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アンデッド②
しおりを挟む「俺の腕の中で、ロゼの体から力が抜けて行くのを感じた。俺も意識が遠くなって、床に倒れ込んだ。彼女の体温がどんどん失っていくのを感じていた。…そこで、俺は違和感に気づいた」
自分と彼女の、体温の差に。フローリングに、広がっていく血の量の可笑しさに。
「聞いて驚け。俺の血はもう止まっていた。ナイフは、俺の心臓にきっちり刺さっていたにも関わらず、だ」
皮肉気に、ノイズは笑う。
「ロゼは既に意識を飛ばしていた。このままでは置いて行かれると思って俺は、とち狂ってロゼッタの手からナイフを奪い取った。そして自分の体を突き刺した。何度も、なんど、も」
それからノイズは、ゴボリと己の体から溢れる血液が、まるで意思を持っているかのようにピタリと止まり、そして傷を覆うために皮膚がめきめきと音を立てて、急速に再生していくのを見た。
その光景は、ブラッドも見たことがあった。
その、異様な光景を。
「信じられなかった。吐き気がした。でもな、胃がかき混ぜられるような感覚があっても、それが喉までせりあがってくることはなかった。体ん中ぐちゃぐちゃだ。脳みそが沸騰して、泣きたくなって」
ノイズは、その時を以って自分が異常である事を確信したのだ。
「その涙も、すぐに止まった。喪失感しかなかった。俺の体は修復するために熱を持って、ロゼが逆に冷たくなっていくのをただ感じていた」
しかし、ノイズには、自分の体はどうなっているのかと絶望する余裕もなかった。
自分が、死ねないのなら。
「このままじゃあ、彼女を一人で逝かせることになる」
そう我に返り、彼女に出来る限りの止血と手当をし、電話を手に取りこう言った。
「 助けてくれ、俺の大切な人なんだ。どうかお願いします 」
その時は、おそらく必死でその言葉を紡いだのであろうが、再現した声に抑揚はない。まるで、もうその時の悲しみすらも今はもう忘れてしまったのだと言うように。
一緒に死ねないと分かって彼女を助けてくれなんて、随分虫の良い話だとノイズは言う。
その後は、少し有名な事件だった。変わった内容だったからか、口伝いで防衛隊まで回ってきた話だ。詳しくは伏せられていたが、警察はその犯人の行方をかなり大規模に追っていた筈だったが、未解決のまま不自然に捜査が打ち切られた。
「そうして俺は、保身に走って逃げた。だって、その時の俺の格好と言えば、ナイフの刺し傷だらけでさ、服も穴らだけの血だらけ。なのに傷はもう塞がってる。二人で心中しようとしましたなんて言おうにも、じゃあその俺の状況をどう説明する?」
ノイズは、自分の両腕を広げて見せる。
ブラッドは自分の姿と見比べて、ああ、何かが違うと確かに思う。
包帯を巻かれてもまだ血の滲むブラッドと違い、彼のボロボロの衣服の下は余りにも綺麗すぎた。
受け入れざるを得なかった。
不老不死。
そんな、馬鹿みたいな事実を。
「その後の事は、知らない。どうなったかなんて、知りたくもない」
自分の事で精いっぱいだった。己が巷に聞く異常者の部類ならば、いつか自分も理性を手放し、本当の化け物になる日がくるのではないか。
「どうせ俺に、彼女を幸せにすることはできない」
何よりも、それが、悲しかったのだという。
それまでそういうものと無縁に過ごしてきたのだ。それは、一種の現実逃避と言っても良い。
逃げた後、彼女と暮らしていた家には、警察が留まっていてもう帰れなかった。最愛の人に拒絶された挙句、こんな恰好では行くあてもない。諦めるのには、そう時間はかからなかっただろう。
「警察に投降する事も考えた。でも、その時会った警察がさ、幸か不幸か、変わった奴で。俺に同情なんかしちゃって、匿ってくれて、俺はしばらくそこで過ごした。異常者に遭遇したそいつが殉職するまでな」
付け足された台詞に、ブラッドはいたたまれずに目を閉じる。
警察だけでは手が回らないから、防衛隊という存在が出来たのだ。異常犯罪は警察では対応できない。最低限の対処法はあるが、気休め以外の何物でもなかった。
「俺が不老不死であることなんて気にしてなかったくせに、最期に電話かけて来て、一言『逃げろ』と言い残して、帰って来なかった」
その人物は、警察にしては本当に変わっていたのだろう。ノイズの捜査が打ち切られたのも、その警官が手を回した可能性は高い。
「匿われている間、俺は異常者について調べてたから、その時見つけた異常者を研究してるとこに駆け込んだ。どうせ行く宛てもなかったし」
異常者を研究する施設。と聞いて、ブラッドはまさかと思った。
異常者はとある一説では病気という例もあり、その治療の研究も細々とされている。といっても、異常者の治療は危険が伴い、成功したとしても余りいい結果には残らないために、今や悪手とされた異常者対策の一つである。まだ研究の余地はあるとして、生きて捉えた異常者を、その研究施設に回す事がある。つまり、その研究施設は、防衛隊の指揮下にあるのだ。
ウィルス・シーカ。
その研究所の責任者であり、ブラッドも良く知る人物であった。あの不気味な男がノイズを最近まで匿っていたとは知らなかった。捉えた異常者を何回か受け渡しに行った事はあるのだが。
苦い顔をしたブラッドに、ノイズも苦笑した。
「……知ってるんなら話は早い。俺の体について知りたいなら、あいつに聞いてくれ。俺から話せる事は、今日見せた事以外にない。もう実験台はこりごりなんだ」
痛いのは苦手なんだ。そう言うノイズのくたびれた表情。そして、遭遇した時からボロボロだった身なりを思い起こせば、余り良い待遇でなかった事が伺えた。
「どうすんの」
ノイズの話が一通り終えた所で、一班の班長でもあるブラッドの弟、スカーがぼんやりと呟いた。彼も話を聞く限り、ノイズが異常者でも危険性は低いと判断したようだ。隣にいる二班の班長、アイルーも同様にブラッドの指示を待つ。
「取りあえず、保護したいところだが…」
「上が黙ってないのでは?彼は余りに特異すぎます。騒ぎになるのは明白ですよ」
「ってか、そっちの二人的には、さっさと俺を上に明け渡したいんじゃないの」
ブラッドの二人の部下を指しながら、ノイズがあっさりと言う。驚くべき速さで己を『化け物』と判断した、彼らしい言葉かもしれないが、今の話に同情の余地はありすぎる。
こういうところを見ると、ある意味彼は精神に異常をきたしている。ただ、それがただ憐れにしか見えないという事だ。
それに。
「ウィルスの元にいたのなら、異常者であろうと同情します」
アイルーが、嫌悪感を露わにして吐き捨てる。
そうなのだ。むしろ、あのマッドサイエンティストの前では、異常者であることこそが憐みの対象なのである。現にウィルスは、本部では良い噂を殆ど聞かない。
「その、ウィルスには俺が明日、話を聞きに行く。スカー、このままノイズを家に連れて帰れ。俺は報告せにゃならん」
ブラッドの言葉に、スカーが頷く。
「わかった」
「え、まじで?」
「アイルーは俺と本部に戻るぞ」
「了解です」
「ちょっと待て、お前、正気?」
防衛隊の三人が早々と進める話に、ノイズは困惑を隠せない。スカーに腕を引かれるのを足で踏ん張りながら、ブラッドに問い詰める。
「こんな得体の知れない奴匿うとか、頭が湧いているとしか思えない。俺の話を信じるのか? そういう考えは改めた方が良いと思う。早死にするぞ。…あいつみたいに」
あいつ、とは、異常者に殺されたという警官の事だろう。
「ご心配なく。あなたの言った事は、調べればすぐに分かる事です」
淡々と答えたのはアイルーだ。
「…そういうことだ。それに安心しろ」
一人の女性が心中を図る程に愛し、一人の警官が匿い、そして三人の防衛隊員が彼を危険ではないと判断した。
「お前は、自分が思っているよりも、『普通』だよ」
ノイズは、一瞬目を見開いて、ああそう、と呟いた。
「行くよ」
スカーが腕を引くと、今度は素直に、大人しくその場を離れる。
「アイルー。裏取り頼んでいいか」
例の事件を小耳に挟んだのは、果たして何年前だっただろうか。もしかしたら、彼の化け物歴は、そこまで経ってないのかもしれない。とはいえ犯人の見つかっていない事件など、実は多くある上、一般的な事件として捜査されていればそれは警察の管轄だ。防衛隊が首を突っ込む事に、余り良い顔はされないだろうが。
もちろんです、と頼もしい答えが帰って来て、ブラッドは息を吐いた。
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