五ツ星ホテルのホテルマンが多忙でトイレに行けずおしっこを限界おもらしする話

なまご

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本編

【前編】




都会の喧騒から一歩足を踏み入れれば、そこは非日常の空間。
​ホテル・アルカディア・パレスのホテリエは皆、そんな非日常を最高の形でゲストに提供することを誇りとしている。
若手ドアマンの藤堂もまた、そんなホテリエの一人だ。
濃紺の燕尾服が夜風に揺れ、白い手袋が月明かりを柔らかく反射する。

「ようこそ、アルカディア・パレスへ。荷物をお預かりいたします」

到着した車を誘導し、流れるような動作でゲストを出迎える藤堂はまさに「ホテルの顔」を体現するドアマンそのものだ―――外見上は。
藤堂は落ち着いた微笑の下に焦りを隠していた。
ベルスタッフに合図を送り、ゲストを引き継いだ藤堂は素早く辺りに目を配る。
ロビーでは豪華なクリスタルのシャンデリアが大理石の床に控えめな灯りを落とし、ゲストの足音だけが静かに響く。ホテリエたちはその静謐さを崩さぬ優雅な動きで絶え間なく各々の仕事をこなしていた。
今夜は海外からのVIPの到着を控えた特別な夜だ。
加えて昼過ぎからの団体客の対応で皆休む暇なく働いていることだろう。
この状況では、とてもエントランスを離れられそうには思えなかった。

藤堂は下腹部に重い違和感を抱きながらも、同僚のドアマン――佐竹が夜の着替えから戻るのを待った。
団体客の対応が続く中 藤堂はエントランスから抜けられず、夕方頃から尿意を堪えていたのだ。

(トイレ…今、急いで抜ければ…………)

しかし藤堂はその考えを頭の中で打ち消した。
ドアマンはホテルの顔だ。不在はありえない。
じっとしていると膀胱の圧迫感が増すように感じられたが、落ち着きのない態度はホテルの品位を損なう。藤堂は涼し気な表情で間もなく到着するゲストを待った。

「藤堂くん、問題はないかな」

視界の外からの声に藤堂の身体が小さく跳ねる。
声をかけてきたのはベテランコンシェルジュの霧島だ。藤堂はとっさに尿意を我慢していることを悟られないように背筋をぴんと正した。

「今日は忙しいね」
「問題ないです」

ワンテンポ遅れた答えに霧島が少し眉を動かす。しまった、と藤堂は思ったが、霧島はすぐに普段の親しみやすい笑顔を見せた。

「そうかい?それならいいけど…VIPの到着まであと一時間だ。このあと15分ほどマネージャーたちとブリーフィングに入るけど何かあればいつでも声をかけて」

立ち去りかけた霧島が人差し指を藤堂に向け、左目だけを軽く閉じた。

「リラックスして。笑顔でね!」

そう言い残し軽い足取りでコンシェルジュデスクへ戻る後ろ姿を見送っていると、後ろから人の気配を感じて藤堂は振り返った。
新人ベルスタッフの里田美心だ。
こんなときに、と藤堂は一瞬思ったが、焦りを誤魔化すように「お疲れ。どうした?」と声のトーンを上げた。

「霧島さんっていつもキリッとしていて格好いいですよね」

里田の唐突な言葉に藤堂は眉を寄せそうになる。

(キリッと?どこが…)

霧島は非常に親しみやすい先輩だったが、彼の朗らかさはこのホテルの厳格な雰囲気に合わないのではないかと、藤堂は密かに思っていた。
アルカディア・パレスのような五ツ星ホテルには、もっと整然とした人間がふさわしいのではないか――そんなことを考えるのは、霧島の飄々とした態度が、“完璧なプロフェッショナル”を目指す藤堂のプライドを刺激するからかもしれない。

「……里田、ロビーでは静かに」

藤堂は小さく注意をするが尿意の焦りで声に力が入らない。

「あっ、すみませんっ」里田はハッとしたようにすぐさま謝罪したが、藤堂の意図が伝わっていないらしく声を抑えて言葉を続けた。「霧島さん、ゲストからも“心を読まれてるみたいだ”って評判ですし、噂では昔ドアマンだったのに常連さんからの強い希望でコンシェルジュになったらしいですよ」

(…ドアマンを、離れただって?)
里田の振る舞いを指導する立場にあるにも拘わらず、その話に藤堂は思わず聞き返しそうになった。
何故ならドアマンは藤堂の憧れであったからだ。
藤堂の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。

5歳のある日父親の仕事でアルカディア・パレスに訪れたその道中、藤堂は大切にしていた絵本をなくしていたのだが、当時の若いドアマンがその絵本を探し出してきてくれた。
チェックアウト時にドアマンは絵本を差し出すと、「お預かりしていました」と一言告げすぐに仕事に戻ってしまったのだが、その時の、少しくたびれた絵本を持つ白い手袋のエレガントな動きを藤堂は今でもはっきりと覚えている。
彼は藤堂の悲しみに気が付き、更には道中のルートから絵本を探し出してみせたのだ。

魔法使いのようなそのドアマンも白い手袋も、藤堂にとって憧れとプロフェッショナルの象徴だった。
ドアマンとはゲストを非日常へ誘う存在でもあるが、夢から気持ちよく目覚めるための締めくくりも担っているのだ。
そして藤堂はこの仕事に揺るぎない誇りを持っている。

「里田。間もなく溝下様の到着時間だ、準備を頼む」
「はいっ!了解しました」

里田がピシッと背筋を伸ばして踵を返しかけたが、ふと思い出したように振り返った。

「そう言えば先程お帰りになった二宮様、藤堂さんのこと物凄く褒めてました。素晴らしい心配りだって。二宮様気難しい方なのに、すごいです!」

そう声を弾ませて彼女は軽快に持ち場に向かって行った。
ドアマンは藤堂の誇りで、人生だ。
ゲストからの信頼は改めて藤堂にこの責任を、今の欲求を抑えてでもおろそかにするわけにはいかないと強く思わせた。

(我慢しよう。あと少し、佐竹が着替えから戻るまで待てばいいだけだ)

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