婚約破棄以前に、婚約を知らなかったのでノーダメでした

如月みつき

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「チェムリー、そろそろ一旦休憩しようか」

茶会が一通り盛り上がった後、レイナが声をかけてきた。セイリルやチェムリーを含む数名は、別室に設置されたソファに移動していた。そこは主催者側が参加者のプライベートな会話のために用意した控室で、静かに過ごせる空間である。

「そうだね。ちょっと騒がしかったし、ここで落ち着こう」

チェムリーがソファに腰を下ろすと、セイリルも隣に座る。レイナは向かいの席に座り、他の友人たちも適度な距離をとってくれていた。

「さっきは大変だったね、セイリル殿下」

レイナがクスクス笑いながら言うと、セイリルは苦笑いを返す。

「本当に参ったよ。あんなに一度に囲まれること、あまりないから」

「でも、『王子様は意外に真面目で優しい』って好評だったわよ」

「好評……なのかな。なんだか恥ずかしいな」

セイリルは照れくさそうに耳をかく。チェムリーはその様子を眺めながら、小さく息をつく。さっき感じた胸のざわめきは、今はやや落ち着いている。

 

「ところで、チェムリーはさっき結構冷静に皆さんの質問をかわしてたのね。あれもなかなか大変だったんじゃない?」

レイナの言葉に、チェムリーは少しだけ疲れたような笑みを返す。

「まあ、ああいう場ってみんな噂話が大好きだから。なんとか角が立たないように気をつけたけど、正直難しいわ」

「そうだよね。『婚約者ですか?』って何度も聞かれてたでしょう?」

「聞かれたわ。だから『まだ何も決まってません』としか言いようがなくて」

チェムリーは目を伏せる。セイリルも横で申し訳なさそうに肩を落とす。

「ごめんね、僕のせいでチェムリーが目立ってしまう」

「いいのよ。これはもう、形だけでも『婚約しません』とか『破棄しました』とか宣言して回らないと収まらないかもね」

皮肉交じりの言葉に、セイリルは苦笑する。レイナが「言えば言うほど逆効果かもね」と肩をすくめた。

 

ふと、控室のドアが開いて、見覚えのある女性が顔を覗かせる。男爵夫人のアノーラだ。彼女がセイリルとチェムリーに向かって軽く会釈をする。

「こんにちは、セイリル殿下、チェムリー・フラフィー・トーマス様。よろしければ、今日の茶会の最後に一言ご挨拶をお願いできますか?」

「え、僕がですか?」

セイリルは驚いた表情を見せる。男爵夫人は「せっかく殿下がお越しですから、皆さんも喜ぶと思います」と微笑む。

「チェムリー様も、ご一緒にご挨拶されるとよろしいかと。皆さん、気になさっているでしょうし」

「……なるほど」

チェムリーは思わず息を呑む。つまり、茶会の締めくくりに、二人で登壇するような形になるのだろう。そこでは当然、関係をどう説明するかが焦点になりそうだ。

 

男爵夫人が去ったあと、ソファに戻った二人は視線を交わす。セイリルが不安げに口を開く。

「どうしよう、何を言えばいいんだろう」

「そうね……みんなが聞きたがってるのは、私たちの関係性の話よね。婚約してるのか、してないのか」

「僕としては、まだ確定してないってはっきり言うしかないと思うんだ。むしろそれを隠すほうがややこしくなる」

「同感。偽りのことを言うのは嫌だし、ただ、余計な憶測を呼ばないように言葉を選ぶ必要はあるかも」

チェムリーは考え込む。友達以上でも以下でもない微妙な状態をどう表現すればいいのだろう。正式に婚約を破棄するとも言えないが、まだ婚約が成立したわけでもない。

「つまり、『現時点ではただの友人』って感じかな」

セイリルがまとめるように言う。チェムリーはうなずきかけたが、なぜか胸がチクリと痛む。

(本当にそれだけなの? 今の私……どう思ってる?)

疑問は頭の中をぐるぐる回るが、ここで感情を吐露するわけにもいかない。セイリルが焦っている様子も伝わってくるし、まずはこの場を乗り切らなければ。

「そうね、とりあえずそう言うしかないわね。だけど、言い方を柔らかくすると『今後次第』とも取られるかもしれないし……」

「まあ、そこはもう仕方ないか。僕たち自身もまだ答えが出てないし」

セイリルは諦めたように肩をすくめる。チェムリーも「そうだね」と同意するしかなかった。

 

やがて、茶会の終盤になり、男爵夫人から「では、王子殿下とチェムリー様、前のほうへお進みください」と声がかかる。二人は控室を出て、メインサロンの中央へと歩み寄った。

「皆さま、本日はお忙しい中、私どもの茶会にご参加くださりありがとうございます」

男爵夫人が挨拶を終え、セイリルにマイクのような道具を手渡す。周りの視線が一斉に集中し、彼は苦笑いを浮かべながらも話し始めた。

「……本日は、こうした場にお招きいただき光栄です。王宮にこもってばかりの僕ですが、たまにはこうした社交の席で皆さまとお会いするのも大切だと痛感しました」

固くならず、しかし礼儀を守るように話すセイリル。どこか頼りなげだが、誠実さは感じられる。そのまま話が一区切りしそうになったところで、令嬢のひとりが声を上げた。

「殿下、チェムリー様とはどのようなご関係なのでしょう?」

会場がさざめく。セイリルはその言葉を待っていたかのように、小さく息をついて答える。

「実は、王家と公爵家の古い契約がありまして……ですが現段階では『はっきりした婚約』とは言えません。ただ、チェムリーさんとは良い友人関係を築きたいと思っています」

言いながら、隣のチェムリーに視線を向ける。チェムリーは微笑んでうなずき、「そういうことです」と繰り返した。場内からは微妙な感嘆の声や溜息が漏れる。

(これが今の精いっぱいの答え……)

胸をぎゅっと締めつけられる気がしたが、チェムリーは表情を崩さずに頭を下げるしかなかった。こうして、茶会は一見穏やかに幕を閉じる。だが、その場にいた貴族たちの間には、まだまだ複雑な思惑が渦巻いているようだった。
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