あの夏の日の残照

早瀬黒絵

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第七話

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 トイレから教室へ戻る途中、ポケットの携帯が鳴った。

 いつもはもう少し人通りのある廊下もテスト期間中だから静かなものだ。

 取り出した携帯の液晶には‘あき’の表示。

 そもそも同年代の友人以外で電話をかけてくる相手は片手ほどしかなく、校内でわざわざかけてくる訳もないので、鳴った時点で少なからず誰かは見当がついていた。



「はい、もしもし」



 廊下の端に立ち止まって携帯を耳に当てる。



【新見です、突然すみません】

「いえ、昼休み中なので大丈夫です。どうかしました?」



 まあ、連絡してくるということは左目に関することだろうが。

 目の前を通り過ぎる女子を見送りながら、あの子すぐに転ぶだろうなと思えば、案の定廊下の向こうで派手に転ぶ音と悲鳴がした。



【今日お会い出来ますでしょうか?】



 この後の予定を頭の中でさらって考える。

 部活動には参加していないのでテストさえ終わってしまえば何もない。

 友人達に遊びに誘われることはあるかもしれないけれど、断ったところで問題はないだろうし、冬木達に呼ばれるということは何かあると思っていいだろう。



「そうですね、三時過ぎには終わるのでそれで良ければ」

【ではお手数ですが一度私服に着替えて、四時半頃に以前のバリスタカフェで】



 私服? 紗枝は思わず電話越しに首を傾げた。

 けれどもすぐに制服から身元を割り出されたことを思い出して納得した。



「了解しました」

【それでは失礼します】



 プツリと切れた携帯を操作してから仕舞う。

 要件だけの会話でも前回の冬木の言い逃げより良い。

 ……私服かぁ。

 この間はバレーシューズで失敗したけど今日はどうしようか。





* * * * *





 学園通りのバリスタカフェ前で新見は腕時計を確認した。

 時刻は十六時二十分。

 約束の時間まであと十分ある。

 傾いてきているとは言えど日はまだ高く、うだるような蒸し暑さから避けるように日陰に入り、袖を捲くった。冬木と違って新見に刺青はない。

 しばらくすると駅の方から待ち合わせの相手が歩いて来るのが見えた。

 肩より少し長い黒髪は内側へシャギーがかけられ、真っ白なパーカーワンピは半袖で、右手首に同色のシュシュがつけてあった。七部丈な細身のデニムに同素材の大振りなキャスケット帽子とサンダルを揃え、ユニオンジャックの長財布はチェーンウォレットで袈裟がけにかけられている。

 見かけだけはごく普通の女子高生だ。



「こんにちは」



 こちらに気付いて駆け寄って来る少女に新見は浅く会釈を返す。



「こんにちは。それでは行きましょうか」

「はい」



 店の裏にある駐車場まで行き、自身の持ち物であるホワイトのアウディへ向かうと後部席の扉を開ける。やや戸惑った様子ながらも乗り込むのを確認して閉めた。

 運転席へ乗り込むと後ろから不思議そうな声がする。



「車が違いますね」

「あれは冬木のものです。今日は私の車ですよ」



 へえ、と気の抜けるような相槌が返って来る。

 駐車場を出て走り出しても行き先についての問いはない。

 バックミラーで見れば、行儀良く座席に座ったままぼんやり車窓を眺めていた。

 柳川紗枝、性別女性、年齢十七、高校二年生で成績はわりと良い。幼い頃に両親が離婚し父方に引き取られ、現在は父親と再婚相手の義母、その連れ子である義兄を合わせた四人家族だが義兄は家を出ているそうだ。

 ここまでが紙面上に記されていた個人情報だが、少女には秘密がある。

 見た目は何の変哲もないその左目には‘予知視’という能力が備わっているらしい。

 実際、先日行った‘実験’では上司である冬木に欲しいと思わせるほどであった。

 そうしてその類稀な能力で協力する道を取った人物。

 中身は外見と違い酷く冷めていて自他共に無関心といった体だ。目の前で暴行を繰り広げられても眉一つ動かさず、殺されると分かっている人間を見ても同情することがない。

 調べた限りは平凡な生活を送ってきた人間のそれなのに、人間的な何かが決定的に欠けている。

 この柳川紗枝という少女と接していると時々そう感じるのだ。

 一見してそこそこ礼儀正しく見目にもそれなりに気を遣っているが、その無関心さを知った上で見ると言動にこもる感情のなさに薄ら寒ささえする。

 表社会で生きてきたはずの少女はどこか自分達と似た気配を纏っていた。



「そういえば今日は早く終わったようでしたが、学校で何か行事でもありましたか?」



 ただ黙っているのも空気が悪いだろうと声をかければ少女が顔を向ける。



「ああ、今日までテスト期間だったんです。もうすぐ夏休みですから」

「そうですか、どちらも懐かしい響きですね」

「でもテストなんて面倒臭いし空気がピリピリしてて疲れるので、ない方がいいですよ」



 不貞腐れた様子で溜め息を零す姿は年相応だ。

 それがどこまで本心で、どこまで仮面《ポーズ》なのかは分からないが、こちらの不利益にならなければ関係のないことであった。

 目的地の地下駐車場へ車を乗り入れ、運転席から降りて後部席のドアを開ければ少女が降りてくる。

 一応周囲を見渡す仕草をしたが、そんなことをしたところで現在地を知る術はない。ただ別の位置に停めてある冬木のジャガーにはすぐに気が付いたようだった。



「こちらです」



 エレベーターで一階に上がると横にホテルのようなロビーがあり、フロントには見目好い女性が立っていて折り目正しい会釈をされる。

 新見はそれを気にすることなく向かいの壁にあるエレベーターに乗り換え、少女がついて来ると最上階の十二階のボタンを押す。

 少しの浮遊感の後に到着した十二階で下りるとポケットから出した鍵で目の前にある扉を開けた。

 先に靴を脱いでスリッパを差し出せば、少女もサンダルを脱いで揃えてからそれを履く。鍵をかけ直して廊下を歩くと少々大きいのか歩きづらそうなペタペタという足音が後ろを続いた。

 リビングのソファーに腰掛けていた冬木が音に気付いて振り向き、煙草を咥えたまま挨拶代わりにヒラヒラと手を動かす。



「うわ、まさかと思いましたけどやっぱり冬木さんのご自宅でしたか」



 サマーニットに灰色のTシャツとスウェット姿のリラックスしている冬木に、新見の後ろからひょっこり顔を覗かせた少女が声を上げた。セリフのわりに平坦な声である。

 少女は財布のチェーンウォレットと帽子を外すとダイニングテーブルの椅子に適当に引っ掛け、犬のように指先で呼ばれるまま冬木の斜め前にあるソファーへ腰掛けた。

 新見はキッチンへ入るとコーヒーメーカーで豆を挽き、ペーパーと粉になった豆、水をセットしてコーヒーを三人分淹れる。ついでに冷蔵庫の中身を確認してみればアルコールの類しか見当たらない。



「夕食はどうされますか?」



 声をかけると少し間を置いて「ピザでも取れ」と返事が来る。

 この後の事を考え、これから来るであろう相手へメールでピザとノンアルコールの飲み物を買ってくるよう連絡を入れておく。数は少女と冬木、新見の分を合わせて五人前。

 淹れ終わったコーヒーを注ぐために新見は来客用のカップを手に取った。





* * * * *
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