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続編(短編)
【前編】ゲストの行き交うフロアでおもらししてしまった精神的ストレスで頻尿になりまたおもらしして憧れのホテリエに甘々に甘やかされてしまう話
■ 前回のあらすじ
五ツ星ホテル「ホテル・アルカディア・パレス」でドアマンとして働く若手ホテリエの藤堂は、幼少期の出来事から憧れ続けた職業への強い誇りと責任感、そして度重なるトラブルによって我慢していた尿意が限界を超えてついにVIPの前でおもらしをしてしまった。
このピンチを救ってくれたベテランコンシェルジュの霧島が、実は藤堂に憧れを抱かせた当時のドアマンであったことが判明し、藤堂は折れかけた心を再起させる。
――――――――――――――――――
「これより、正午のブリーフィングを開始します」
マネージャーのよく通る声が、ホテル・アルカディア・パレスのバックヤードに静かに響く。
“あの出来事”の翌日、藤堂は再び完璧なドアマンとして、整列したスタッフの中に身を置いていた。
「本日のインハウスは満室。15時からは海外の政府関係者のチェックインが重なります。ロビーの動線確保を最優先に――」
手元のタブレットに時々視線をやりながら、マネージャーが淡々と業務連絡を進める。
「――次にトラブル共有。昨晩、」
その言葉に、藤堂の心臓が跳ねる。
震えそうになる指先をギュッと握り込んだ。
昨晩の失態が、“教訓”として公に晒される――。
その予見に、藤堂が今日、この場に立つために奮い立たせた勇気がグラグラと崩れ落ちそうになる。
「溝下様の荷物誤配がありました。荷物については、現場スタッフの連携により――」
(溝下様の件…だった……)
藤堂はほんの少し安堵するが――
「――も回収済みです。溝下様からはリカバリーの早さと、その後の丁寧な接遇についてお褒めの言葉を頂戴しました。藤堂さん」
唐突に名前を呼ばれて、藤堂は飛び上がりそうになった。
(こ…今度こそ……名指しで?いや、まさか。………でも、それだけの失態は犯した。それこそ誤配以上の…………)
「はい…」
藤堂は覚悟を決めた。
それでもドアマンとして、職務をまっとうすることも。何故ならずっと、ドアマンになることだけを夢見てここまで来たのだ。
緊張で身体がこわばる。同時に、何故だか昨晩のように膀胱がキリッと重い違和感を持った感覚がした。
「昨夜のような不測の人員不足においても、不慣れなスタッフをフォローしつつ、冷静にゲストの不安を払拭し、ホテルの品位を保ってくれました。その献身的な姿勢を評価します」
「…あ…………、き、恐縮です。職務を…全うしたまでです」
藤堂は動揺を残したまま答えた。
昨日の粗相については触れられなかった。
だが、マネージャーからの評価は、かえってじわじわと藤堂を責めた。
(…でも、俺は結局、それ以上の大失態を晒した…。トラブルのフォローなどでは補いきれないくらいの、品位どころか、ホテルの評判を大きく揺るがすほどの…………)
もう二度と昨晩のような過ちは犯さないと誓ったものの、藤堂にとってあの失態はまだ生傷の状態だ。
普段は身を引き締めるばかりのマネージャーの言葉が、藤堂の生傷に塩を刷り込むように響く。
「ただ、タグの確認漏れは組織的な課題です。後ほど再発防止策を。……皆さん、昨夜のように現場が逼迫した際こそ、自身のコンディションを冷静に判断してください。無理な続投は重大なインシデントに繋がります」
実際には、体調不良による欠勤者についての話だったが、その言葉は藤堂の行いを責める内容だった。
藤堂は自身のコンディションを見誤り、あわや大惨事になるところだったことを改めて強く恥じた。
(もう絶対に……二度と、あんなミスは起こさない……)
藤堂はそう、固く誓っていた。
誓っていたのだが――
マネージャーからの連絡事項が続く中、藤堂はある異変を感じていた。
どういうわけか、先程から突然強い尿意に苛まれていたのだ。
それも切迫した尿意だ。
全員がピシリと背筋を伸ばし、マネージャーの話に傾聴している中、藤堂は一人だけ、膝を揺らしそうになるのを堪えていた。
昨晩の――いや、それ以上の強い尿意に、藤堂の額に冷や汗が滲む。
(なんで……トイレは済ませてきてるのに…………マズい……マズい…………っ)
体の横で拳を強く握り締めながら、藤堂は耐えた。
「以上。最後に、各自インスペクション」
マネージャーの号令で、隣のスタッフと二人一組で向かい合う。
勤務前の身だしなみの最終チェックだ。
これが終われば、時間と共に一斉にフロアへ向かう。もう一息だ。
藤堂に向かい合ったのは、里田だ。
昨日藤堂がフォローし、そして、藤堂の人生最大の失態を目撃した――。
「藤堂さん、褒められてましたね!さすがです」
里田が小声で明るく言った。
あのあと一緒に勤務を続け、気まずさは少し和らいでいたはずだったが、今は別だ。
「じゃあ、失礼します」
里田の視線が藤堂の頭の先、襟元、タイの結び目と流れていく。
その視線にまるで全てを見透かされてしまいそうで、藤堂の緊張と尿意がついにピークに達した。
「……里田、すまない」
「え?」
里田のチェックを遮り、藤堂はマネージャーを向いて声を上げた。
「失礼いたします」
緊張感の漂うバックヤードに藤堂の声が嫌に大きく響いた。
全員が何事かと動きを止めて視線を送る。
その視線に藤堂は息を呑んだ。
想像以上に、続く言葉を発するのに勇気がいった。
「………2分、中座させてください」
「…インスペクション中ですが許可します。定刻までには持ち場へつけますか?」
「はい。必ず…」
藤堂は膀胱を刺激しないように小さく一礼し、足早にその場を後にした。
背後で「どうしたんだ藤堂さん…」「体調不良か?」と囁く声が聞こえるのを、気づかないふりをして藤堂は廊下を突き進む。
(…漏らす……漏らす……早く………)
白手袋を外しポケットへしまいながら、軽く小走りで藤堂はレストルームに急ぐ。
羞恥心よりも、焦りのほうがもっと強かった。
再び失態し、定刻に間に合わず迷惑をかけるなど、今度こそホテリエ失格だ。
勢いよく扉を開ける。
先客が一人視界の端に写ったが、藤堂はそれに気を配る余裕がなかった。
白磁のストール(便器)を目の当たりにした瞬間、膀胱が一層強く収縮し、ツーンと痛むような尿意が膀胱から尿道、そしてその出口にかけて込み上げてきたのだ。
「…………ッッ」
かろうじて手で抑えることはしなかったが、大腿の上で指先が白くなるほど握り締めた拳を震わせ、膝を強く寄せ、腰をくねらせた。
(頼む………………)
祈るように固く目を閉じる。
それが通じたのか、わずかに尿意が落ちついた。その隙をついて、藤堂は便器に飛びつく。
震える指先でスラックスのボタン、フックを寄せて外す。
今にも再び溢れ出しそうになる尿意を必死で堪える藤堂は、無意識にその場で小さく足踏を繰り返しながら、ファスナーを下ろした。
そして、それが排尿の合図になったのだろう。
下着の中でほわ…と、温かい感触が広がった。
「…ッは…………」
藤堂は、声とも吐息ともつかないものが口から漏れることに構う余裕もなく、大慌てでファスナーを下ろし、すぐさま下着をずらした。
僅かな差ですでに排尿の始まっていたそこがストールに向けられた瞬間、激しい排尿音がレストルームの静かな空間に響き渡った。
「は、ぁ…………」
思わず安堵のため息が漏れる。
しかし膀胱が空になるにつれ、藤堂は下着のひやりとした感触に、再び失態をおかしたのだと現実を突きつけられた。
スラックスを直し、モーニングコートを丁寧に整えて手を洗っている藤堂の横から、「藤堂」と声がかけられる。
藤堂が顔を向けると、私服姿の同僚ドアマンの佐竹が少し口角を上げた。
「ふふ……漏れそうだった?」
その言葉に藤堂の顔は一瞬にして燃え上がるように熱くなるが、佐竹はそれに気がついていないように軽い調子で、少し申し訳なさそうに続けた。
「昨日、悪かったな。たまにあるんだよ…偏頭痛。団体終わりそうなころからちょっとヤバかったんだけど、着替えに行ったら目眩するわ吐き気はするわでそのまま帰っちゃったよ。大変だったろ?」
「…いや…………あ、うん……まあ……でも、大丈夫……」
「…ありがとう。ふふ…あはは。え、何その反応。マジでさっきヤバかったの?タイミング的にブリーフィング中だったし」
「………大丈夫だ。何でもない。それよりもう行かないと」
藤堂は羞恥のあまり目を合わせられず早口にそう答える。佐竹はその様子にはやはり気づいていないのか、また軽い調子で言った。
「ああ、お疲れ。俺 今日から有給だから、また明後日よろしく」
「……うん。お大事に」
逃げるようにレストルームを後にして、藤堂はフロアへ急ぐ。
フロアは革靴の音だけが心地よく響く、いつものホテル・アルカディア・パレスの“理想郷”そのものだった。
昨晩のことが幻だったように。
だが藤堂だけは昨日の失態を忘れない。
先程の出来事に一抹の不安を覚えつつ、それを押し込めて表情を引き締めると、藤堂は持ち場についた。
業務開始から30分余りが経過したころ――
「…山田さん」
藤堂は震えそうになる声を隠して、先輩ドアマンに呼びかけた。
「なんだ」
「少し…持ち場を離れてもよろしいですか」
「………珍しいな。大丈夫か」
普段厳しい山田が心配そうに眉をひそめて言った。
「少し、調子が……」
言葉を濁しかけたが、その言葉はこのあとの業務で余計な配慮をさせると思い、恥を忍んで「お手洗いに…」と付け加えた。
「余裕はある、体調整えてこい。何かあれば相談しろ」
「…申し訳ありません」
正午のブリーフィングのときと同じ状況だ。
膀胱を庇いながら一礼し、藤堂は冷静なふりをしてフロアを出たあと、バックヤードを小走りにレストルームへ向かう。
解放する寸前再び溢れそうになる尿意を、今度はなんとか食い止めて、藤堂は震える息を吐いた。
(……どうなってるんだ…?緊張…してるのかな……)
藤堂は急いではいたが、時間をかけて最後の一滴まで絞り出した。
15時、海外からの政府関係者がやってくる。今日のビッグイベントだ。
そんな中でも、宿泊客はやってくる。
もてなしのクオリティを下げるわけにはいかない。場を離れるわけにはいかないのだ。
しかし――
「…………山田さん……申し訳ありません…」
ゲストの視線を縫って藤堂が言う。
羞恥心、罪悪感、不安、色んな感情がないまぜになって藤堂の声は消え入りそうだ。
「………藤堂」
藤堂の言いたいことが伝わっているらしい山田の、ため息が混じったような声に、藤堂は重大なミスを犯した新人ホテリエのように緊張して続きを待った。
体調を整えろと言われてから、4回目の申告だった。
「腹の調子が悪いのか?フォローするから気にせず抜けろ。俺に声かければいい。そのくらい誰でもある」
「………………すみません…」
山田は思いの外 優しかった。
普段の藤堂を知っているからこそ、山田はこの異常事態を重く受け止めたらしい。
その信頼と優しさは、藤堂にプレッシャーを与えた。
この日藤堂は、正午のブリーフィングを含め9回も持ち場を離れた。
それもどういうわけか、忙しい時間に限って、どうにも堪えられない尿意が襲った。
先輩である山田の助けによりスムーズに中座することができたものの、特に休憩や勤務終了まで5分を切っているタイミングで離席を申し出る際は、羞恥心と罪悪感で涙が滲みかけた。
更衣室に入り着替えに入る前に、藤堂は山田に深く頭を下げた。
「山田さん、本日は申し訳ありませんでした…」
「…藤堂くどいぞ。気にすることじゃないと言ったよな。良くならないなら次の休みに病院行け。それだけの話だ」
「はい…以後、このようなことがないように努めます」
そう謝罪するものの、藤堂は明日を恐れた。
山田が想像するように、単に腹を壊しているだけならば、それこそ病院に行けば解決しただろう。
(……病気じゃない……俺は…ただの、尿意が我慢できないだけなんだ……。それなのに……山田さんに病気だと思わせて、フォローさせるなんて……そんなの、プロの仕事じゃない…よな……)
帰宅して、湯船に浸かってみても、藤堂は今日の出来事が忘れられなかった。
また明日も同じようになるのではないかと、就寝前の読書タイムでは文字が一文字も頭に入らず、布団に潜り込んでも中々寝付くことができなかった。
ふと藤堂は、勤務中あれだけ頻繁に感じていた尿意が、今はすっかり落ち着いていることに気がついた。
明日はいつも通りに過ごせるかもしれない。
そう思うと、ようやく藤堂は眠気に目を閉じることができた。
五ツ星ホテル「ホテル・アルカディア・パレス」でドアマンとして働く若手ホテリエの藤堂は、幼少期の出来事から憧れ続けた職業への強い誇りと責任感、そして度重なるトラブルによって我慢していた尿意が限界を超えてついにVIPの前でおもらしをしてしまった。
このピンチを救ってくれたベテランコンシェルジュの霧島が、実は藤堂に憧れを抱かせた当時のドアマンであったことが判明し、藤堂は折れかけた心を再起させる。
――――――――――――――――――
「これより、正午のブリーフィングを開始します」
マネージャーのよく通る声が、ホテル・アルカディア・パレスのバックヤードに静かに響く。
“あの出来事”の翌日、藤堂は再び完璧なドアマンとして、整列したスタッフの中に身を置いていた。
「本日のインハウスは満室。15時からは海外の政府関係者のチェックインが重なります。ロビーの動線確保を最優先に――」
手元のタブレットに時々視線をやりながら、マネージャーが淡々と業務連絡を進める。
「――次にトラブル共有。昨晩、」
その言葉に、藤堂の心臓が跳ねる。
震えそうになる指先をギュッと握り込んだ。
昨晩の失態が、“教訓”として公に晒される――。
その予見に、藤堂が今日、この場に立つために奮い立たせた勇気がグラグラと崩れ落ちそうになる。
「溝下様の荷物誤配がありました。荷物については、現場スタッフの連携により――」
(溝下様の件…だった……)
藤堂はほんの少し安堵するが――
「――も回収済みです。溝下様からはリカバリーの早さと、その後の丁寧な接遇についてお褒めの言葉を頂戴しました。藤堂さん」
唐突に名前を呼ばれて、藤堂は飛び上がりそうになった。
(こ…今度こそ……名指しで?いや、まさか。………でも、それだけの失態は犯した。それこそ誤配以上の…………)
「はい…」
藤堂は覚悟を決めた。
それでもドアマンとして、職務をまっとうすることも。何故ならずっと、ドアマンになることだけを夢見てここまで来たのだ。
緊張で身体がこわばる。同時に、何故だか昨晩のように膀胱がキリッと重い違和感を持った感覚がした。
「昨夜のような不測の人員不足においても、不慣れなスタッフをフォローしつつ、冷静にゲストの不安を払拭し、ホテルの品位を保ってくれました。その献身的な姿勢を評価します」
「…あ…………、き、恐縮です。職務を…全うしたまでです」
藤堂は動揺を残したまま答えた。
昨日の粗相については触れられなかった。
だが、マネージャーからの評価は、かえってじわじわと藤堂を責めた。
(…でも、俺は結局、それ以上の大失態を晒した…。トラブルのフォローなどでは補いきれないくらいの、品位どころか、ホテルの評判を大きく揺るがすほどの…………)
もう二度と昨晩のような過ちは犯さないと誓ったものの、藤堂にとってあの失態はまだ生傷の状態だ。
普段は身を引き締めるばかりのマネージャーの言葉が、藤堂の生傷に塩を刷り込むように響く。
「ただ、タグの確認漏れは組織的な課題です。後ほど再発防止策を。……皆さん、昨夜のように現場が逼迫した際こそ、自身のコンディションを冷静に判断してください。無理な続投は重大なインシデントに繋がります」
実際には、体調不良による欠勤者についての話だったが、その言葉は藤堂の行いを責める内容だった。
藤堂は自身のコンディションを見誤り、あわや大惨事になるところだったことを改めて強く恥じた。
(もう絶対に……二度と、あんなミスは起こさない……)
藤堂はそう、固く誓っていた。
誓っていたのだが――
マネージャーからの連絡事項が続く中、藤堂はある異変を感じていた。
どういうわけか、先程から突然強い尿意に苛まれていたのだ。
それも切迫した尿意だ。
全員がピシリと背筋を伸ばし、マネージャーの話に傾聴している中、藤堂は一人だけ、膝を揺らしそうになるのを堪えていた。
昨晩の――いや、それ以上の強い尿意に、藤堂の額に冷や汗が滲む。
(なんで……トイレは済ませてきてるのに…………マズい……マズい…………っ)
体の横で拳を強く握り締めながら、藤堂は耐えた。
「以上。最後に、各自インスペクション」
マネージャーの号令で、隣のスタッフと二人一組で向かい合う。
勤務前の身だしなみの最終チェックだ。
これが終われば、時間と共に一斉にフロアへ向かう。もう一息だ。
藤堂に向かい合ったのは、里田だ。
昨日藤堂がフォローし、そして、藤堂の人生最大の失態を目撃した――。
「藤堂さん、褒められてましたね!さすがです」
里田が小声で明るく言った。
あのあと一緒に勤務を続け、気まずさは少し和らいでいたはずだったが、今は別だ。
「じゃあ、失礼します」
里田の視線が藤堂の頭の先、襟元、タイの結び目と流れていく。
その視線にまるで全てを見透かされてしまいそうで、藤堂の緊張と尿意がついにピークに達した。
「……里田、すまない」
「え?」
里田のチェックを遮り、藤堂はマネージャーを向いて声を上げた。
「失礼いたします」
緊張感の漂うバックヤードに藤堂の声が嫌に大きく響いた。
全員が何事かと動きを止めて視線を送る。
その視線に藤堂は息を呑んだ。
想像以上に、続く言葉を発するのに勇気がいった。
「………2分、中座させてください」
「…インスペクション中ですが許可します。定刻までには持ち場へつけますか?」
「はい。必ず…」
藤堂は膀胱を刺激しないように小さく一礼し、足早にその場を後にした。
背後で「どうしたんだ藤堂さん…」「体調不良か?」と囁く声が聞こえるのを、気づかないふりをして藤堂は廊下を突き進む。
(…漏らす……漏らす……早く………)
白手袋を外しポケットへしまいながら、軽く小走りで藤堂はレストルームに急ぐ。
羞恥心よりも、焦りのほうがもっと強かった。
再び失態し、定刻に間に合わず迷惑をかけるなど、今度こそホテリエ失格だ。
勢いよく扉を開ける。
先客が一人視界の端に写ったが、藤堂はそれに気を配る余裕がなかった。
白磁のストール(便器)を目の当たりにした瞬間、膀胱が一層強く収縮し、ツーンと痛むような尿意が膀胱から尿道、そしてその出口にかけて込み上げてきたのだ。
「…………ッッ」
かろうじて手で抑えることはしなかったが、大腿の上で指先が白くなるほど握り締めた拳を震わせ、膝を強く寄せ、腰をくねらせた。
(頼む………………)
祈るように固く目を閉じる。
それが通じたのか、わずかに尿意が落ちついた。その隙をついて、藤堂は便器に飛びつく。
震える指先でスラックスのボタン、フックを寄せて外す。
今にも再び溢れ出しそうになる尿意を必死で堪える藤堂は、無意識にその場で小さく足踏を繰り返しながら、ファスナーを下ろした。
そして、それが排尿の合図になったのだろう。
下着の中でほわ…と、温かい感触が広がった。
「…ッは…………」
藤堂は、声とも吐息ともつかないものが口から漏れることに構う余裕もなく、大慌てでファスナーを下ろし、すぐさま下着をずらした。
僅かな差ですでに排尿の始まっていたそこがストールに向けられた瞬間、激しい排尿音がレストルームの静かな空間に響き渡った。
「は、ぁ…………」
思わず安堵のため息が漏れる。
しかし膀胱が空になるにつれ、藤堂は下着のひやりとした感触に、再び失態をおかしたのだと現実を突きつけられた。
スラックスを直し、モーニングコートを丁寧に整えて手を洗っている藤堂の横から、「藤堂」と声がかけられる。
藤堂が顔を向けると、私服姿の同僚ドアマンの佐竹が少し口角を上げた。
「ふふ……漏れそうだった?」
その言葉に藤堂の顔は一瞬にして燃え上がるように熱くなるが、佐竹はそれに気がついていないように軽い調子で、少し申し訳なさそうに続けた。
「昨日、悪かったな。たまにあるんだよ…偏頭痛。団体終わりそうなころからちょっとヤバかったんだけど、着替えに行ったら目眩するわ吐き気はするわでそのまま帰っちゃったよ。大変だったろ?」
「…いや…………あ、うん……まあ……でも、大丈夫……」
「…ありがとう。ふふ…あはは。え、何その反応。マジでさっきヤバかったの?タイミング的にブリーフィング中だったし」
「………大丈夫だ。何でもない。それよりもう行かないと」
藤堂は羞恥のあまり目を合わせられず早口にそう答える。佐竹はその様子にはやはり気づいていないのか、また軽い調子で言った。
「ああ、お疲れ。俺 今日から有給だから、また明後日よろしく」
「……うん。お大事に」
逃げるようにレストルームを後にして、藤堂はフロアへ急ぐ。
フロアは革靴の音だけが心地よく響く、いつものホテル・アルカディア・パレスの“理想郷”そのものだった。
昨晩のことが幻だったように。
だが藤堂だけは昨日の失態を忘れない。
先程の出来事に一抹の不安を覚えつつ、それを押し込めて表情を引き締めると、藤堂は持ち場についた。
業務開始から30分余りが経過したころ――
「…山田さん」
藤堂は震えそうになる声を隠して、先輩ドアマンに呼びかけた。
「なんだ」
「少し…持ち場を離れてもよろしいですか」
「………珍しいな。大丈夫か」
普段厳しい山田が心配そうに眉をひそめて言った。
「少し、調子が……」
言葉を濁しかけたが、その言葉はこのあとの業務で余計な配慮をさせると思い、恥を忍んで「お手洗いに…」と付け加えた。
「余裕はある、体調整えてこい。何かあれば相談しろ」
「…申し訳ありません」
正午のブリーフィングのときと同じ状況だ。
膀胱を庇いながら一礼し、藤堂は冷静なふりをしてフロアを出たあと、バックヤードを小走りにレストルームへ向かう。
解放する寸前再び溢れそうになる尿意を、今度はなんとか食い止めて、藤堂は震える息を吐いた。
(……どうなってるんだ…?緊張…してるのかな……)
藤堂は急いではいたが、時間をかけて最後の一滴まで絞り出した。
15時、海外からの政府関係者がやってくる。今日のビッグイベントだ。
そんな中でも、宿泊客はやってくる。
もてなしのクオリティを下げるわけにはいかない。場を離れるわけにはいかないのだ。
しかし――
「…………山田さん……申し訳ありません…」
ゲストの視線を縫って藤堂が言う。
羞恥心、罪悪感、不安、色んな感情がないまぜになって藤堂の声は消え入りそうだ。
「………藤堂」
藤堂の言いたいことが伝わっているらしい山田の、ため息が混じったような声に、藤堂は重大なミスを犯した新人ホテリエのように緊張して続きを待った。
体調を整えろと言われてから、4回目の申告だった。
「腹の調子が悪いのか?フォローするから気にせず抜けろ。俺に声かければいい。そのくらい誰でもある」
「………………すみません…」
山田は思いの外 優しかった。
普段の藤堂を知っているからこそ、山田はこの異常事態を重く受け止めたらしい。
その信頼と優しさは、藤堂にプレッシャーを与えた。
この日藤堂は、正午のブリーフィングを含め9回も持ち場を離れた。
それもどういうわけか、忙しい時間に限って、どうにも堪えられない尿意が襲った。
先輩である山田の助けによりスムーズに中座することができたものの、特に休憩や勤務終了まで5分を切っているタイミングで離席を申し出る際は、羞恥心と罪悪感で涙が滲みかけた。
更衣室に入り着替えに入る前に、藤堂は山田に深く頭を下げた。
「山田さん、本日は申し訳ありませんでした…」
「…藤堂くどいぞ。気にすることじゃないと言ったよな。良くならないなら次の休みに病院行け。それだけの話だ」
「はい…以後、このようなことがないように努めます」
そう謝罪するものの、藤堂は明日を恐れた。
山田が想像するように、単に腹を壊しているだけならば、それこそ病院に行けば解決しただろう。
(……病気じゃない……俺は…ただの、尿意が我慢できないだけなんだ……。それなのに……山田さんに病気だと思わせて、フォローさせるなんて……そんなの、プロの仕事じゃない…よな……)
帰宅して、湯船に浸かってみても、藤堂は今日の出来事が忘れられなかった。
また明日も同じようになるのではないかと、就寝前の読書タイムでは文字が一文字も頭に入らず、布団に潜り込んでも中々寝付くことができなかった。
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