あの夏の日の残照

早瀬黒絵

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第十七話

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 紗枝の意図を理解しているだろう冬木が抱き寄せてくる。

 煙草と少し甘い香水が交じり合った大人の匂い。

 片手で紫煙を吸い、片手で腰を抱いている腕には刺青があるはずだ。



「じゃあまず一つ、わたしの誕生日は何月何日?」



 母は一瞬迷うように視線を巡らせ「五月二十八日」と答えた。



「二つ、あの頃おかあさんが好きだったキャラクターは?」



 これにはすぐに某夢の国のリボンを付けた女の子のネズミの名が挙がる。

 ここまでは難しい質問ではないし、あえてそういうどうでもいい質問にした。



「三つ、わたしの本当のおとうさんは誰?」



 これが知りたかったこと。

 紗枝の問いにさすがの冬木達も驚いたのか微かに驚愕の声が上がる。

 母もその隣の男も驚いた様子で口を開け放していた。

 幼い頃から繰り返し見た記憶の中で、母は紗枝を父との子ではないと言った。父はその時は驚いた風だったけれど、同時に何か納得したような顔もしていて、廊下でうっかり盗み聞きしてしまった紗枝はショックで数日まともに母の顔を見れなかった。

 父だと思っていた人と血の繋がりがない。

 その事実は紗枝が小学校に上がる時、父の口からも聞いた。

 それ故に父が自分に無関心なのも、関わろうとしないのも当たり前だと割り切った。

 むしろ今まで金をかけてくれたことに感謝すらあった。



「おかあさん、どうしたの?わたし知ってるんだよ。おとうさんは戸籍上の父であって、本当に血の繋がったおとうさんじゃないって。小さい頃、おかあさんが言ってるの、聞いてたんだよ」



 紗枝の声は母親を責めてはいなかった。

 優しく諭すようにも聞こえる声に、母は微かに震えている。



「本当のおとうさんは誰だったの?」

「そ、れは…その、その時浮気してた人で…」

「そう、名前は?」



 母は頭を俯かせて項垂れた。

 どうやら名前は知らないらしい。



「それじゃあ、その人の血液型は?」



 母は必死で思い出すように歯を食いしばり、呻きのような声で「O型」と答えた。

 紗枝は母親のあまりの馬鹿さ加減に笑うのすら止めた。

 母親の血液型はB型、父親の血液型はA型、そして紗枝はA型だった。

 一般的にB型はBBかBOでなり、A型もAAもしくはAOであり、戸籍上の父親が実の父であったならば紗枝は母親からOを、父親からAを受け継いだAOのA型となる。

 しかしO型の血液はOO以外の型を持たない血液型である。

 つまりBBないしBOだろう母と名も知らぬO型の男の間に生まれる子供はBOかOOのB型かO型に限られるということだ。

 まれにキメラという血液型を二つ有する場合やモザイクという血液型が判然としない場合もあるらしいが、大雑把に考えて今はそういう可能性は除外しよう。



「その時、他にも浮気相手がいたでしょ?多分A型かAB型の人」



 そう告げれば目を瞬かせた母は思い出すためか視線を泳がせ、何かに気付いた様子で紗枝の顔をパッと見ると酸欠の魚みたいにパクパク口を開閉させる。

 最近ではABO式で考えると出ないような血液型が生まれるケースも多い。

 一概にこれで決め付けることは出来ないが、母のこの様子を見るに自分の父親はそのO型の浮気相手ではなさそうだった。



「おかあさん、答えて」



 紗枝が口調を強めれば、とうとう母親は泣き出した。

 子供みたいにボロボロ涙を零しながら言葉を紡ぐ。



「……兄さん。アンタの伯父さんだよ…」



 その言葉を数拍、紗枝は理解出来なかった。

 兄? 伯父って……この母の兄ってこと?

 冬木から離れた紗枝は母の前まで行き、その顔を覗き込んだ。



「伯父さんっておかあさんのお兄さん?実の?」

「……それ以外もういないわよ」

「…………」



 絶句した。するしかなかった。

 実の兄妹の間に生まれた子なんて口外出来るはずもない。

 母が父の子として紗枝を育てようとした理由がこれで分かった。

 なまじ血液型が同じだったためバレないとでも思ったのだろうが、どこからどういう風に漏れたのか、恐らく父の耳には‘紗枝は自分ではない誰かの子’という形で入っていたに違いない。

 父が義母に紗枝が実の子ではない旨を告げていれば、義母のあの腫れ物に触るような対応も納得がいく。だがまさか兄妹間の子とはさすがの父も思うまい。

 血の繋がった兄と妹の合いの子などおぞましい。

 引っ込めた顔を紗枝は両手で覆い隠した。

 涙は出て来なかった。でも手は震えていた。

 閉じた瞼の向こうに濃い橙色の空が見えた気がした。

 酷く綺麗な夕焼け色を背に振り向いた母親が言う。



「『アンタなんか生まなきゃ良かった』」



 そして母親は玄関扉の向こうに消えていった。

 両手を顔から離すと、その母が目の前にいる。

 記憶の中よりも老けて涙でメイクがくしゃくしゃになった顔、頑丈そうな椅子に縛り付けられた無力な格好。全くもってお笑い種である。



「……ずっと一人ぼっちで、周りと何か違う自分がずっと嫌いだった。なんでっていつも考えてた。でも、そうだよね、こんな生まれのわたしじゃあ当たり前だよね」



 目に付いたステンレス台から工具を引きずり出す。

 手にしたそれは両面にトゲの配置された金槌だった。


 
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