やめて……!そんな言葉で、私を……!」

霊が叫ぶ。が、それすらも因幡は動じない。朗読の速度をわずかに上げながら、さらに濃厚な一節を口にした。

> 「“腰を引く彼に、囁きかける――逃がさない。お前が望んだのは、これだろう?”」

「黒川、いまだ」

「ったく……はいはい、了解ッ!!」

黒川が床を蹴り、一直線に鏡へと突っ込む。拳に込めた気合がびりびりと伝わってくる。

「こちとら助手なんだよ!変態朗読の後始末が俺の仕事ッ!!」

怒鳴りつつも、正確に霊の気配が集まる鏡の中心を殴り抜く。

パァンッ――!

鋭い破裂音とともに、鏡が蜘蛛の巣のようにひび割れ、女の霊が絶叫を上げる。

「愛されたかっただけなのにッ……!」

「知るかッ!!こちとら毎回これに付き合ってんだよ!」

黒川の第二撃が鏡を砕ききると、霊はまるで溶けるようにかき消えていった。残されたのは、静寂だけ。

因幡は最後の一文を読了し、静かに本を閉じた。

「……除霊完了、っと」

「これで何体目でしたっけ、官能朗読で成仏させたやつ……?」

「43体目だ。君の拳によるサポートがなければ、もう少し苦戦したかもしれないな」

「いや、俺がいなかったら途中で通報されてると思いますけど!?」

息を切らしながら文句を言う黒川の横で、因幡は満足げに微笑んだ。

「それでも、君がいるから成り立つ。最強のコンビというやつだよ、我々は」

「……っ、またサラッとそういうこと言うし……」

頬を赤くしながら、黒川は鼻を鳴らした。

「ま、いいですけど。俺がいなきゃ先生、一人で朗読してるだけの人ですもんね」

「褒め言葉と受け取っておこう」

そんな二人の背後で、柚瑠と律が唖然とした表情でやりとりを見ていた。

「……あれで除霊成立してるのが、一番怖いよね」

「はい……なんか、いろんな意味で……」

柚瑠は律の背をさすりながら、ふっと息を吐いた。

「それにしても、ほんとにもう……油断も隙もないな」

「……柚瑠さん……助けてくれて、ありがとうございます……」

律は顔を赤くしながらも、まっすぐに柚瑠を見上げた。

「俺……絶対、柚瑠さんと離れたくないです……」

「……うん。僕も、お前を手放す気はないから」

二人が見つめ合う横で、因幡が再び口を開く。

「黒川」

「……なんすか、先生」

「君も、離れたくないか?」

「……な、なに真顔で言ってんすか……!」

黒川が顔を真っ赤にして目をそらす。その頬を見て、因幡は満足げに目を細めた。

――幸せな人間たちの絆を、破ることはできなかった。

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