官能霊媒師は朗読で祓う

あしゅ太郎

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俺に“書かせて”ください(2)

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因幡の家には、まだ仄かに朝の光が残る午後の気配が漂っていた。

リビングのテーブルには、資料とゲラの束。黙々と赤を入れる因幡の斜め前で、黒川は無造作にリュックを置くと、その中から小さな紙袋を引っぱり出した。

「……あー……」

声をかけるのに一拍、妙に間が空く。

「……ほら、コレ」

ぽん、と紙袋をテーブルに置く。中身が崩れないように気をつけた手つきのわりに、目線はそっぽを向いたままだ。

「昨日、律くんと作ったやつ。……別に深い意味とかないですけど。バレンタインだし、編集担当だし、まぁ……その……なんか、流れっていうか」

言い訳が先に出るのが黒川らしい。言葉の端々が尖りながらも、どこか照れくさそうで。肩まで赤くなっているのを見て、因幡は小さく笑う。

「ありがとう。……いただくよ」

さらりと礼を言って、紙袋を受け取る因幡。中をちらりと覗き見て、「おや、律の手じゃないな」とでも言いたげな目をしてから、再び黒川を見た。

「黒川」

「……はい?」

不意に名前で呼ばれて、黒川は思わず背筋を伸ばす。

「そろそろ……うちに正式に住まないか?」

「は?」

思わず聞き返した黒川は、瞬時に眉をひそめた。だが怒ったというより、目の奥が妙に揺れている。

「いや、だからその。今は“よく入り浸ってる”って程度だろ?でも、こっちは……いっそ全部整えて、鍵もちゃんと渡して、生活の足場にしてくれて構わないって思ってる」

因幡の声はいつもの調子だった。落ち着いていて、どこか含みがあって。でもその目だけはまっすぐで、冗談じゃないことを語っていると、黒川にもすぐにわかった。

「……あんた、またそうやって、するっと変なこと言う」

黒川は視線を泳がせながら、ゆっくりと息を吐く。

「こっちは、いきなりそういうの、けっこう……くるんですけど。マジで……先生、からかってます?」

「本気だよ。……これ以上、黒川が遠慮してるの、見てるのも癪だしな」

そう言って因幡が少しだけ笑った瞬間、黒川の肩の力が抜けた。

「……仕方ない、っすね。だったら、ちゃんとスペース空けてくださいよ。俺の漫画の資料とか、荷物とか、ちゃんと置けるように」

「ふふ。了解」

「……あと、夕飯はちゃんと分担です。俺ばっか作るの嫌なんで」

「うん、それも交渉の余地ありだな」

そんなやりとりをしながら、因幡はそっと紙袋を抱える。甘さの代わりに、少しの覚悟と、たっぷりのぬくもりが詰まったチョコレートケーキが、その日ふたりの間に、ひとつの節目を作った。

---

因幡の家に黒川が正式に越してきて、数日。
夜もすっかり更け、灯りを落としたリビングで、黒川はスマホゲームの画面をじっと見つめていた。

「……またソレか。俺をほっといてまで?」

後ろから聞こえてくる落ち着いた声に、黒川はぴくりと眉を跳ね上げる。
気づけば、和服姿の因幡がそっと背後から覗き込んでいた。
長く艶のある髪が肩越しに揺れ、静かに結ばれたその姿は、どこか無防備にも見える。

「……俺、今ランキング戦やってるんですけど。先生、わざと邪魔してるでしょ」

「ふふ、さて? どうだと思う?」

さらりとした声に、黒川は苛立ちよりも先に、いつものように胸の奥が妙な温度に熱を帯びるのを感じた。

「ったく……」

ゲームを一時停止し、スマホを脇に置くと、黒川は振り返って因幡をじっと見つめた。
そのまま、ソファに凭れていた因幡の腰に手を回し、ぐいと引き寄せる。

「いつも先生の好きにさせてばっかだと思わないでくださいよ」

「へぇ……今日は積極的だな、黒川」

因幡はわざとからかうように目を細める。だが、その目の奥に揺れる色気は、黒川にとって見慣れたようで、見慣れていないような──そんな甘やかな不安定さを含んでいた。

「……先生こそ、油断しないでくださいよ」

そう言って、黒川は因幡の首筋にそっと唇を落とす。
結んだ髪の根元に、吐息混じりのキスを一つ。因幡がわずかに肩を震わせるのがわかる。

「……くすぐったいな。黒川……」

「敏感なんですね、ここ。和服のせいですか?」

黒川の言葉に、因幡は息を飲み、何かを言いかけたが──その前に、もう一度、唇が耳元をなぞった。

「いつも先生に振り回されてばっかなんで……たまには、こっちが翻弄してもいいでしょ」

黒川は笑いながら、因幡の胸元を軽く掴む。
緩くはだけた襟元から覗く肌。触れてみると、驚くほど熱い。

「……黒川」

低く名を呼ばれ、黒川は満足そうに息を吐く。
因幡の唇も少し緩んでいる──拒まれていない。むしろ、その目にはどこか、誘いのような揺らぎすらあった。

「……俺、ちゃんとわかってますから。先生が、されるの嫌いじゃないって」

「……そう見えてるなら、君もたいしたものだな」

それはからかいとも、本音ともとれる声音。
だがその直後、因幡の指が黒川の背を撫で、手が腰にまわった。

「でも、翻弄するつもりなら──その覚悟、ちゃんとしてくれよ?」

その挑発に、黒川の頬がふっと赤く染まる。

「……そっちこそ、覚悟してくださいよ」

因幡の腰に回された腕をほどかぬまま、黒川は一度、浅く息を吸った。

「先生……今夜はもう、容赦しませんから」

その声音に、いつもの理性的な編集者の顔はなかった。
静かに、獲物を追い詰めるような熱のこもった視線だけが、因幡をとらえている。

「へぇ……ずいぶん強気じゃないか」

因幡は口の端を上げて見せたが、黒川はそれに乗らない。
返す代わりに、因幡の髪留めに手を伸ばし、するりとほどく。

「……っ、ちょっと、黒川……」

緩やかにほどけた黒髪が、夜の帳に溶けるように肩に落ちる。
黒川はその髪を一筋指先に絡め、頬にあてた。

「……ずっと、こうしてみたかった」

因幡の髪を弄ぶように撫でながら、黒川はそのまま手を滑らせ、首筋から鎖骨、胸元へ──。
はだけた襟から覗く因幡の肌は、すでにかすかに汗ばんでいた。

「ほんと、和服ってずるいですよね。……隠してるのに、ぜんぶ誘ってるみたいで」

「……言うようになったな、君も」

くぐもった声で返す因幡だったが、その目元にはわずかな滲みがある。
黒川はそれを見逃さなかった。

「先生って……責められるの、嫌いじゃないですよね」

「……さぁ、どうだろうね」

答えの代わりに、因幡の手が黒川のシャツを引く。
だが黒川は、その手を軽く押しとどめた。

「今日は、俺の番です。……ほら、ちゃんと“される覚悟”、できてるんでしょ?」

吐息交じりの低音。
その言葉の端に、普段の黒川らしからぬ、嗜虐的な気配すら滲んでいた。

因幡の瞳がわずかに揺れる。
それを見て、黒川は因幡をソファに押し倒すようにゆっくりと沈ませた。

---

和服の褄が崩れ、布越しの感触が互いの体温を伝える。
黒川の指は丁寧に、けれど容赦なく因幡の敏感な部分を撫でていく。

「……っ、黒川……どこで覚えたんだ、そんな……」

「先生が書いた本、ちゃんと全部読んでますからね」

挑むように唇を重ね、吸い、なぞり、耳元に囁きを落とす。

「自分の文章に……自分がやられるのって、どんな気分ですか?」

因幡は小さく笑った。だがその指先は、黒川の背をなぞりながら、確実に反撃のタイミングを狙っている。

「君に攻められるのも、悪くないって思ったよ……でも──」

「……でも?」

「一度許したら、君は……きっと、調子に乗るだろう?」

「そのときは、また先生が押し返してくればいいんじゃないですか?」

黒川の眼鏡がずれ、熱のこもったオッドアイが因幡を射抜く。
その瞳に、因幡の色香が、熱を持って映っていた。

因幡は笑みを崩さぬまま、黒川の襟元を掴んで引き寄せた。

「……いいだろう。受けて立とう。どこまで攻め込めるか、見せてみろよ」

「──はい。遠慮しませんから」

---

因幡の指先が黒川の腰に回った瞬間、黒川の瞳に何かが灯った。それは、これまで翻弄されていた側の熱ではなく、主導権を奪い返す者の、意志。

「……覚悟できてるなら、先生の小説、参考にさせてもらいますよ」

「……は?」

因幡が目を細めたときには、すでに黒川の手は因幡の帯にかかっていた。ほどくのではない、焦らすように、触れる。指先がまるで読み込むように布をなぞりながら、囁くように言葉を落とす。

「“濡れた視線に、思考が溺れる”──先生の“あの短編”、冒頭の一文。……読んだとき、正直……やばかったです」

因幡の目がわずかに見開かれる。自作を引用され、なおかつそれを実践しようとする黒川に、気圧されるように背筋をのけぞらせる。

「……俺の文章で……?」

「ええ。だからこそ……先生、自分の文章にやられて、どんな気分ですか?」

黒川の指先が襟元をかき寄せ、さらりと覗いたうなじに口づけを落とす。思わず、因幡の口からかすれた吐息がこぼれる。

「く……黒川……」

「声、出ましたね。いい反応です、先生」

黒川の眼差しには、意地の悪い色はない。ただ、情熱と好奇心が熱を帯びて、因幡の全てを味わおうとするような視線だった。

「先生がどうされると一番感じるのか……小説から、けっこう推理したんですよ。……“咬まれるたびに、意識が薄れていくようだった”──ね?」

首筋を、少しだけ強めに甘咬みする。因幡の指が黒川のシャツを握りしめるようにして震える。

「……そ、こまで読んで……覚えて……ん、ふ……っ」

肩がびくりと揺れた。色気のある声音を、堪えきれず零すようにして因幡が洩らした声に、黒川の奥底が甘く疼く。

「新鮮な反応、ありがとうございます。……先生にも、こういう顔あるんですね」

恥じらいと悦楽の入り混じったその表情に、黒川はもう一度だけ、名を呼ぶ。

「……因幡先生」

因幡は目を伏せながら、けれど拒まず、むしろ黒川の手を引き寄せるようにして言葉を返す。

「……続きは……責任取る覚悟があるなら、好きにしな」

まるで自作小説の中の一節のように囁かれたその一言が、黒川の中で何かを決定的に弾けさせた。

黒川の唇がうなじから首筋へ、そして耳元へと這うように滑る。その間にも、指先は因幡の帯の結び目を弄ぶように撫で続けるだけで、ほどこうとはしない。焦らし、じらし、相手の反応を観察するように──。

「……やっぱり。先生、こういうの……弱いんですね」

「っ……ちょ……黒川、お前……」

因幡の声がかすれ、視線が揺れる。普段は人をからかう余裕のある男のはずなのに、今はまるでその余裕を剥がされる側だった。

「“呼吸が触れあうほどの距離で、言葉はもう意味をなさなくなる”──これ、三年前の短編集の中の一文ですよ。……まさに今、そうなってますけど?」

「……記憶力、良すぎるんじゃない……?」

「編集ですから。先生の文章……誰よりも読み込んでますよ。だから……こうされると、どう感じるのかも、だいたい分かる」

そう言いながら、黒川は因幡の胸元へ指を滑り込ませる。肌に直接触れる前に、指先がわずかに震えるのを因幡は感じ取った。躊躇ではなく、昂ぶりの裏返し。

「っ……ふ、……く、黒川……」

「声、いいですね……。もっと聞かせてください。文章だけじゃなくて、生の反応、全部……」

黒川の声はいつになく低く、息がかかるたび、因幡の肌が粟立つような感覚に満たされていく。

「……お前、本気で……攻めてくる気か……?」

「先生が言ったんですよね。『責任取る覚悟があるなら、好きにしな』って。……なら、遠慮しません」

その瞬間、黒川の手が帯を外した。しゅるり、と柔らかな音を立てて和服の前が緩む。因幡の肌が空気に晒されると同時に、黒川の舌が鎖骨をゆっくりとなぞっていく。

「……っ、く……う……」

因幡の息が跳ねるたびに、黒川の手はさらに奥へ、肌と肌の境界線を侵していく。肩から滑り落ちた衣が、床に落ちる音すら甘く響くほど、部屋の空気が熱に満ちていた。

「先生……意外と、攻められると弱いんですね」

「黙れ……お前……っ」

因幡は顔を背けながらも、黒川の手を払おうとはしない。むしろ、次の接触を待つように、身体がほんのわずかに開かれていく。

「……なんだ。もっと煽ってくるかと思ったけど……素直ですね」

黒川がそう囁きながら、再び首筋に吸いついた。今度は跡が残るほど深く、確かにそこにいたという証を刻むように。

「っ……黒川……そこ、だめ……あっ……!」

甘い喘ぎとともに、因幡の手が黒川の肩を掴む。その指先の力は弱くも、確かな意思を伝えてくる。

「じゃあ……どこなら、いいんですか? 先生が一番感じる場所……文章から想像した通りの場所、試しても?」

「……っ……ど、どこまで読んでんだよ、お前……」

「全部ですよ。声にならない感情の行間まで、読み込んでます」

その言葉とともに、黒川は因幡の身体を優しく寝かせ、自らの体重を預ける。眼鏡越しのオッドアイが真っ直ぐに因幡を射抜く。そこにあるのは、編集者としての冷静さではなく、一人の男としての欲と、覚悟。

「先生。……俺に、任せてみませんか?」

「……く……黒川……お前……ほんとに……変わったな……」

「先生が……俺を変えたんです。自覚、ありますか?」

そして黒川は、その手を──文章でしか触れたことのなかった快楽の核心へと伸ばしていく。
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